Chapter14-4
時刻は、午前四時を過ぎた。夜の終わりが近づいている。
時計塔の一室。未だ遠くを見つめたままの桃姫は、少し白け始めた東の空を眺めていた。降っていた雨も先ほど止み、セピスも学園も静寂に包まれている。
皆無事、だろうか。桃姫の心にはそれしかない。
◇
時刻は、午前四時を過ぎた。朝の始まりが近づいている。
執務室。窓の無い穴ぐらの様な部屋で時計を見つめたままのジョゼットは、少し白け始めているであろう東の空を思い浮かべていた。アジト内はいつも通りの静寂に包まれている。
皆無事、だろうか。ジョゼットの心にはそれしかない。
◇ ◇ ◇
ユーリスから戻った五人は、転移する直前の場所に戻されていた。辺りはまだ暗いが、木々の上空は微かに薄ら白くなっている。ユーリスに向かう前よりも、原生林も少し見通しが効いているような気がした。
「デカいのが、いなくなってる」
周囲に集中する織葉。見ると、ハチと封じ込めた大斧のひとかげがいなくなっていた。抜け出したというよりも、消滅したような感じだ。ロープが括り付けられた木々には緩みなどが見られない。
「だな。気を付けるぞ。ともかくは結晶まで」
弩を構えこそしないが、周囲の気配に集中し、いつでも射れる体勢を作るタケ。まだまだ森は暗く、不意打ちの危険はある。もう喰らいたくはない。
ひとかげたちが音を認識しているのか、気配や魔力を認知しているのか分からないが、極力、五人は足音を殺して動く。結晶までは距離もない。あれに乗ってしまえさえすれば、大麗樹まで一直線だ。
「見えた。結晶だ」
まだ暗い森の中、久の目が木々の隙間から見える青い光を見つけた。借りてきた飛行結晶は盗られたり壊されたりすることなく、そこにあった。五人は足早に近づき、それぞれが跨った。
「異常は無さそうか?」
横穴に手を入れ、ほんの少し浮かせたタケが四人に問う。誰も問題は無さそうだ。久は親指を立てて見せる。
「よし、それじゃあこのまま浮上して――」
「今から観光かしら。物好きね」
と、出発の合図を、聞きなれない声が遮った。そして続く、落ち葉や枝を踏みつける音。
ガサリ。
踏んだその音は、この静かすぎる森の中で大きく聞こえた。また一歩と近づく足音。そして、自分たちのすぐ近く、死角になっていた樹木の間、真っ暗闇の中から一人、現れた。その人物の髪色は、あまりにもこの地で身を隠すに向いていない。
「泥棒たちは、こんな時間からどちらまで?」
泥水を使う魔導師が、すぐ横に現れた。目は、笑っていない。
「ごめんなさい。話している時間はないわ」
浮いていた結晶を、つま先がつく高さまで下げたジョゼが、トウカに軽く頭を下げる。
「どうせ、そっちの時代に関わる何か、でしょ? その話を聞くつもりはない。なんであれ、あなたが跨っているそれ、返して」
トウカがもう一歩ジョゼに歩み寄ったかと思うと、睨みを利かせて結晶を指さした。
「もう少しだけ、貸してほしいのだけど」
「手裏剣使い、私がそれに、良いわって言うと思う?」
「思わないわ。だからこっちも、返すつもりはない。こっちにも、やるべきことがあるの」
そしてジョゼは跨っていた結晶から降り、トウカの少し前に立ちはだかった。眼前の魔導師は、ジョゼより少し小さかった。
「ジョゼ、お前――」
「久。私、後で合流する」
跨ったままの四人に目も向けず、短くジョゼは告げる。久は目を丸めた。
「時間がないわ。ハチ、全員連れてって」
後頭部で括られた栗色の毛が微かに揺れて見せる。
「は。分かったよ。恩に着るぜ――お前ら、行くぞ!」
シュゥゥン!
ハチが態度で全員を引っ張り上げた。浮上する結晶の音は、葉と小枝にぶつかる音と一緒に遠のき、そして、その音と気配を消した。
「遠のくまでの時間稼ぎ? あなた一人で?」
半歩、トウカがジョゼに距離を詰める。
「これでも盗賊の端くれ。稼ぎや盗みは得意な方よ?」
そしてジョゼも半歩詰めた。互いの距離は、拳が届く距離にまで迫る。
「ふぅん。私から何分盗れるかしら?」
逆撫でするかのように、トウカはわざとらしく頭をかしげて見せる。薄ら笑みも絶やさない。
「もう二十秒盗ったわ。この調子で口車に乗せられとく?」
肩にかかる髪を後ろ手に払うジョゼ。トウカよりもにっこりと口角を上げた。
「泥棒と喋るのは趣味じゃない」
「あら、私は誰とだって喋るのが好きよ」
舌戦。徐々に夜が明け行く深森の只中で、二人の口は止まらない。
「時間の無駄よ。こっちにも、都合がある――」
ギィンッ!
