欲望
この情景に既視感がある。
ぼくが小学二年の頃、家に帰ったときに居間で母がテーブルに伏して眠っていた。理由は、父がぼくたちを捨てたから。泣き崩れて、泣き疲れて、母親は眠っていた。今思えばこの日が境だったと思う、母親が強くなったのは。ぼくのことを想ってのことだ。
そのときは、母は疲れて眠っているのだ、そう思っただけだった。けれど今回の件は違う。不思議と微笑んでしまった。そんな自分に驚いたが、すぐに落ち着く。ドアの内側からノックして声をかける。
「堂さーん」
身動ぎ一つしない。さっきより少し声を上げて、もう一度声をかけた。しかし変わらず。どうしようか、起きても手紙の件があるから大丈夫か、そう考えてぼくは部屋に上がる。彼女に近づいていくと、テーブルの上に白い粉の入った瓶を見つけた。それを見て嫌な予感がした。警察に連絡しろっていうのは、まさか。
彼女の顔に耳を近づける。自分の部屋でぼくが思った通り、彼女は息を殺している。ただ意味はまったく別なのだが。少し離れて彼女の顔を見る。時折見かける顔だ。何度か会釈を交わした顔だ。いつも疲れているのか、無表情に見えていた。けれど今は、ぼくには少し笑顔に見えた。とても綺麗だった。
その瞬間、ぼくの好奇心がすべてを打ち消す。警察への連絡と救急車の手配、そんなことより興味が打ち勝つ。一般的な人間性より自分の欲望、正直碌でもないことを考えているとはわかっている。けれど彼女のことをもう少し知りたい、そう思う気持ちが走り出して止まれない。ほんの少しの時間だけ、時間が欲しい。初めて湧き起こる感情、その正体を知りたい。いや、正体は知っていると思う。これが俗に言う恋なのだろう。
これが恋だとかいうものなら実に滑稽だ。




