第5話 現状確認
ワイルドピッグがポリゴン状に霧散した瞬間、目の前の空間に半透明のウィンドウが浮かび上がった。
高精細なホログラムの中へ、文字や数値が一つずつ表示されている。
そこに記されていたのは、由伸自身のステータス情報だった。
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田中由伸 レベル2
HP34/34
MP12/12
職業:引きこもり
所持金:12ゴールド
装備品 一覧
帽子:未装備
上半身:未装備
下半身:未装備
顔飾り:未装備
肩飾り:未装備
マント:未装備
ベルト:未装備
靴:未装備
武器:《《三徳包丁》》(コモン)
盾:《《フライパン》》(コモン)
バッジ:未装備
称号:未装備
手袋:未装備
イヤリング:未装備
ネックレス:未装備
指輪:未装備
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数値の一つ一つが、現在の能力を正確に示していた。
モンスターを倒せば経験値が入り、レベルアップし、能力値が上昇する。
その過程で、通貨やドロップアイテムも獲得できる。
由伸が何年もプレイしてきたアンリミテッド・ユニヴァース・オンラインのシステムが、寸分の狂いもなく現実世界に適用されていた。
さらに、HPが全快していることにも気づく。
最大HPは30から34に増え、それに合わせて現在のHPも満タンになっていた。
レベルアップ時の自動回復まで、ゲームどおりに機能しているらしい。
「やっぱり……体力も実際に回復してる……」
実際、さっきまで感じていた疲労感や筋肉の痛みはかなり薄れていた。
息も整い、心拍数も落ち着いている。
数値の変化が、そのまま身体の状態に反映されている証拠だった。
詳細な装備欄も用意されており、武器欄には包丁、盾欄にはフライパンが表示されている。
それ以外はすべて未装備の状態だった。
装備欄もゲームそのままだった。
武器欄には包丁、盾欄にはフライパン。それ以外はすべて未装備。
頭部、上半身、下半身、装飾品まで細かくスロットが分かれており、今の由伸は最低限の装備しか持たない初期状態に等しかった。
そして、武器として認識されている以上、包丁とフライパンはアイテム欄に収納できるはずだ。
意識を集中させると、手に持っていた包丁とフライパンが光の粒となって消えていく。
同時に、インベントリ画面へ二つのアイコンが追加された。
重量や大きさに関係なく、アイテムを無限に収納できる。
あのゲームの利便性まで、現実に適用されているらしい。
必要な時に意識するだけで取り出せて、不要になればしまえる。
試しに包丁を取り出してみると、瞬時に右手へ出現した。
重量感も手触りも、収納前と何ひとつ変わらない。
由伸は再び包丁をインベントリへしまった。
「職業が引きこもりって……まあ、間違いじゃないけど」
苦笑するしかなかった。
システムは、現実の人間を妙に正確に見抜いている。
五年間学校へも通わず、家に籠もってゲームばかりしていた人間には、『引きこもり』という職業が与えられるらしい。
能力値の欄も表示されていた。
VIT:5
STR:5
DEF:5
AGI:5
INT:5
LUK:5
すべて5で統一されている。
典型的な初期ステータスだ。
どこにも偏りのない、ゲーム開始時そのままの標準値だった。
「……はあ」
由伸は深く息を吸い込んだ。
こんなに動いたのは久しぶりだった。
肺へ空気が入ってくる感覚が、いつもよりずっと鮮明に分かる。
レベルアップによる身体能力の向上が、呼吸にも影響しているのかもしれない。
心拍数は落ち着いてきたものの、まだ軽い興奮が残っている。
戦闘によるアドレナリンと、レベルアップで起きた身体変化が重なり、妙に落ち着かない。
「五年間まともに運動してなかったからな……」
引きこもり生活で、身体は完全に鈍っていた。
たった数分の戦闘ですら大きな負担だったのだから、生死のかかった状況ならなおさらだ。
「とりあえず、ステータスの振り分けをするか」
由伸はステータス画面を見直した。
ステータスポイントが5ポイント付与されている。
これをどこへ振るかで、今後の戦い方は大きく変わる。
「どうするか……」
痛いのは嫌だし、DEFへ極振りするか。
いや、まずはAGIへ全振りして回避能力を上げるべきかもしれない。
かつての戦闘スタイルを思えば、それが最も合理的にも思えた。
敵の攻撃も、当たらなければどうということはない。
回避特化のプレイスタイルは、UUOでも人気の戦法だった。
防御力を捨てる代わりに、圧倒的な速度で相手の攻撃をかわし続ける。
難易度は高いが、成功すれば無傷で勝つこともできる。
由伸は実際、ゲーム内でそれをやってきた。
なら理屈の上では、現実でも再現できるはずだ。
しかし、AGIの「+」へ指が伸びかけたところで、重要なことを思い出した。
――いや、待て。
それより大事なことがある。
HPに関わる能力へ振った方がいいんじゃないか。
「そうだ……この世界は死んだら終わりなんだ……」
ゲーム内なら、死んでも復活できた。
だが現実では、一度死んだらそこで終わりだ。
どれほど回避能力が高くても、たった一発の致命傷で何もかも終わってしまう。
蘇生アイテムも、復活スキルもない。
正真正銘のハードコアモードだった。
いや、待て。
由伸は再び手を引っ込めた。
HP寄りに振りかけたが、もう少し慎重に考えるべきだ。
