第五部 第二十章 第二十七話 狂気への怒り
「この先のことはドレンプレル領と連携して貰うとして……やっぱりボナートさんには暫くの間エメラダさんの傍に居て貰えると安心ですね」
「それは……やはり私が裏切る可能性からか?」
「違いますよ〜。手合わせを終えた時点でエメラダさんに疑いはありません。ただ……その髪の秘密を知ってる他領地の人ってどのくらい居ます?」
「居ないな。敢えて言うならボナートのみだ。領内でさえ片手の指で数える程しか知らぬ秘事なのでな」
「なら、エメラダさんにとっても心許せる他領地の人が近くにいた方が連携がやりやすいでしょう。この先アバドンを倒せたとしてもペトランズ大陸での戦を控えてる訳ですから、軍事教練名目で滞在して貰えると【闘神】への備えにもなりますし」
「しかし……それではドレンプレル領に迷惑が掛かるのでは?」
エメラダの言葉に素早く反応したボナートが答える。
「そんなことはないぞ、エメラダ。寧ろこれはドレンプレル領にとってもありがたいことだ」
「というと……?」
「俺がこういうのも何だが、ドレンプレル領は大貴族故にどうも他領地との連携が難しい。相手側が萎縮してしまってな……。しかし、それは我ら兄弟の望む在り方ではない。ならばせめて遠縁であったとしても親類であるスタグメリント領とは心許せる間柄で居たいと思う。信頼こそ本当の力になる……と、我が弟にも教えられたからな」
確かに確固たる信頼は相互利益を超えることもある。利害関係はそれが維持されなくなった時点で崩壊するのだ。遠縁の立場とはいえ本当の意味で信頼を築くことができれば、ドレンプレルにとってもスタグメリントにとっても大きな力となる。
「何かあれば責任は取る。どうか俺の提案としてこの地の滞在を許して願えないだろうか、エメラダ」
「……。こちらとしては願ったりの提案……断る理由も無い。是非とも宜しく頼む」
ボナートの差し出した手をエメラダは固く握り返した。
「スタグメリント領の今後に関してはボナートさんが居れば大丈夫でしょう。俺はそろそろ行きます。アバドンが気になるので」
そそくさと身支度を整えるライに対しボナートは不安げな様子だ。
「……。大丈夫なのか、お前? 休んだと言っても仮眠程度だろう?」
ボナートの存在特性は【危機回避】。それは自らだけではなく関わりのある相手の危機をも僅かながら察知できる。ライの身体状態を正確に把握している訳ではないがボナートは不安を覚えた様だ。
「大丈夫ですよ。今回は一人で戦ってる訳じゃないですから。アバドンを送った先はエクレトルですし、もしかするともう討伐されているかもですね」
「それなら良いが……無理はしてくれるなよ?」
「分かってます」
ライはボナートの不安を感じ取り嘘を吐いた。
アバドンは想像以上に脅威だった。それこそ余裕がなく一番被害を抑え込めるであろう神聖国家に転移させたものの、僅か数時間で倒せるとは思えなかった。
ロウド世界ほぼ全ての『戦う者』は魔力に依存している。自己保有魔力の少ない者でも魔導具・神具の魔力を利用し戦うのが普通なのだ。それは神聖国家エクレトルに於ける新生部隊『至光の剣』も例外ではなく、かつて名を馳せた英雄であるならば尚の事魔力量も多いことだろう。
アバドンにとって魔力は回復・強化の手段である。対峙する者にとっては持久戦さえままならない脅威なのは疑いようがない。
対抗するには波動氣吼法、波動魔法、存在特性、または対アバドンに適した事象神具が必要となる。だが、波動氣吼は一部にしか伝えておらず波動魔法に関しては使える者すらほぼ居ない。エクレトルの天使達は【存在特性】を使用できる者も居るらしいが、そもそもアバドンのあの身体能力に対抗できるとは思えなかった。
ライが疲弊させたアバドンの状態をどこまで維持できるかが勝利の鍵……剣聖カラナータの助力はその意味では心強い。
とはいえ、ライは一度対峙した脅威を他人に任せきりにするつもりはない。ましてや対話を交わしたアバドンは自らの手で決着を付けると既に決めていた。
「じゃあ、俺は行きますね。次に会うのは……大国同士が手を取り合った後になるかな。その時はコソコソしなくて済むので」
「現実に……そうなるだろうか?」
「なりますよ、きっと」
疑いの色を見せないライにボナートとエメラダは自然と笑みが浮かぶ。
「ああ……そうだな。待っているぞ、ライ」
「その時はまた手合わせ願おう」
「ハハハ。了解です」
二人が見送る中、城の屋外へ出たライは空高く飛翔した。
眼下にはスタグメリント領の主要都市が見える。離れた森の中の一画には切り取られたように更地になっていた。それはアバドンと激戦を繰り広げた場所だった。
(……。何としてもエクレトルで決着を付けないとな)
アバドン特殊分体のラール神鋼は全て回収済み。体力・魔力は万全ではないものの回復はしている。存在崩壊の影響か身体の感覚が麻痺し震えている部位もあるが、動けない訳ではない。アバドンとの決着はこのまま直ぐに付けるつもりだった。
が……ライにはまだトシューラ国内にてやることが残っている。
(さて、と……。流石の大国でもエクレトルみたいに正確な魔力判別の技術はない筈。今のままだとスタグメリント領に大きな魔力痕跡が残っちまうから色々疑われると困る。少し情報の撹乱をしておこうか)
