第17話
さっそくトレーニングを開始したキリ先輩と鬼嶋を道場に残し、わたしとじいちゃんは裏庭を抜けてゆるやかな山道を上っていた。
裏山――といっても、せいぜい丘のようなものだが――も、じいちゃんの持ち物で、我が家の敷地になっている。子供の頃は虫取りをしたりしてよく遊んだものだった。
「じいちゃん、どこ行くの?」
「着けばわかる。何、すぐじゃ」
わたしには先輩たちとは別の特訓があるとのことで連れ出されたのだが、目的地を聞いても教えてくれない。もったいぶってるとかじゃなく、たぶん面倒くさいだけだろう。じいちゃんはそういう人だ。
「じいちゃん、ダンジョン嫌いじゃなかったんだね」
無言で歩き続けるのも退屈なので、適当な話題を振った。
まさかじいちゃんがダンジョン動画をチェックしているだなんて想像もしていなかったから、普通に気になっていたというのもある。
「嫌いなどと言うたおぼえは一度もないのう」
言われてみればそうだったような……。
嫌いとは言わず、「こんなものは毒だ」とか何とか言ってチャンネルを変えるのが常だった気がする。
「じゃあ、じいちゃんはなんでダンジョンを禁止してたの?」
「さっき言うたじゃろう。ああさせたくはなかったからじゃ。ま、初めてしもうたものを今更やめろとは言わんさ。あの娘らにも迷惑がかかるじゃろうしな」
じいちゃんは面倒くさそうにため息をつく。「ああ」というのは、先輩たちのことだろう。
「ダンジョンにばかり夢中になると、現実の体の鍛錬を怠りがちになる。心の動きと体の動きが一致せんのは危ないことじゃからの。それに、現実とダンジョンでは違うことが多すぎる。ダンジョンが女子供の遊びとされて、男がやらんのはちゃんと理由があるんじゃよ。現実の戦に出る男どもには毒になりかねんのじゃ」
初めてダンジョンに潜ったときのことを思い出す。
光の粒子となって消えていくゴブリンを見て、「残心いらずで楽だなあ」と思っていたが、あれが当たり前だと思っていたら現実で手痛いしっぺ返しに遭っていたかもしれない。死んだふりをしたヤクザがドスを投げつけてくるとか普通にあったしなあ。
「とくに、おぬしにダンジョンをやらせたら、のめり込むのが目に見えておったからのう。あぶなっかしくてしょうがないわい」
そう言われてはっとする。
部活を始めようとしたきっかけは、高校でのぼっち生活を遠ざけ、次なる恋を見つけるためだったはずである。それがいつの間にか、男子もいない、部員総勢わずか3名のダンジョン部に一生懸命になっていた。
そっかあ、わたしはダンジョンにのめり込んでいたんだ。
自覚してみると、恥ずかしいような、誇らしいような、なんとも言い難いくすぐったい気持ちで内股がもぞもぞする。
「さて、着いたぞ」
じいちゃんが足を止めたのは、山頂の広場だった。
中央にはしめ縄が張られた巨石がある。
大の男10人が手を繋いでやっと囲えるような大きさはなかなかのものだが、おまんじゅうに似た形には特段の面白みもない。風雪に晒された岩肌はつるりとしてとっかかりもなく、幼いわたしは何度も登ろうとしてずり落ちたものだ。
「着いたぞって言われても……」
「いいからそこに座れ」
巨石をぐるりと囲むように、似たような形の石が並んでいる。
こっちは抱えられる程度の大きさで、腰を下ろすのにちょうどいい。
たしか巨石を親に見立てて、子石って呼んでいたはずだ。
「座ったけど、どうすんの?」
「潜るぞ」
「はい?」
じいちゃんが「鋭っ」と気合をかける。
修験装束と相まって雰囲気はあるが、別に何事も起こらない。
春にふさわしくない、どこか寒々しい風が吹き抜けていった。
ひょっとして、じいちゃん……
「ひょっとして、ボケちゃった?」
「誰がボケるかっ!」
心配したら、目を剥いて怒られた。
なんだよう、身内の高齢者の認知機能の健康状態が気になってしまうのは家族として当たり前じゃないか。
「朱莉よ、本当に何も気づかんか?」
「え?」
じいちゃんの試すような目つきに、わたしは背筋を伸ばして意識を集中した。
じいいちゃんがこの目をしたときには絶対に何かあるのだ。
そして、自分でわからないとキツイ修行を申し付けられるのだから気が抜けない。
ゆっくりと息を吐き、何も見逃さないようにしようと集中力を高めた。
静止した水に、そっと体を浮かべるようなイメージだ。
周囲の音がすうっと遠ざかり静寂の中に意識が落ちていく。
ふふっ、今のわたしなら千里先で落ちた針の音も聞き逃さないだろう――
――って、あれ?