本当にそれでいいのか。
貴重なアビリティポイントだ。
一度振ったら戻せない可能性も高い。
ステータスのリセット機能が存在するかどうかも分からない。
ゲーム内では課金アイテムを使えば振り直せた。
だが現実世界で同じことができる保証はどこにもない。
「それに……」
由伸には、由伸なりのプライドがあった。
日本一位という、ちっぽけで、それでも捨てきれないプライドが。
現実では何も成し遂げられなかった自分にとって、唯一誇れたものがUUOでの実力だった。
由伸のビルドは、火力とAGIへほとんどを注ぎ込んだ攻撃特化型だった。
一撃の威力を高め、敏捷性で攻撃を避ける。
華麗に敵を倒し、スタイリッシュに戦う。
地味で堅実な戦法より、派手で映える戦法を選ぶ。
ハイリスク・ハイリターン。
それが由伸のプレイスタイルだった。
だが、現実では美学より生存が優先される。
かっこよさより、確実に生き残ることの方がずっと重要だ。
指先がAP配分画面の上で何度も止まる。
VIT、STR、DEF、AGI、INT、LUK。
どれを選ぶべきか、すぐには決めきれなかった。
ゲームの中なら、わくわくしながら振れた。
だが現実では、一つの選択が生死を左右する。
重すぎる責任が、決断を鈍らせていた。
「生存重視でDEFか、HPアップに振るか……それとも、俺の得意な攻撃特化でいくか……」
合理性と感情が激しくぶつかり合う。
頭では生存重視が正しいと分かっているのに、心は攻撃特化への憧れを捨てきれなかった。
AGIの「+」へ指が伸びかけた時、不意にさっきの光景が脳裏をよぎった。
ワイルドピッグの突進をまともに受け、呼吸もできず、内臓をかき回されるような痛みに襲われた瞬間。
HPゲージが黄色へ変わり、死の可能性を突きつけられた、あの感覚。
「……そうだ。この世界は……死んだら終わりなんだ……」
ゲーム内なら死んでも復活できた。
だが現実では、一度きりで終わる。
どれほど回避能力が高くても、どれほど攻撃力が高くても、たった一発の不運な一撃で致命傷を負えば、それですべてが終わる。
蘇生アイテムも復活スキルも存在しない。
本物のハードコアモードだ。
「……かっこつけてる場合かよ」
自嘲気味に呟く。
プライドだの日本一だの、そんなものは生きていてこそ意味がある。
豚に殺されて終わる日本一のゲーマーなど、笑い話にもならない。
「みっともなくてもいい。泥臭くてもいい。まずは……生き残ることが最優先だ」
そこでようやく決心が固まった。
由伸は迷わず、HPへ最も大きく影響するVITへ指を伸ばす。
『ステータスポイントをVITに割り振りますか?』
確認ウィンドウに表示された「はい」を選択する。
続けてVITの横にある「+」ボタンを、一度、二度、三度と押した。
『VITに3ポイントを割り振りました』
その瞬間、身体の奥底から温かなエネルギーが湧き上がり、全身を駆け巡った。
「うおっ……!?」
まるで別人の身体になったかのような変化だった。
五年の引きこもり生活で、由伸の身体はガリガリに痩せ細っていた。
常に気だるく、季節の変わり目には決まって体調を崩す。
年中うっすら風邪をひいているような慢性的な不調が、いつの間にか当たり前になっていた。
あの感覚が、今、嘘みたいに消えていく。
骨の髄まで染みついていた倦怠感がすっと抜け、代わりに力が満ちてくる。
関節のきしむような感覚もなくなり、身体の芯へ一本、頑丈な柱が通ったようだった。
試しに深く息を吸ってみる。
すると、肺が以前より大きく広がるのが分かった。
少し動いただけで息が上がっていた身体が、今なら全力で走っても耐えられそうな気さえする。
『HPが49/49に上昇しました』
『状態異常:倦怠感 が回復しました』
ステータスを確認すると、最大HPは34から49へ大きく上昇していた。
現在HPも満タンまで回復している。
VITに振ったことで、HP上限がしっかり底上げされたのだ。
「すげえ……本当に、身体が作り変わったみたいだ……」
これがレベルアップとステータス割り振りの力。
ゲームの中では当たり前だった強化システムが、現実の肉体へここまで影響するとは思っていなかった。
残り2ポイントをどうするか少し考えたものの、由伸はいったん保留することにした。
「今すぐ決める必要はない……もう少し情報を集めてからでも遅くない」
重要な決断だからこそ、状況を見極めてから慎重に判断すべきだ。
由伸はAP配分画面を閉じた。
身体が健康になったことで、不思議と気持ちにも余裕が生まれていた。
そういえば、世間は今どうなっているのか。
ワイルドピッグとの死闘で、意識は完全に目の前の敵へ向いていた。
由伸はリビングのテレビへ目を向けた。
四十二インチの液晶テレビが、壁際に設置されている。
もともとテレビ番組を見ることはほとんどなかった。
報道番組など、現実から目を背け続けてきた由伸にとって、ほぼ無縁の存在だったからだ。
ソファの隙間に挟まっていたリモコンを拾い上げ、電源ボタンを押す。
「なっ……」
画面に映し出されたのは、想像を絶する光景だった。
空中からの俯瞰映像が、テレビ画面いっぱいに広がっている。
報道ヘリからの中継らしく、映像は絶えず細かく揺れていた。
高度数百メートルから撮られたらしいその映像は、まるで災害映画の一場面そのものだった。
「なんだよ、これ……」
その光景を見た瞬間、由伸は思わず項垂れた。
世界は、あまりにも地獄絵図じみた様相を呈していたからだ。




