隣人
麦茶を一気に飲み干す。誰だ。今までに会ったこともない人からの不審な手紙でしかない。封筒を軽く手探りする。別段何か変なものが入っていそうなことはない。まあぼくが何かに狙われるようなことはない。変なドラマに毒されていると思うと、馬鹿らしくなって失笑する。それを機に封筒を開ける。入っていたのは便箋だけだ。
わたしは隣の二〇四号室に住む者です。これを見たら警察に連絡してください。
それだけだった。事件かイタズラか。二階廊下の最奥の部屋、隣の女性とは会ったことはある。時折玄関前ですれ違うとき、会釈を交わす程度。話をしたこともない。平日はスーツを着ているので社会人、年齢はぼくより少し年上くらいか。予想できることなんざ、その程度の間柄。ぼくが警察に連絡したことを嘲笑うような人にも見えなかったか。だからイタズラではないかもしれない。まああくまでもぼくの印象だけだ。
兎にも角にまずは状況を把握してからだ。でないと警察にどう連絡すべきかわからない。事件性はあるか。ぼくはベランダに出て隣を覗き込む。わかることは、カーテンが開いていて窓際に荒れた形跡はないということ。部屋に入り壁に耳を当てる。少し突飛な行動をしているんじゃないかとも思うが、今は仕方がない。急を要するかどうかもわからないのだから。しかし生活音すらしない。そもそも誰もいないんじゃないか。というか事件に巻き込まれているのに、ぼくの部屋に手紙を入れる余裕なんぞないだろうに。そう自分を馬鹿にして自分を落ち着かせる。この状況が不可解になってきた。ぼくが警察に連絡をするようなイタズラを仕掛けたのであれば、隣にいるはずだ。完全に息を殺して聞き耳を立てているのか。もうそれしかないだろう。
意味がわからない。少し楽しくもある。詐欺の電話だと思われるあれを思い出す。向こうから電話をしてきたのにガイダンスが流れるあれ。いやいや、用事を聞きたいのはこっちなので、そんなガイダンス流されても。あれは今でも声を出して笑える。現状がそれに似ていると思う。興味が勝る。一人暮らしの女性に押しかけるのは本意ではないが、そちらが無作法をしでかしたのだ。少しは驚いてもらおう。
ぼくはわざとらしく足音を立てて玄関に向かう。ドアも気持ち乱暴に開けて隣に向かう。二〇四号室の前に立ち表札を見る。ない。名前を出していない。ぼくも名前を出していないのでおかしいことではないが。ここにきて不安になった。あの手紙が、まったく別の人からのイタズラの可能性もあるということ。この廊下を見通す。誰か見ていないかを注意深く探る。誰もいないか。それを確認して呼び鈴を鳴らしてみる。差出人が違うのなら説明すればいい。そう思いながら少し待ってみた。やはり誰も出ない。仕方ない、出直すことにしようか。そう考えながらドアをよく見ると、完全に閉まり切っていないことに気付く。おやおや、不用心ではないか。だったらいるはずだ。そうなればイタズラをしたのはここの人だ。二転三転する思考もここで終わり。ぼくは徐ろにドアを開ける。
同じ間取り。テーブルのほぼ位置も同じ、玄関から正面に見える。そこに伏せた人が見えた。




