Chapter14-5
濃紺に包まれていた闇夜が薄ら明るくなってきている。東の果てから登る太陽が、ようやくこの闇を終わらせようとしてくれている。いつもよりも遥かに長かった夜が、ようやく終わりそうだ。
ジョゼに送り出された四人は、もうそこまで顔を出そうとしている太陽を見ながら、大陸の中心、大麗樹まで飛行を続けていた。
眼下に広がる原生林も闇からゆっくりと姿を現し始め、木々の輪郭がぼんやりと見えるようにはなってきているが、肝心の大麗樹はまだ距離があるのか、その姿を確認できていない。
四人は空中で話し合うこともなく、朝が迫る空をまっすぐに飛び抜けていく。幸いここまで、ひとかげの襲撃も受けていない。航路は順調だ。
「見えた、大麗樹だ」
風音に混ざる久の声。四人は視線の真先で、原生林の中に一際大きく聳える巨木、大麗樹の姿を確認した。
聳えるといってもまだ遠い大麗樹。今の位置から見て数センチ程度の大きさだ。だが、その大きさでこの距離からでも分かるくらい、生気がない。枝ぶりや茂る葉は変わりないように見えるが、ユーミリアスの中心でどっしりと構え、全てを包み込むようなあの包容力は、殆ど無いように思える。もはや大麗樹ですら、“ただ大きな樹木”として黙って佇んでいるように見えた。
「あと二、三十分ってところか。織葉、指輪はどうだ?」
織葉に訊くタケの括った金髪が後ろに流れている。視線の先の織葉も、明朝の空に照らされ、赤髪を靡かせている。
「何もない、かな。もっと近づかないとダメなのかも」
織葉の返答と同時に、地平の果てから太陽がいよいよ顔を覗かせた。
まだ、劫火煌月の反応はない。その杖が持つ、時まで潰すと言う悪魔の力。それをもってすれば、常に夜を連れることなど容易いのではないだろうか。何より太陽が昇り、沈むと言うのは、世が平和であるという証左なのかもしれないと、織葉に頷いたタケは眼鏡越しに太陽を見つめた。
「大麗樹に着いちまう。ジョゼの奴、遅せぇな」
空中で織葉に少し近づき、背後を確認するハチ。やはり後ろには誰もいない。
トウカが現れて飛び立ってから、時間はしばらく経っている。力量差を見るに、ジョゼは正面切ってトウカとやり合わない筈だ。適当に撒いて追いかけてくると思うが、未だその姿が米粒程度にも確認出来ない。
(あいつ、何か手間取ってやがるな。ま、そのうち来るか)
気には掛けるが心配こそしないハチ。先ほどよりも白けた空を軽く見て、そして目線を大麗樹に戻した。
先ほどよりも距離が迫っている。目的の場所へ障害なく、直線で移動できることがこんなにも迅速なのだと初めて知る久。長時間空を飛んで移動するなど、それこそフィクションの産物だ。
(しかしこれじゃ、全く大陸の様子が分からない)
だが久は、今この瞬間は有難いとして、これを日頃の移動方法にはしたくないなと思っていた。
確かに楽で速くて、気持ちがいい。だが、地を駆け、路地に入り、迂回を繰り返すからこそ、知識になり、愛着が湧き、一つ、また一つと絶景や自分だけの場所を見つけることが出来る。どこかユーミリアスと一つになれないこの移動は、便利だが安易だ。あまり好きなれそうにはなかった。
耳元では依然として変わらず風を切る音だけが流れていき、それに合わせ景色も流れていく。図らずしも瞬きが多くなる両目を動かしても、景色は何も変わりない。だが、目的の大麗樹へは着実に近づいていた。
夜が明けた空の下、先ほどよりも大きく見える大麗樹は、やはり元気がない。どこか傾いているような、重たそうに頭をもたげているようにも見える。
気づけばその距離はもう目の前。リリオットから見上げたときにも同じこと思ったが、ユーミリアスの力の根源、大麗樹はやはり巨大だ。根本の幹にツリーハウス状の村が一つ作れるのだから、その幹の直径は計り知れない。客観的に見て考えたら、とんでもない存在の樹木だ。
「この近さで見ると凄いな」
幹にぎりぎりまで近づき、それに触れる織葉。少し冷たい触り心地は樹皮そのものだ。幹に触れる手に付けられた指輪は、先程確認した時より少し光っている。間違いなく杖に近づいている。
「指輪が一つしかないし、別れての捜索は難しいよね」
「そうだな。これまで通り全員で動こう」
織葉の指を見ながら久が述べ、それに対しタケが結論付ける。昨晩のような暗闇でもなく、見通しもかなりきく。四人はその身を空中で寄せた。
「で、どこから探すよ?」
結晶の上で両手を離して伸びをするハチ。織葉は少し悩みながら、指輪を着けている右手を空中で少し振って見せた。
「やっぱこの程度じゃ変化ないか。木の頂点から下がってくのはどう?」
織葉の提案に三人が頷く。
「そうするか。時間は……」
久は懐中時計をいつも通り取り出した。時刻は、午前五時三十分近くを示す。杖を探すだけであれば、まだ八時間。セピスに戻って杖を握って帰還するのであれば、五時間と言ったところだろうか。ともあれ、現時点では切羽詰まっていない。各自散開しての捜索が出来ない分効率は落ちるが、四人には見つけられそうな漠然とした自信があった。
