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現実世界がVRMMOの世界と融合して、ぐっちゃぐちゃになった。  作者: 猫


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第7話 鎖 

 歩き始めてしばらくして、由伸はあることを思い出した。

 世界がUUOになったのなら、マップ機能も使えるはずだ。

 ゲーム内では、未踏エリアでもない限り、周辺地図や施設の位置をいつでも確認できた。


 意識を集中させてメニューウィンドウを開き、『マップ』のタブを選ぶ。

 すると、視界に重なる半透明のレイヤーへ、現在地を中心とした住宅街の地図が展開された。

 平面図ではなく、建物の高低差まで表現された精密な3Dマップだ。


 現在地と、母親のいるスーパーの位置を照らし合わせる。

 目的地にスーパーを指定すると、距離と所要時間が表示された。


『目的地:〇▽スーパーマーケット 距離:1.2km 徒歩:約15分』


 マップ上には青いラインで最短ルートが引かれ、視界の地面には進行方向を示す半透明の矢印が浮かび上がる。

 いわゆるナビゲーションシステムだ。

 これがあれば、迷わず最短距離で目的地へ向かえる。


 さらに、ウィンドウを開いたことで別の項目にも気づいた。

 デイリークエスト。

 ゲーム時代にも存在していた、日替わりの達成課題だ。


 何気なく欄を開くと、表示された内容は驚くほど簡素だった。


『本日のデイリークエスト:Lv1以上のモンスターを1体討伐せよ』


 条件自体は大したものではない。

 ワイルドピッグを一体倒した以上、由伸はすでに達成済みだった。


 だが、その下に記された注意文を見た瞬間、由伸は眉をひそめた。


『警告。七日以上にわたりデイリークエストを未達成のまま経過した場合、ウィンドウショップ機能およびゴールド関連機能の利用権を停止するものとする』


「……は?」


 思わず、乾いた声が漏れた。


 事務的な文面だが、中身はかなり悪質だ。

 要するに、七日間モンスターを倒せなければ、物資を買う手段と通貨を使う権利を剥奪されるということになる。


 デイリークエストにペナルティが付いているゲームなど、由伸は見たことがなかった。

 普通は報酬を与えて行動を促すものだ。

 未達成に対して罰則まで設けるのは、もはや遊びではなく義務に近い。


 いや、そもそもこれはもうゲームですらない。

 異星人どもは、人類に継続的な戦闘を強いる仕組みとして、このクエストを組み込んだのだろう。


 戦いたくない人間もいるはずだった。

 ただ身を隠して生き延びたいだけの老人や子供、あるいは戦闘に向かない人間もいるはずだ。


 それでも七日以内にモンスターを倒せと迫る。

 達成できなければ、生存に直結する機能を封じる。


「……本当に、酷いな」


 吐き捨てるように呟く。

 観察だの実験だのともっともらしい言葉を並べていたが、結局のところ、あいつらは人間を追い詰め、その反応を眺めたいだけなのだ。


 苦い気分のままウィンドウを閉じ、由伸はナビに従って歩調を速めた。

 だが、周囲へ目を向けると、ナビには映らない現実がそこにあった。


 窓ガラスは粉々に砕け、庭の土は何かに荒々しく掘り返されていた。

 由伸の家を襲ったあのワイルドピッグだけではない。

 この住宅街全体が、すでにモンスターの侵攻を受けた痕跡だった。


「ここも……他の場所も……」


 小さな公園のそばを通りかかると、さらに痛ましい光景が目に入った。

 砂場は原形を留めず、滑り台やブランコは見るも無残に壊されている。

 ベンチは根元から折れ、街灯は不自然な方向へ曲がっていた。