「何も音がしない?」
鳥たちの囀りも、木々の葉が擦れる音もしない。
よくよく見れば、広場を囲む木々は書割のように静止して、風に揺れる様子もない。立ち上がって広場の縁まで行き、木に触れようと手を伸ばすと、途中で何かにぶつかった。
「うーん、なんじゃこりゃ?」
透明な壁のようなもので遮られていた。
全周を確かめたわけではないが、内側にわずかに湾曲している感じからすると、巨石を中心に半球状に透明な壁で覆われている気がする。
そして匂い。
いくら鼻をひくつかせても、つい先程まで漂っていたはずの、木の香と腐葉土が混ざった森の匂いがなくなっている。
この感覚を、わたしは知っていた。
「もしかして、ここってダンジョン……?」
「左様。やっと気がついたか」
じいちゃんが満足げに口ひげをしごく。
「この要石はな、古くから巫女が託宣を得る神聖な岩だったのじゃ。昔は談女誣と言ってなあ。いまは天然ダンジョンなどと風情のない言い方をするが――何百年、何千年も前から祀られておったのじゃよ」
ほえー、これが天然ダンジョンかあ。
まさか実家の裏にあったとは。
見かけは現実とまったく変わってないけど、どこもこんな感じなんだろうか?
最近見始めた動画なんかじゃ、だいたいガラッと様子が変わるもんだけど……
「こういう場所は珍しくない。観光の役には立たんから、あまり人には知られておらんがの。せめて景色ぐらいは変わらんと潜っても面白くないじゃろう」
わたしの考えを読んだかのように、じいちゃんが説明してくれる。
「じゃあ、なんでそんなとこに連れてきたの?」
「まあ見ておれ。あー、その前に、説明せねばならんことがあった」
じいちゃんは肩を数回まわすと、腰を落として構えを取った。
巨石に向き合いながら、深い呼吸を繰り返す。
「このダンジョンは特殊でな。これをしないと外に出れんのじゃ」
ほうほう、して、これとは――
「これじゃぁぁぁあああ!!」
刹那、じいちゃんの体が大きく膨れ上がったような気がした。
網膜を刺す閃光。
腹底に響く轟音。
顔面を打つ突風。
正拳。
打ち終わりの型。
右腕の肘から先が消えてなくなっている――
否、巨石に突き刺さっている。
突き込まれた腕を中心に広がったひび割れの広さが、その拳撃の凄まじさを物語っていた。
「出口の鍵は要石にある。合宿のうちに出られるといいのう。では、健闘を祈っておるぞ、わが孫娘よ!」
左手の親指を立てたじいちゃんは、光の粒子となってさらさらと消えていった。それはまるで、何かの映画のエンディングのように、儚く美しい光景だった……
って、現実逃避なんかしてる場合じゃない!
じいちゃんがいま見せた技ができないと、ここから出られないってこと!?
やり方どころか技の名前すら聞いてないんだが!?
あ、待て待て、焦るなよ。
じいちゃんが開けた穴があるじゃないか。
最悪、そこに手を突っ込めば脱出は可能だろう。
昔から修行には厳しいじいちゃんだったが、まさか脱出不能のダンジョンに閉じ込めるような真似はしないはず――
穴の方に視線を向けると、ぽわわわんと淡い光で覆われていた。そして、それが収まったときには、もとのまんじゅうのように滑らかな岩肌が姿を表していた。
当然、穴どころかひび割れのひとつも残っていない。
「マジかぁぁぁあああああああ!!!?」
思わず漏らした悲痛な叫びが、書割のような景色に跳ね返されて、幾度も幾度も木霊を繰り返していた。