投影幻術にてその身を獣の輪郭を持つ黒い影へと変化させたライはアバドンとの戦いがあった森の中へと移動し《千里眼》を発動。
『風斑ウィステルト』が移動していた速度と同様に調整し周囲への被害が出ないように道筋を選ぶ。そのままトシューラ国内の領地殆どを踏破するように移動を始めた。
基本的に人目に付かぬよう領地を移動し時折わざと騎士団の目に留まるようにその姿を現す。それを各領地で熟しつつ予測の付きづらい経路を往く。半刻かけて最後に向かった先──それはトシューラ王の直轄領。更に進み王都ピオネアムンド付近にて止まった。
流石に半刻もこれだけやれば王都付近は既に防衛陣が敷かれていた。だが、それこそがライの狙いである。
多くの領地を移動し魔獣の姿を目撃させたのには理由がある。一つは原因となったのがウィステルトではなく『本物の魔獣』だと思わせる為のもの。これはいつの日かウィステルトが自由に世界を巡ることができるようにという願いを込めた行為。
もう一つはスタグメリント領での複数の大魔力反応が現地で完結していないと思わせる為である。要はスタグメリント領が注目されよう各領地も魔獣を目撃させ騒動に巻き込んだのだ。
ここまではアバドンとの戦いやウィステルト保護の事後処理。しかし残りの理由はライなりの意図が絡んでくる。
王都手前の平野に陣を組んだ凡そ五万の兵を前に足を止めたライ扮する魔獣。ここで制御している魔力を開放……更に魔法にて音を操作し獣の咆哮を発生させる。これでもかという大音量の圧は凄まじく、大地や森を揺らし軍勢に加わる者の内臓にさえ響き渡る。当然殆どの者の足が竦み動けない。
そんな中でも突撃を掛けてくる実力者も数名存在した。ライは投影した獣の幻影の動きに合わせて騎士達を迎撃、向かって来る者達は全員が大きな負傷を追い吹き飛ばされることとなる。
(……生命に別状はない範囲で後遺症が出ないようにした。直ぐに魔法で回復されるだろうけどその前に……)
『仮初の魔獣』は再び咆哮を上げた後、その口元に魔力を蓄積させ始める。魔法ではなく只の魔力の塊……だが、その密度は非常に濃いものだ。騎士達は流石の練度で防御結界魔導具を起動するも魔獣の攻撃を防げるとは思えなかった。
(現トシューラ女王……ルルクシアだっけ。アイツ、始めから国外の俺を使う気だったな?ある程度で破れる結界張ってアバドンと戦わせようとしたんだろ。アバドンは倒されたことにして各領地の対策を放置させたのも、大陸大戦の戦力を確保しつつ対応した俺が疲弊するように……。だけどな……)
ハッキリ言えばそれは確証の無い計画である。ライが対応しなかった場合、最悪領地が滅ぶ可能性もあるのだ。そこには民が死のうが敵対戦力が運良く削れるなら構わないという意図が透けて見えた。
(こうも踊らされて大人しくしてる程大人じゃないんだよ、俺は。余計な手間掛けさせてくれた礼だ……受け取れ)
蓄積された魔力は……王都ピオネアムンドの城へと放たれた。高圧縮の魔力弾はトシューラの守護軍勢の展開する多重結界を次々と貫通。更に王都に張られた結界をも貫き城の結界と衝突。しばらく拮抗していた魔力弾は上空へ逸れると彼方の空を貫き国を覆っていた結界を撃ち抜き破壊した。
あまりの出来事に混乱する騎士や兵士達。その姿に一瞥を向け三度目の咆哮を上げた魔獣は再び移動を始め近くの森の中へと姿を消した──。
ライが個人の思惑で取った行動の理由は二つある。
一つはペトランズ大陸戦争の準備を遅らせること。
人間の戦争は極論、数の戦いである。戦える者、質の良い武装、物資……。大国トシューラであっても今は目的の為に戦力の拡充や物資確保が必要な時期……それを見越しての魔獣騒動の利用。
国内の戦力確保と国外への戦力派兵では国内の安全確保が優先される為に派兵への準備は遅れることになる。絶対的な女王の権力を以てしてもここで派兵強化を無理強いすれば離叛も起こり得る。それは更にルルクシアの【目的】が遠退くことを意味するので強硬は使えないと当人こそが把握しているだろう。
ルルクシアが切れ者であるならば単身で世界を相手できないことも理解している筈だ。たとえベリドが残した研究成果を使用したとしてもベルフラガが到達した半精霊の力までは望めないだろう。であるならば対応できる戦力は各国にもある為、戦争を有利に傾けるのは難しい。
今回の騒動は必然的にトシューラ各領地が魔獣対策に労力を割くことになる。ライが各地に魔獣の姿を見せたのはそれが狙いであり、準備が遅れればその分シウト国内の内紛を解決し大戦への備えに時間を稼げるという目論見もあった。
そして二つ目の理由……それは意趣返し。
先に述べたようにルルクシアはライをアバドン対策に利用した。トシューラ国に侵入したとしてもライは無駄な被害を出さないだろうと見透かしていたのだ。
暗躍しているライの行動をルルクシアが把握していたのは、恐らくアステ国王子・クラウドからの情報……。アスラバルスから『ペスカーがクラウドに魅了され操られている』と聞いていたのでその結論に辿り着けた。
とはいえ、ライはその性分を利用されたことが不快だった訳では無い。それがライの消耗目的だと分かっていても、たとえトシューラ国の結界が強力で侵入が困難だったとしてもアバドンとの戦いは行うつもりだった。
それでも苛立った理由──。
それは敵味方全てを当然のように使い潰そうとするルルクシアの【狂気】に利用されたことへの怒りだった。