 最初に人影を見つけたのは、いつも散歩をしていた近所の老人だった。

 毎朝同じ時間に、同じ道を歩く姿を、由伸は二階の窓から何度も見たことがある。

 その老人が、歩道の真ん中で仰向けに倒れていた。


 由伸の足が止まる。

 心臓が急に強く脈打ち、喉がからからに乾いた。

 老人の瞳が、灰色の空を見つめたままだったからだ。


 眼球は濁り、生気を完全に失っている。

 かつて温もりを宿していたはずの目は、今や冷たいガラス玉のようだった。


 ――死んでいる。


 その事実を呑み込むまで、数秒かかった。

 テレビや映画の中でしか見たことのない光景が、目の前に横たわっている。

 人間の死体を直接見るのは、生まれて初めてだった。


 胃の奥から酸っぱいものがせり上がってくる。

 由伸は喉元まで上がってきた胃液を、必死に飲み下した。


 ゲームの世界では違った。

 プレイヤーが死ねば、青い光の粒子となって消え、数秒後には復活ポイントで蘇生する。

 死は一時的な敗北にすぎず、経験値減少のペナルティを受けるだけで済んでいた。


 だが、現実の死は違う。

 死体はそこに残り、放置されればやがて腐敗していく。

 つい数時間前まで意識を持ち、感情を抱き、思考していた存在が、今はただの物のように転がっている。


 由伸は視線を逸らし、遺体をなるべく視界に入れないよう注意しながら歩いた。

 足音を殺し、息を潜め、その場を通り過ぎる。


 二人目、三人目。

 歩くほどに、遺体の数は増えていった。

 老若男女の区別なく、日常の延長線上で唐突に命を奪われた痕跡が、街のあちこちに残されている。


 死の恐怖に呑まれないよう、由伸は意識的に思考を切り替えた。

 ゲーマーとして周囲を観察し、生き延びるために必要な情報を集める。

 それが不安を押し込める、ほとんど唯一の手段だった。


 だが、路上に散らばるゴミ袋や倒れた自転車の中に、武器になりそうなものは見当たらない。

 包丁とフライパンだけでは、より強いモンスターと戦うには心許なかった。


 できることなら、もう少しまともな武器が欲しい。


「何か使えるものは……」


 呟きながら、由伸はさらに注意深く周囲を見回した。

 工事現場の近くを通りかかった時、思わず足を止める。

 バリケードの向こうに、直感的に「これだ」と思える物があった。


 鎖だ。


 太さは約一センチ、長さは三メートルほど。

 金属製のチェーンが、建設機械の脇に無造作に置かれている。

 工事用資材らしく、表面に目立った錆もなく、状態は良い。


 鎖。

 それは『アンリミテッド・ユニヴァース・オンライン』で、由伸が使い続けてきた武器種だった。

 何万時間ものあいだ手にしてきた、相棒と呼んでもいい得物だ。


 多くのプレイヤーが剣や弓のような王道武器を選ぶ中、由伸は頑ななまでに鎖を使い続けていた。

 ありがちな選択を避け、独自性を求める気質が、ゲームの中でははっきり出ていたのだろう。


 剣や弓は確かに格好いい。

 だが、あまりに王道すぎる。

 由伸は、そういう分かりやすい強さよりも、癖が強く扱いの難しい武器に惹かれていた。


 中でも鎖武器は習得難度が高く、扱いづらいマニア向けの装備だった。

 攻撃範囲こそ広いが、制御は難しい。

 まともに使いこなせるようになるまでには、かなりの時間がかかる。

 だからこそ、惹かれた。


 赤いコーンとバリケードテープに囲まれた工事現場。

 本来なら足を踏み入れることなどない場所だ。

 だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 由伸はバリケードテープをくぐり、足場の悪い現場へ踏み込んだ。

