第56話
しかし、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と云う。
男は愛嬌、女は度胸とも云う。
調子を合わせてごまかしていてはもっとひどい事態になりかねない。
わたしは覚悟を決めてその一言を口にする。
「と、ところですみません。どこのどちら様でしょうか。た、たぶん人違いじゃないかなあって、思うんですけど……」
恐る恐る言うと、ポニテちゃんの笑顔がぴしりと固まった。
それから、目がうるうると滲み、やがて決壊してぼろぼろと涙を流し始めた。
「うわ~~~ん! やっぱりあーしのことなんて覚えてないっすよね!」
「うっわ、ひでえ……」
「おぼえてなかったとしても言いようが……」
ポニテちゃんが泣き出して、鬼嶋とキリ先輩の冷たい視線が突き刺さる。
「ちょちょちょちょ、待ってくださいよ!? いや泣かしちゃったのはホントごめんだけど、マジで知らないんですってば!? さすがにお姉様なんて呼ばれてたら絶対おぼえてますって!? 人違いなんですよ!」
必死に無罪を訴える。
自分で言ってて思ったが、「お姉様」なんて呼ぶ相手がいて忘れるわけがない。これは無実だ。わたしを陥れるための陰謀に違いない!
「でも火ノ坂だしなあ」
「アカリちゃんだしねえ……」
「ちょっ、わたしってどういうキャラだと思われてるんですか!? 確かに期末は赤点ギリギリでしたけど、そこまで頭悪くないですからね!?」
己の名誉を守るため、必死で抗議をしていたら、
「そうっすよ! お姉様は馬鹿なんかじゃないっす! とっても知的でクールな大人の女性なんすよ!!」
「「「えっ」」」
思わぬところから擁護が来て、三人で変な声を出してしまった。
「お姉様は同じクラスでいじめられていたあーしを助けるために、不良たちをぶっ飛ばして代わりに標的になってくれたんす! そういう賢い策が練れるクールな頭脳の持ち主なんすよ!!」
「んん? ちょっと待って」
「はいっす!」
一言言うと素直に口をつぐんでくれた。
びしりと気をつけの姿勢なのが気になるが、この隙に記憶を探らせてもらおう。ええっと、自分の学校で不良をぶん殴ったのはそんな最近のことじゃないはずだ。何度か返り討ちにしたら学校内に手を出してくるやつらは結構早めにいなくなって、主な敵は学外になったはず。だからこの子と出会ったのも中学校の入学早々のはずで……。
「あっ」
思わず手のひらをぽんと叩いてしまった。
「もしかして、細工町さん……?」
「はい、自分は細工町巧魅っす! 思い出してくれたんすね! 自分、感激っす!! 」
ようやく心当たりの名前を絞り出したら、思い切り抱きつかれた。
身長差のせいで顔が胸に埋まる。く、苦しい……。つなぎで目立っていなかったが、この子の持ち物はミノさんに匹敵するのではあるまいか……。
「ちょ、ちょっと離れて。そ、それにしてもずいぶん変わったね」
「はいっ! 三年で身長が30センチ以上伸びたっす!」
おおう、そんなに伸びたのか。
それじゃ印象が変わっていて当然だ。
それに、中学の頃はもっと大人しい雰囲気で、黒縁の太い眼鏡をかけていた気がする。なもんだから不良連中にからかわれ、苛ついたわたしがぶん殴った……というような流れだった気がする。血に彩られた中学時代の記憶は封印していたから、すっかり思い出すのに苦労してしまった。
そっかあ、三年も会ってなかったのかあ。
そのうえそんなに背が伸びていたらわたしが気が付かないのもしかたがない……って、
「……それって、中学でもほとんど絡んでなくない?」
「はいっす! お姉様は2週間ぐらい登校して、あとはほとんど学校に来なかったっすから!」
おおう……。
これって、むしろ名前を思い出せたわたしグッジョブじゃないか。
キリ先輩と鬼嶋に「どーだ、わたしは無罪でしたよ」という視線を送ると、目をそらされた。むむむ、謝罪と賠償を要求するぞ。今度アイスでも奢ってもらおう。
「でもよ、それだけでお姉様呼びってのはちょっと腑に落ちねえんじゃねえか?」
わたしの視線に耐えかねたのか、鬼嶋が口を開いた。
まあ、たしかにそこはわたしも気になる。
恩義に感じてくれるのはわかるが、それでいきなり「お姉様」っていうのはさすがに理屈が合わないだろう。
「はいっす! そんなことはないっす! お姉様はあーしのことなんか覚えてなくても、あーしはお姉様のことをちゃんと見てたんす!」
見てたも何も、2週間くらいでろくに登校できなくなってたって自分で言ったばかりじゃないか。なお、こちらもわたしの記憶と一致している。たちが悪い連中はわたしだけでなく周りの人間まで的にかけるから、おちおち学校に通うこともできなかったのだ。あれがなければわたしの成績はもっとマシだったのではなかろうか……。
「はいっす! 学校ではお会いできなかったっすけど、学校外でずっと見てたっす! たとえばあの伝説の十乗寺下り松の決闘! 百人の武装した暴走族を相手に、たったひとり、それも素手で圧勝したあの戦いは自分の中でもお姉様伝説のベスト3は固いっす! せっかく動画をアップしたのに、すぐ消されちゃったのが残念でしたけど……。はあ、お姉様の勇姿はもっと世界に知られるべきなのに……!」
あー、アレかあ。
たしかに結果として相手は百人ぐらいになったかもしれないけど、いっぺんにやりあったわけじゃないからなあ。隠れる場所も多かったし。ちくちく戦力を削っていたらお代わりが追加されていった結果のことだ。戦力の逐次投入は愚の骨頂だと歴史の授業で習わなかったのか――って、そういう話じゃない。
「ちょ、ちょっと待ってね? いま、動画って言った……?」
「はいっす! 言ったっす! お姉様の勇姿は可能な限りカメラに収め、可能な限り拡散に努めてきたっす!!」
「マジかあ……」
「どうしたっすか?」
「い、いや、ごめん。色々な思いが交錯しすぎて適切なリアクションがわからなくなってるところだからちょっと待ってて」
軽い頭痛をおぼえ、こめかみを押さえながら考える。
中学時代は確かに派手に暴れてしまったが、所詮は学生同士の喧嘩である。後半は半グレやヤクザも巻き込む形で抗争が拡大していったから噂になるのも仕方がないが、わたしの悪名はそれ以前から広まっていて、いま冷静に振り返ってみるとどう考えても不自然だ。
その不自然も、わたしの戦いを記録し、いちいちネットに拡散していた人物がいたとしたら辻褄が合う……。
「あ、ちなみに『赤鬼』って異名を考えたのも自分っす! 『赤い死神』とか『紅蓮の拳』とか色々考えたんすけど、やっぱりシンプルなのが一番だと思いまして!」
「あ、あはは……そうだったんだ……」
あまりに無邪気なその笑顔に、乾いた笑いを返すことしかできなかった。




