第8話
シミュレーターの使い方はわかったので、次はわたしの番だ。
ブースに入場するが、いきなり半裸グリーン――改めゴブリンに殴りかかったりはしない。あくまで装備の調子を見るのが目的であるので、まずは飛んだり跳ねたり、ダッシュと急ブレーキを繰り返したりする。
それから呼吸を整えつつ、ゆっくりとした動作で型を確認する。これにはゴブリンがいて助かった。わたしはどうも、何もない空間に向って形稽古をすると集中が切れてしまうのだ。ブースの奥は一面に鏡が貼られているが、ああいうのもダメ。細かい部分に気が散ってしまって全体のバランスがわからなくなってしまうのだ。
「おーい、ゴブリン相手に何を遊んでんだよ」
すると外野から野次である。発信元は言うまでもあるまい。
まあいい。だいたい具合はわかった。次は激しい動きでのチェックだ。
ふっと短く息を吐き、丹田に気を下ろす。下半身で練った力を背筋に伝え、肩、肘、拳と一気に流す。右の正拳を叩き込んだゴブリンの頭部が爆散。続く2体は裏拳と掌底で、最後の2体は蹴り技で仕留めた。
手足ともにいい感じだ。ほとんど動きの邪魔にはならず、拳足の威力は高まりつつも返ってくる衝撃は少ない。これなら怪我の心配も減るだろう。
防具についてはわからんけれど、こればっかりは本番で試すしかない。試用で耐久テストなんてするわけにはいかないからね。自分で小突いてみた感じではかなり丈夫そうではあるが。
「……お、思ったよりはやるじゃねえか」
ブースから出ると、鬼嶋が頬をひくひくさせていた。
そういえば鬼嶋はわたしの戦いを牛頭――ミノタウロスへのワンパンしか見てないんだった。あれにしたって不意打ちみたいなものだし、まともに観察できたわけではないだろう。ふっふっふっ、要するにわたしの華麗な戦いぶりにド肝を抜かれてしまったわけだ。
「Waouh! ニンジツ・ジャポーネ! アテクシ、はじめて見たですヨー!!」
そこへ、パチパチパチと情熱的な拍手とともに外国なまりの声がした。
声の主は、純白のワンピースに身を包んだ少女だった。腰まで伸びたプラチナブランドは鬼嶋の金髪と違って気品を感じさせ、ぱっちりした双眸はアクアマリンでも嵌めたように透き通っていて、現実感が乏しくなるほどに儚げで美しい。どこぞの妖精の国のお姫様と言われても信じてしまうレベルの美少女だ。
妖精美少女が、ワンピースの裾をちょんとつまんで軽く膝を折る。
か、カーテシーってやつだっけ? 外国のお嬢様なのかな?
「アテクシはブランシュ! ブランシュ・ド・セレスティエと申しマスの! ブランでだいじょーぶデスわ! おひけえなすっテ!」
「お、おひけえなすって。手前、姓は火ノ坂、名は朱莉と申すケチなもんでござんして……」
反射的に中腰で右手を差し出し、仁義を切って応じていた。
え、ちょま、カーテシーにおひけえなすって?
動作とセリフがあってなさすぎて脳がバグるんですけど?
っていうかバグったんですけど?
誰だよ、間違った日本語を教えたやつは。
そして幼稚園児のわたしに面白がって仁義の切り方を仕込んだじいちゃんも恨むぞ。
「ギリ! ニンジョー! ヤクーザ! アテクシも、祖国の名誉にかけまシテ、ニンジツのお礼をお見せしなくてはデスね!」
わたしの葛藤など知らないブランは日本文化に大喜びだ。
花の咲くような笑顔でブースに入っていく。
「復号!」
小柄で細身な体が光の粒子に包まれた。
粒子が消え去った時、現れたのは全身を白銀に輝く金属鎧で覆った姿だ。広い面は板金、関節は蛇腹状の金属部品で覆われている。兜こそ素顔の見えるオープンヘルムだが、それを除けば地肌が見えるところはない。
そして何より目を引いたのは、高々と掲げている鉄塊だ。
一抱えはある金属の槌頭を持ったそれは、一見して打ち出の小槌のように寸詰まりに見えたが、それは比率の関係で柄が短く見えているだけだ。実際には鬼嶋の木刀よりもリーチが長いだろう。
うーん、すごい装備だけど……。
「……ねえねえ、アレって100点超えないの?」とキリ先輩に小声で尋ねる。わたしの軽量装備でさえ70点なのだ。あの重装備では何点になるかわかったものではない。
「重装備はそれはそれで動きの邪魔になるから意外と低ポイントなんだけど……。さすがに軽量化のエンチャントがされてるんじゃないかな? たぶん、競技用のモデルじゃないと――」
ずん、ずん、ずん。
ブランが歩くたび、重い足音が床に響く。
「――訂正。たぶん、見た通りの重さだね。ポイントは規定に収まってると思う」
「マジっすか」
あの妖精みたいな女の子が、自分の体重を軽く超えるだろう鎧を着て平気で歩いている姿は、出来の悪い生成AI動画みたいだった。
「スイッチ! おなしゃース!」
「えっ? あっ、うん」
漫画じみた巨大ハンマーを背負ったブランに気圧されて、わたしの手は反射的にゴブリンの出現スイッチを押していた。
――粒子が凝集し、ゴブリンが実体化した瞬間。
「Prêts? Partez!」
それは日本語ならば「よーい、ドン」にでも当たる言葉だったのか。
振り絞った弓から放たれた矢のように、ブランが飛び出す。
強烈な蹴り足に床板が砕かれていた。
兜からこぼれる金髪が水平にたなびいている。
戦鎚が颶風を巻き上げる。
槌頭がゴブリンの上半身をすり抜ける。
空振り――いや、空振りなんかじゃない。
通り過ぎたあとにゴブリンの上半身は残されていなかった。
下半身だけが数歩よろめき、粒子に変わる。
わずかな減速すらなく、微塵に砕いていたのだ。
颶風、颶風、そして颶風。
風がこちらまで届き、前髪を揺らす。
風が止む。
「Fin du combat! いかがだったかしラ?」
いつの間にか汗ばんでいたわたしの手のひらとは対照的に、腰の飾り布をつまんで華麗なカーテシーをするその笑顔には、汗のひと粒すら浮いていなかった。