刹那、トウカの太刀が居合のごとく引き抜かれる。一秒にも満たない早業で抜かれたそれは、確実にジョゼの腹部を狙った一閃。だが、それはジョゼの身体を斬り落とすどころか、衣服の一枚すら斬れていない。居合の一閃は、更にそれを上回る速さで抜かれた、ジョゼのナイフが受け止めていた。
二人の口がようやく止まり、その代りにギギリと、刃が鍔ぜる音が鈍く鳴る。
「受けるだけ? それで私からあと何秒盗むの?」
「さぁ? 盗ってみないと分からないわ」
二人の表情は変わらない。だが、太刀とナイフでは力が違いすぎる。まだ余裕のある太刀に対し、ジョゼのナイフは抑えるのに精一杯。短い刀身は微かに震えを見せる。
「大口を叩いた癖に。それじゃあ私は止められない」
明かな力の余裕、強さを感じ取るトウカ。刀を振る腕に一層の力を注ぐ。
「止めるつもりはないわ。あなた、私より強いもの」
ぎりぎりと、ジョゼのナイフが押し負けていく。だが、ジョゼの表情は変わらない。いつまでも、トウカのその両目から視線を外さない。
「だけどね、強いだけじゃ駄目よ。勝つ力は、守る力じゃない。」
まだ押されながらも、ジョゼは続ける。それを聞いたトウカは、こめかみに出ていた青筋を薄ませた。
「……軍団長も、あなたと同じことを言うわ。強くないと死んでしまうかもしれないのに、力は敵に振るう為だけない、って」
そしてトウカは、ジョゼのナイフから力を抜いた。互いの腕に訪れる解放感。刃と刃はすっと、その身を離した。
「ここまでのことをして、あなたは何を守ろうとしているの?」
トウカは親友の形見刀の切っ先を、地面へと向けた。
「簡単なことよ。私は、私が愛するものを守ろうとしてる――あなたと一緒よ」
ジョゼはトウカの目から一瞬たりとも目を離さない。真剣そのものの眼差しが、トウカの奥底まで突き刺さろうとする。
「……倒せない敵に阻まれて、武器を壊されても?」
「当然よ。何も惜しくない。守るためには覚悟と犠牲が必要。それも、勝つ時よりも大きな、ね」
ジョゼもナイフを仕舞う。トウカの顔色を見ても、今の表情が演技でないと確実だった。感情を盗み見るのも得意だ。
「軍団長も、よく口にするわ。“盗賊に偶然はない”それと――」
「「覚悟と犠牲に、二の足を踏むな」」
二人の声が、ぴたりと重なった。それは、ジョゼが武器を振るう際の心構え。誰もが持つそれに、ジョゼは覚悟と犠牲の大切さ、それに臆病にならないことを信条としていた。
それはまた、この世界のジョゼットもまた、同じだった。
「だから、行かせてもらえないかしら? あなたとやりあったら私、本当に負けちゃうわ」
そして戻る、いつものトーン。ジョゼは分の悪い笑みを少し浮かべながら、少し後ろで浮いたままの青い結晶を、「必ず返すから」と指さした。それを見てトウカ、腕を組んで鼻から息を抜く。
「流石にそれは了承出来ない。結晶は一、二を争う貴重品。失くされたりしたらもう、手に入らない」
トウカの返事は至極真っ当だ。ジョゼたちは誰の許可も取らず、アジトからここまで無断借用しているのだ。
「だから――私も着いていく。それを断るなら、力づくでも返してもらうわ」
「あら……」
思いがけぬ返答に素っ頓狂な声が出てしまうジョゼ。同行するというトウカの真意は分からないが、結晶はまだ使わせてもらえる。ジョゼは驚いた顔をすぐに戻し、「ありがとう」と一言、トウカに頭を下げた。
「壊されたら堪らないもの。あくまで監視。行き先でどうなろうと、盗人に協力するつもりはないわ」
軽口なのか本気なのか。トウカは腕を組んだまま、ジョゼから少し目線だけを逸らした。それを見てジョゼ、にっこりと笑い、聴き手を差し出した。
「何であれ、本当にありがとう。また、よろしくね。ゆいちゃん」
髪も考えも職も、何もかも異なる二人。
「……ちゃん付けはやめて」
その二人は、お互いそれぞれに使いこんだ利き手を差し出し、夜明け迫る森の中で軽く握手を交わした。