「よし、それじゃ上がりますか」
もはや慣れた手つきで結晶を上昇させる四人。どんどん高度が上がり、地面から離れていく。自分たちが飛行していた高度は、ちょうど大麗樹の真ん中あたりで、垂直上昇すると、数分かからず大麗樹の頂点へとたどり着いた。
「すげぇ高さだ。学園も見えるぜ」
「冷静に考えたらこれ、めっちゃ怖い」
おそらく今、ユーミリアスでここより高い場所には、この四人以外誰もいないだろう。久たちは今、大麗樹の頂点から数メートル上空でその身を結晶に委ねていた。
ハチは余裕で手放して風景を見ているが、ふと我に返った織葉はその高さに少し恐怖を覚えた。落ちたら間違いなく命はない。ここで落下死は洒落にならないと。
「織葉、指輪は?」
「あー、えーっと……」
空中で旋回し、久は織葉へ向く。しかし織葉は先ほどより恐怖が立ってしまったのか、クリスタルの横穴から右手を抜けなかった。しっかり跨って左手で保持していると言うのに、同じく支える右手を自由にすることが出来ない。
「まぁ、この高さじゃな」
織葉が思っている以上に結晶に深く跨る様子を見た久は、結晶を動かして織葉の右側に並び、自らの左手を織葉に差し出した。
「ほれ、掴め」
久は特に臆することもなく、左手を自由にして織葉に差し向けた。少し風で揺れてはいるが、その体勢は安定している。織葉はゆっくり手を抜き、すぐ近くまで寄せてくれている久の大きな手を掴んだ。
「あ、ありがとう」
照れと恐怖で微妙になってしまった顔のまま、織葉も指輪を見た。すると指輪は着けていない久にもはっきり分かるほど、そのクリスタルを緑色に光らせていた。
「! 光ってる」
「さっきよりも近いみたいだな。織葉、一人で動けるか?」
まだ手を握ったままの織葉を見ながら久が問う。ここで無理はさせられないし、何より恐怖が先に立った時、人は本当に動けなくなる。それを知っている久は穏やかな口調で織葉に訊ねた。
「うん。もう大丈夫。ありがとう」
いつまでも手を取ってばかりではいられない。織葉は一瞬久の手を強く握ると、そのまま放し、自分の結晶に手をつき、笑顔を久に見せた。それに合わせ、久も笑みを作り、二人笑い合う。
それを見て、すすすっ、とタケに近づく男盗賊。にんまり八朔。
「いいねぇいいねぇ。若いねぇ」
「あぁ。いいな。あの二人、やっぱりお似合いだ」
にやにやが止まらないハチと、それに対し呆れることもなく、うんうんと目を閉じて頷くタケ。久が織葉をどこまで想っているのか、そういえば聞いたことのない二人だが、今の二人を見て、つかの間ほっこりする二人。二人は久と織葉の視線がこちらに戻る前に、また音もなく、すすっと自然に離れた。
◇ ◇ ◇
(見えた! 大麗樹!)
もう明るい空の下、低く屈んで結晶を駆るジョゼに、遠く聳える大麗樹の姿が映った。その姿がこの時代でも変わりなかったことに、少し安心感を抱く。
そして自分の斜め後ろ、少し高度を落とした所で一定の距離を保って着いてくる、赤い飛行結晶。乗り手は勿論、泥水のトウカ。
トウカは飛び立つ直前から今に至るまで、ジョゼに対し何も聞かずにいた。どこに行くのか、何をするのか。全く知ろうとしない。本当に自分の言った通りの監視の役目を全うするかの如く、ジョゼにただただ着いて来ている。
(やっぱり何か、分かっていて着いて来ているのかしら?)
監視役に徹すると言えど、何処に向かうかすら聞いてこない。こちらにその気はないが、急な加速で振り切られたり、撒かれたりのリスクは当然脳裏にある筈だ。相手は敵ではないが、十割味方でもない。それは向こうもこちらに対して思っていることだろう。
(よっぽど自信がある、のかしら)
単純な飛行しかしていないので分からないが、結晶の操作に長けているのかもしれない。それに、トウカの跨る赤い飛行結晶。あれは自分たちが乗っている物より性能が高いのかもしれない。色々な仮定が脳裏に飛び交う。
そもそも、あの森の中にピンポイントで現れたことも不思議だ。だがこれも、いくらでも憶測を立てることが出来る。本人はきっと明かさないだろうが、あながち、飛行結晶は探知出来るだの、盗み聞きされていただの、そんなところだろう。
(そんなことよりも――)
視線の先の大麗樹を見つめながら、目下一番の問題に向き直るジョゼ。
(本当に何も教えないっていうのは、正しいのかしら?)
今、自分たちが何のため、誰に関わる事をしているのか、その本人に一言も告げていない。詳細を伝えるつもりはないジョゼだが、ここまで何もないのもやはり躊躇してしまう。
(でもまぁ、今は追いつくことが大切、か)
行き先は着いてしまえば嫌でも分かる。それに、今の向きからして、おおよその目途は立っているのかもしれない。ジョゼは教える教えない問題を一先ず保留にし、大麗樹に向き直った。
目に映る巨木は、先ほどよりも大きくなっていた。




