第18話
時間感覚がおかしくなっていた。
じいちゃんに置き去りにされてから、何時間過ぎたのか、いやひょっとして何日なのか、むしろ反対に数十分しか経っていないのか。全然わからない。
何しろ景色がまったく動かないのだ。
太陽は中天を超えたあたりのままだし、ウサギに似た形の雲はウサギの形のままだ。木々の先端を眺めていてもこゆるぎもせず、根本の草むらを揺らす生き物もいない。
自分の他に動くものは何もなく、じっとしていると、自分の息や、心臓の鼓動までが耳鳴りのように響く。風も匂いもない空気には何の主張もなく、何も感じない肌はやがて世界との境界を曖昧にしていく。
それがたまらなく恐ろしくて、意味もなく巨石の岩肌をさすったり、雑草を撫でたり、自分の鼻を摘んだり、耳を引っ張ったり、奇声を上げて地団駄を踏んだり、そこらをダッシュしたりする。
こうでもしないと、「いま自分がここにいる」感覚まで失われてしまうようで、恐ろしいからだ。
まさかとは思うが、時間が停止しているというようなことはあるまい。
それなら色々な利用法が思いつく。夏休みの最終日に宿題を片付けるとかさ。
そんな便利なものが人知れずにいられたとは考えにくく、外では普通に時間がすぎているのだろう。
じいちゃんが消えた直後は張り切ってあれこれ調べたり試したりした。
まず巨石。
軽く蹴ったり叩いたりしたが、がっちがちに硬い。
重量のせいでびくともしないため、掌底で軽く叩くだけでもほんのり痛い。動かないものは衝撃を逃さず、反作用も余さず伝えてくるのだ。
じいちゃんが拳を打ち込んだところはもちろん、そこ以外もくまなくチェックしたが、特別に脆い場所などは見当たらなかった。完璧にがっちがちである。
こういうのって、「石の目を読む」みたいなことをしてさ、弱点を脱力して打つとあっさり割れる的な、そういうのがお約束じゃん。でも、この巨石についてはそんな漫画的お約束など通用しないらしい。まあ、じいちゃんもどう見てもめっちゃ力んで打ってたしな……。
次に周辺。
最初に「半球形の透明な壁に覆われているのではないか」という仮説を立てたが、これは正しかったようだ。巨石を中心に、半径20メートルほどのところで空間が仕切られており、その向こうにはいけそうにない。透明な壁も巨石同様にがっちがちなのだ。
巨石以外の抜け穴がある……というオチでもないらしい。まあ、じいちゃんが目の前で脱出して見せたのだから、そんな抜け道はないだろうけれども。
なお、徐々に空間が狭まってきているんじゃないかと不安になったので、時々壁の位置を確認している。いまのところ動いたりはしてないようだ。透明な壁に潰されて圧死するなんてことはないようで、ひとまず安心材料。
地面もすり足で全面チェックした。数か所ほど掘ってみたりもした。
土そのものは普通だが、20センチほどで硬い層にぶつかって、それ以上は1ミリたりとも掘り進められない。たぶん、地中にも透明な壁があるのだと思う。すぐ向こうが土だから見た目ではわからないけど、土を払うと見事に平らだからだ。
地面と言えば、じいちゃんがあの一撃を放ったあたりもよく観察した。
普通に見ていたときにはわからなかったが、何か特別な運足をしているのではないかと疑ったのだ。「拳打は上半身だけで打つものじゃない。むしろ下半身の動きが重要なのじゃ」とは、じいちゃんから耳にタコができるほど聞いた言葉である。
調査結果は――なーんもわかんなかった。
そもそもわたしは探偵でもなんでもない。地面に残った足跡なんてよほどはっきり残ってないと見分けることもできないし、そんな素人にもわかるほどの目立った痕跡は見つけられなかった。
うーん、手詰まりだ。
要石の周りをぐるぐると歩きながら考える。
じいちゃんの稽古は厳しいが、理不尽なものは一切なかった。
仙人みたいな見た目をしているが、ごりごりの合理主義者でもある。
何しろ道場に「可惜身命」なんて標語を掲げるくらいだ。
これは「あたらしんみょう」と読み、「身体や命を大切にしよう」という意味である。武術とは自分の身を守ることが第一であり、第二は健康維持のため、という考え方なのだ。
ヒントは必ずあるはずだ。
関係のありそうな出来事を振り返ってみると――
・キリ先輩や鬼嶋は、ダンジョンでは余裕で避けられる簡単なトラップを、現実では避けられなかった
・ブランは、現実では車椅子なのにダンジョンではアメコミのヒーローみたいなパワーを発揮していた
この2点から考えられるのは、「ダンジョンでは現実以上の力が発揮できる」というシンプルな結論だ。じいちゃんは、「ダンジョンに夢中になると体の鍛錬を怠りがちになる」とも言っていた。逆に言えば、ダンジョンでは心が鍛えられる……つまり、心持ちひとつでパワーアップができるということなのではないだろうか。
それから、じいちゃんが放った一撃を改めて思い出す。
その威力にばかり意識が奪われていたが、インパクトの瞬間、すさまじい閃光が発生していなかったか?
うーん、どうも嫌な予感がする……。
確認のため、石を拾って巨石に向けて思いっきり投げつけてみる。
うむ、光らない。
何度も試すが、衝突の瞬間に光ることは一度もなかった。
わずかに岩が削れたり、ひびが入ったりはした。
そして、傷ができると光が集まり、元通りに修復される。
「げえ、やっぱりかあ……」
嫌な予感が的中してしまい、思わずため息が出る。
基本的に、ダンジョンで壊れたときに光を放つのは、精神体だ。
では、じいちゃんの一撃で生じた閃光の源は何だったのか。
もう考えるまでもないだろう、じいちゃんの右手だ。
右拳が砕け散るほどに、強烈な打撃を叩き込んだということだろう。
いや、ひょっとしたら本当に砕け散っていたのかもしれない。
勝手に岩を貫いたものと思い込んでいたが、その痕跡である穴を直接確認したわけじゃない。修復の光に隠れた場所に、穴があるだろうと思い込んでいただけなのだ。
なるほど、それなら確かにダンジョンでなければ教えられない技だ。
現実でそんなことをすれば、武術家生命どころか日常生活にも支障をきたす後遺症を抱えてしまうこと請け合いだろう。
わたしは巨石に向って構えると、ゆっくりと呼吸を繰り返し、精神を統一した。
目をつむり、自分に言い聞かせるように繰り返す。
この身体は現実じゃない。
この身体が傷ついても、現実に影響はない。
現実の身体じゃないから、現実の限界を超えられる。
心が思い描いたとおりに、いまこの身体は動かせる。
目を見開き、奥歯を噛み締める。
右拳を引き、踏み込み、そして放った。




