弦太と大河
竜輝の家は弦太の自宅を通り越した先にある。
途中で鞄を置いて着替えを済ませることもできたが、
その日は直接出向いた。会話が弾んだせいもある。
進級して担任も教科担当も入れ替わり、話題は尽きない。
小坂井宅のリビングに落ち着いてからもずっと続いた。
「で 連休がなんだって?」
「そうそう」 竜輝は身を乗り出しながらも、
少し勿体つけるように間を開けた。「連休。なんか予定ある?」
「これといって… なに? なんか遊びの計画? なに?」
期待に胸を躍らせて、弦太も身を乗り出した。
額が触れんばかりに近づいた。いや、実際にぶつかった。
ふざけて押し合いながら竜輝が言った。
「うちさ 旅行 行くんだ。家族旅行な。弟がまだガキなんで」
「ああ 大河くんね。いいね どこ」
と訊いたものの社交辞令で、落胆は隠せない。
自慢話をするような相手でも年齢でもないのに、
どうしてその話をする?
竜輝は、弦太の白けた気分を確認するように眺めた後、言った。
「お前も行かないか」
「は?」
「親の了解なら得ている。
お前のことはよく知ってるしウケもいい。大河とも仲がいい。
だってさ 退屈だろ この年になって家族となんて。
さすがに親も分かってるのさ。てか それが同行の条件なんだ。
お前を誘っていいなら一緒に行くけど 駄目なら留守番してるってな。
大河も大賛成さ。そうなると親も何も言えない」
小坂井家において末っ子の発言力は絶大だ。
「費用の心配なら要らない。車だから交通費はなし
宿泊費だって4人分と5人の差額ぐらいだから たいしたことない。
なんなら俺が折半するしさ どうよ?」
「…俺に断る理由はないな」
「二泊三日な。ホテルは… あとで送るよ。親御さんの許可もいるだろ」
「法事とか言われてないから 問題ないだろ。
親だって自分たちだけの方が気楽だし。飯も作らなくていいし」
「なら決まりだな」
旅行の話で盛り上がっていると、その末っ子が帰宅した。
部活動で遅くなる。サッカー部に属しているのだ。
弦太の顔を見ると大喜びで駆け寄ってきた。
五歳下の大河を、弦太は生まれた時から知っている。
竜輝とは幼稚園からのつきあいだ。
弟が欲しかった弦太は、毎日のように顔を見に行った。
最初は心配していた竜輝らの母親の佐和子も、
じきに彼を子守役として重宝するようになった。
実の兄である竜輝より余程に頼りになるし、大河も懐いた。
動くようになれば大河が弦太を追いかけ、まとわりつき、
ふたりの邪魔ばかりした。
竜輝は怒ったが、弦太はそんな大河が可愛くて仕方がなかった。
おぼつかない足取りで一心に追いかけてくる。
小さな手で懸命にしがみついてくる。
涎まみれの口を押しつけてくる。
家では末っ子の玄太が、頼りにされる。
みそっかすではない、必要な存在となる。
「聞いた?」 変わらぬ屈託のなさで大河はじゃれついて来る。
「旅行のこと? うん 聞いたよ」
「行くよね?」
「親に訊いてみないとね」
勿論と言いたかったが、万が一にも落胆させたくはない。
大河は「やった!」と歓声を上げて、抱きついてきた。
少し硬くなった毛が頬に当たる。日向の匂いがした。
気が済むだけ弦太の胸に額を擦り付けると、やがて顔を上げて
真っすぐに見上げてくる。
あどけなさの残る、だが奥に芯のある光を宿した瞳だ。
くっきり一重の目蓋に、髪同様濃い黒色のまつ毛が生えそろう。
やや短いと思われる鼻梁に続いて丸みのある鼻、そして柔らかそうな唇。
少年のかくあるべしという面差しが、そこにあった。
「騙されんな」 大河を見返す弦太の眼差しに何か察したのだろう、
竜輝は言った。「名前の通り 虎だぞ。喰われるぞ」
「りゅうがへっぽこなだけだろ」
「ほらな」 踵で弟の身体を押す。
わざとらしく悲鳴を上げて弦太にしがみつこうとするのを、
竜輝は襟首をつかんで引きはがした。
「汗くせえんだよ 臭いが移るだろ」
言われて初めて思い出したように、大河は自分の上腕に鼻を押しつけ、
ぴょこんと立ち上がると「着替えてくる」とドアに向かった。
「すぐだから! 待っててよ。帰らないでよ」
「俺と遊ぶんだよ お前じゃない」 竜輝が代わりに応えた。
ばたんとドアが閉まる。階段を駆け上がる音が聞こえた。
「旅行 お前が一緒に行くの 嬉しいんだけどさ」 竜輝が言う。
「けど?」
「癪に障るのも半分。大河の奴を喜ばせるのがさ。
親だって あいつの一言が 最後の一押しになったわけで。
ちびに仕切られて面白くないぞ」
「ちびはないだろ。追いついてきたんじゃないか」
竜輝は肩を竦めただけで否定はしなかった。
会うたび成長している。
いつか追い抜かれるのでは とすら思う。いや。
運動で鍛えられている肉体は、早晩弦太を追い越すだろう。
トラをじゃれつかせている感触は、竜輝に言われるまでもなくあった。




