第65話
なんつう圧力だ。
津波は膝までの高さでも、何かにしがみつかなければ立っていられないという。
ならば、目の前のこれはなんだ。
見上げるような大波が押し寄せているような、抗いようのないすさまじい圧力を感じる。
「OuaaarrrrrrRAAAAAAHHHHHH!!」
気勢と共に振るわれる巨大ハンマーは、颶風をまとい縦横無尽に大気を引きちぎる。勢い余った打撃が石畳を砕き、破片を撒き散らす。気を抜けば風圧だけで体勢を崩しそうだ。かといって、大きく避ければ隙を生む。ぎりぎりを見極めてかわし、かわし、かわし――そして打つ!
「Aïeッ!?」
下げた肘を支点に鞭のごとく腕をしならせて放つフリッカージャブ。その先端がブランの顔面に突き刺さる。だが、仰け反りはしない。微動だにしない。まるで地中深く打ち込んだ杭を叩いたような感触。なんちゅう首の強さをしてるんだ。垂れた鼻血はわずかな光の粒子に変わり、ダメージの痕跡は一瞬で消えて失くなる。
「これくらい、へっちゃらデスよッ!!」
だが大波は止まらない。かするだけでも骨を持っていかれそうな致命の一撃が、横薙ぎに、袈裟懸けに、逆袈裟に、唐竹に、振り上げに、ありとあらゆる角度から押し寄せる。荒波に翻弄される木の葉のように、左に流れ、右に流れ、身を屈め、とんぼを切ってかわしきる。残機は1。当たれば終わりのオワタ式弾幕ゲーム。狭まりそうになる視界を無理やり広げ、無心になってかわす、かわす、かわす。
「スタミナ切れを狙っても無駄デスよッ!」
「そんなせこい作戦、最初から狙ってないってさッ!!」
左逆袈裟を倒れ込むようにくぐり抜け、地面についた右を軸にコンパスのように回転。地をなぞるようなローキックをふくらはぎの裏から叩き込む。カポエイラの蹴り技のひとつ、ハステイラだ。すね当てとすね当てがぶつかる金属音。大樹の根本を蹴ったかのような感触。身を捻って地面を転がり、降り注ぐ鉄槌をかわす。轟音と共にダンジョンが揺れる。天井から砂埃が舞い落ちる。
「ったく、馬鹿みたいに体幹が強くなってない?」
「Oui, bien sûr! アテクシも毎日鍛えてマス! 成長するのはアカリさんたちの特権じゃありマセン!」
ま、そりゃそうだよね。っていうか知ってた。
パラリンピック強化選手にしてインフルエンサーでもあるブランは、普段の練習風景もちょくちょく動画にしてアップしているのだ。最近ではリアルの基礎鍛錬に力を入れており、バランスボールやトランポリンでびよんびよん跳んでいた。
立てないのにどうやって……と思うかもしれないが、お尻と上半身のバランスだけでそれをやってのけるのだ。並の運動神経ではない。両足が健在だったなら、他のスポーツでも一線級の選手――それこそオリンピックに出場していても不思議ではないほどだ。
なお、肉体鍛錬の重要性は江の島での祇園精舎ダンジョンのときにうっかり漏らしてしまった。いや、隠すつもりもなかったんだけど。キリ先輩や鬼嶋の動きが見違えていたことから、雑談の流れで最近の練習メニューについて話したのだ。
ま、それはそれとして――
「成長してもらわなきゃ、こっちだって挑戦を受ける甲斐がないってもんだけどね!」
「Mmmmmm!? どうしてアテクシがチャレンジャーになっているデスか!?」
いまは、目の前の戦いに全力を尽くすのみだ!
* * *
ブランシュ・ド・セレスティエは高揚していた。
血が熱い。全身を流れる血が溶鉄に置き換わったかのように滾っている。自然と笑みがこぼれる。もっと速く。もっと速く。もっと速く。もっと強く。もっと強く。もっともっと力強く。
それは、かつてこの両足が健在だった頃。
École de danse de l'Opéra national de Paris――パリ・オペラ座バレエ学校で、Danseuse étoileを目指して練習に打ち込んでいた頃の高揚。心に描いた理想の演技を追い求め、文字通り血の滲む努力を重ねていた日々。
事故に遭ったのは十歳の時だった。
持病の発作を起こした運転手が、自動車で歩道に突っ込んだ。
そしてその歩道には、夢に燃えるPetite danseuseがいた。
たったそれだけの、ありふれた不幸。
脚本にもならない、唐突な不幸。
それが、ブランの夢を永久に奪った。
ダンジョン道に出会えたのは偶然だった。
塞ぎ込み、リハビリにも身が入らなかったブランを見かね、作業療法士が気晴らしに進めてくれたのだ。
初めてのダンジョンでいきなり立てた……なんて都合のよいことは起きない。
だが、触れても抓っても何も感じなかった足が、そこでは確かに感覚を伴って身体に接続されていた。一時間、二時間、あるいはもっとだったかもしれない。必死になって試すうち、親指の先がわずかに動いた。
それはブランの意志などではなく、筋肉の痙攣だったのかもしれない。あるいは何か別の反応だったのかもしれない。
しかし、ブランにとってそれは天啓だった。
ダンジョンであれば、焦がれるほどに思い描いた理想の演技を追い続けられる。
かくして、ひとつの才能が開花した。
それはあるいはバレエダンサーとしても世界の頂に咲き誇ったものかもしれない。だがしかし、それはありえぬ世界の翻案だ。ひとりの天才の物語は、バレエではなくダンジョン道で再創造されたのだ。
そして、新たな物語は、もうひとりの天才の物語とぶつかり合って、さらなる進化を遂げようとしていた。
「OuaaarrrrrrRAAAAAAHHHHHH!!」
――その身がはち切れんばかりの、歓びと共に。