 鎖を手に取った瞬間、ずしりとした重量が掌に伝わる。

 それだけで妙な安心感があった。


【建設用チェーン】


 武器種:鎖/中距離武器

 Tier:アンコモン

 攻撃力:12

 耐久値:50/50

 重量:3.2kg

 長さ:3.0m

 装備条件:Lv1以上

 備考:本来は武器ではないため、習熟には高い技術を要する。


「アンコモン……!」


 まず目を引いたのは、レアリティの表記だった。

 一般的なアイテムであるコモンより一段上だ。

 さきほどの包丁はコモンだったはずだから、これはかなりの掘り出し物と言っていい。

 初期装備としては破格だった。


 約三キロという重さも悪くない。

 表面は滑らかで、手に馴染む感触がある。


 軽く振ってみると、空気を切り裂く音が響いた。

 確かな手応えがあり、ゲーム内での操作感が現実でもある程度再現できそうな感触があった。


 インベントリへ収納すると、鎖は光の粒子となって消える。

 装備画面を確認すると、武器欄に『建設用チェーン』と表示されていた。


「名前がダサいけど、まあいいか……」


 ちなみに、UUOで使っていた由伸のプレイヤーネームは『Xx鎖野郎xX』だった。

 ゲームを始めたばかりの頃、深く考えずに付けた名前だ。


 小学生の頃に読んでいた少年漫画に、鎖を武器に戦う魅力的なキャラクターがいた。

 鎖を自在に操って敵を翻弄する戦い方に、強く憧れた記憶がある。

 ネットゲームの名前など、案外そんな程度の動機で決まるものだ。


 新しい武器の感触を確かめながら、由伸は再び歩き出した。

 包丁とフライパンによる即席装備よりは、はるかに戦える気がする。


 歩きながら、由伸はあらためてUUOのシステムの異質さを思う。

 一般的なRPGでは、武器として認識されるアイテムは厳格に限られている。


 剣、斧、槍、弓。

 いかにも武器らしいものだけが、戦闘用として扱われるのが普通だ。

 だが、UUOは違った。

 理論上、あらゆる物体が武器になり得る。


 たとえば包丁。

 本来は野菜を切り、魚を捌き、肉を処理するための調理器具にすぎない。

 それでも、あのゲームではれっきとした武器として認識され、攻撃力やクリティカル率といった戦闘用ステータスまで与えられる。


 実際、ワイルドピッグと戦った時、包丁は確かに武器として機能した。

 切れ味も、重量バランスも、握り心地も、戦闘用の刃物として成立していた。

 システムが武器だと認識した瞬間、それは本当に武器へ変わるのだ。


 由伸は、ゲーム内で出会った変わり種のプレイヤーたちを思い出した。

 フォークを武器にしていた『刺突王』。

 四本の尖った歯を活かした突撃で、多くのプレイヤーを驚かせていた。


 ハサミを愛用していた『ジグザグ姫』。

 二刀流めいた変則戦法を確立し、開閉の動きまで攻撃に組み込んでいた。


 UUOでは、どんな武器でも、適切に強化し使いこなせば最高レベルの性能を発揮できる。

 武器種そのものの優劣は、実質的には存在しない。

 勝敗を分けるのは、プレイヤーの技術と発想だった。


 さらに驚くべきことに、UUOにはあらかじめ定められたスキルが存在しなかった。

 従来のRPGのように、用意されたスキルを選ぶだけではない。

 プレイヤーの戦闘行動や癖をリアルタイムで分析し、その人間に最適化されたスキルを自動生成する仕組みになっていた。


 由伸も、鎖による戦闘を続けるうちに、鎖専用のスキルが自動的に生まれていった。

 それは由伸だけのオリジナルスキルで、他のプレイヤーがそのまま習得できるものではない。

 似ているように見えても、細部は必ず違う。

 まさしくオンリーワンのスキルだった。


 高度なAIが由伸の戦闘パターンを学習し、最適化されたスキルを提示してくれる。

 使用頻度、成功率、ダメージ効率。

 そうした膨大なデータを分析し、戦闘スタイルに最も合った形へ落とし込んでいく。


 当時は、その異常さを深く考えたことなどなかった。

 だが今になって思えば、技術的難易度はとんでもない。


 二億人ものプレイヤーを同時に監視し、分析し、個別最適化されたスキルを生成する。

 そんなもの、現在の地球の技術では到底実現できないはずだった。


 最先端のスーパーコンピュータをかき集めたところで、そんな規模をさばけるとは思えない。

 それなのにUUOでは、数億人のプレイヤーがそれぞれ異なるスキルセットを持っていた。


 現実にそんな技術が存在するのか、と考えれば疑問は尽きない。

 それでも、異星人の技術力を思えば、無理やり納得するしかなかった。

 連中の科学は、人類の想像をはるかに超えている。


「俺たちは、とんでもないゲームで遊んでたんだな……」


 不意に、その思考を断ち切るような声が響いた。


「――助けて! 誰かっ……!」


 女性の声だった。

 年齢はおそらく由伸と同じくらいだろう。


 音の方向を辿ると、住宅街の中央にある大きな公園が思い浮かぶ。

 幼い頃、何度も遊んだ場所だ。

 本来なら家族連れで賑わう、平和な空間だった。


 頭の中で、いくつもの選択肢が一気に駆け巡った。

 助けに向かえば、間に合うかもしれない。

 困っている人間を見捨てるのは、どう考えても後味が悪い。


 だが同時に、危険も大きい。

 今の由伸はまだレベル2。

 強いモンスターと戦えるだけの余裕はない。

 軽率に飛び込めば、自分まで死ぬ可能性がある。


 それでも、冷静な判断の奥から、別の感情がせり上がってきた。


 ――じゃあ、見捨てるのか。


 由伸の手が、インベントリに収めた鎖へ意識を向ける。

 新しく手に入れた武器があれば、多少は戦えるかもしれない。

 もちろん、相手のレベルも分からない状況で突っ込むのは無謀だ。

 合理的に考えるなら、スーパーへ向かうのが最優先だった。


 助けを求めているのは、この少女ひとりではない。

 世界中が地獄になった今、聞こえる悲鳴のすべてに応えていたら、母親のもとへ辿り着くことなどできない。


 自分の命を守り、家族を守る。

 本来はそれだけで精一杯のはずだった。


 それでも、感情がそれを許さない。


「もう……逃げたくないんだ……」


 日本一位。

 それが、由伸にとって唯一誇れるものだった。

 ゲームの中でだけは特別でいられた。

 誰よりも強く、誰よりも巧く、誰にも負けない存在でいられた。


 なのに現実では、家族に心配ばかりかける引きこもりでしかなかった。


「でも今は……違う……」


 鎖の重みが、掌に確かな実感を与える。

 ゲームで積み上げた知識も、レベルアップで強化された身体能力も、いまは空想ではなく現実の力だ。


 もう、ただ何もできずに閉じこもっているだけではない。


「俺にだって……できることがあるんだ……!」


 気づけば、由伸は走り出していた。

 スーパーを示す青いナビの矢印から外れ、悲鳴の聞こえた公園へ向かって。

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