第15話
電車だけで4時間である。
乗り継ぎしながら実家の最寄り駅に着いたときには、3人とも若干ぐったりしていた。始めのうちこそ小旅行気分を楽しめたが、新幹線ではなく在来線の乗り継ぎだ。3泊4日分の荷物を担いでの移動は普通にしんどかった。
神奈川県西部から実家のある埼玉県西部は直通する路線がなく、一回東京を経由しないとダメなのだ。ぐるっと大回りをするため、やたらに時間がかかる。地図アプリで調べたら、車なら半分の時間で着くらしい。格安の自動運転タクシーの登場を切に望む。
景色も特段面白くない。
駅前にはちょっとした繁華街があり、それを抜けると一軒家と低層のマンションやアパートが入り交ざった住宅街。まあ、どこにでもある地方都市だ。
「な、なにこれ……」
「おいおい、どうなってんだよ……」
「あは、あははは……」
そうしてたどり着いた先、どこにある空間の一角に、突然異物が現れた。
瓦葺きの切妻屋根がのった棟門に、左右に伸びる海鼠塀は浮いてるっちゃあ浮いてるが、これに驚いたわけではないだろう。
驚いた理由は、門にも塀にもびっしりと書き込まれた落書きだ。
「死ね赤鬼」「赤鬼ぶっ殺す」「赤鬼上等」「勝負しろや」などなどはかわいいもので、「巨凶」「殺人鬼」「人肉マニア」「こいつが真犯人」と言った謎の告発、それから「赤鬼は■■」「◯◯◯◯」「※※※※女」「▲▲子の家」といった下品なものまで誹謗中傷のオンパレードだ。伏せ字は各自で想像してください。女の子が口にしてよい単語じゃありません。
「わたしが住んでたときはちょくちょく消してて、こんなひどくなかったんですけどね」
正確には、落書きに来たチンピラを適宜とっ捕まえ、連帯責任として溜まった落書きをまとめて消させていたのだが……じいちゃんはそういうマメなことができるタイプじゃないからなあ。面倒で放っておいているらしい。こんなん放置してたらご近所様からも苦情が来るぞ。
「そ、そうなんだ……」
「お、おう……」
キリ先輩はもちろん、鬼嶋まで引きつった笑いを浮かべている。
あー……、だから嫌だったのだ。絶対ドン引きしてるよなあ。
ダンジョン嫌いのじいちゃんのこと、絶対断られるだろうと思ってメッセージを送ったのに、返ってきたのは「おっけぃ♥」という軽いスタンプひとつ。わたしの思惑はあっさりと外れ、合宿実現の運びとなってしまったのである。
「ま、まあ中は大丈夫なはずなんで……」
勝手門をくぐると、ちょっとした日本庭園が広がっている。
わたしは見慣れたものだが、キリ先輩と鬼嶋は「わぁ」と感嘆のため息を洩らす。
じいちゃん、こっちはきれいにしてるんだよなあ。
敷地内に手を出すとじいちゃんがガチギレするから、不良たちもその一線を踏み越えない。外見は気にしないのに、自分自身の目に映るものが汚されるのは気に入らないという意味不明かつ面倒くさい性格なのである。
敷石を踏んで母屋の玄関に。
引き戸を開けて、「ただいまー」と大声で言うが返事はない。
なんだ、出かけてるのかな?
帰省の予定は伝えていたのに。
背後で引戸が閉まるびしゃんと硬い音がして、反射的に振り返った。
鬼嶋が乱暴に閉めたんだろう。まったく他人んちでも大人しく出来な――
――わたしの意識は、そこで途切れた。
* * *
引戸が閉まる音に、切光桐子は驚いて振り返った。
咄嗟に鬼嶋虹心を見やるが、彼女も驚いた顔をしている。
一体誰が締めたんだろう? まさか自動ドアじゃないだろうし……
「おい、火ノ坂がいねえぞ?」
廊下を振り返ると、火ノ坂朱莉の姿がない。
その代わり、板張りの床に一枚の半紙が落ちていた。
半紙を拾うと、達筆でこんなことが書いてあった。
『第一の修行
奥の道場まで来い』
「修行だあ? 道場に行くだけで修行ってのはどういうこった? ……あたっ!?」
鬼嶋が片眉を上げた瞬間、何かが飛来して鬼嶋の額を打った。
カランと床に転がったのは、先端を丸い布で包んだ矢だった。
「ふぉっふぉっふぉっ、お主らの柔い足で、はたして道場までたどり着けるかのう」
老人の声がした。
廊下の突き当りに、天狗の面を被った修験装束の男が弓を構えていた。
「もしかして、アカリちゃんのおじいさんですか?」
唐突な不審者だったが、普通に考えれば正体は朱莉の「じいちゃん」としか考えられない。いまひとつ状況が掴めないが、とりあえず世話になるのだからと桐子は丁寧に頭を下げたのだが――
「てやっ」
「あいたっ!?」
桐子のつむじに矢が当たった。
「な、何するんですか!?」
「察しが悪いのう。修行に行った道場で実力を試されるなんて、少年漫画でお約束の展開じゃろうがい。そうじゃなあ、制限時間は30分じゃ。それまでに道場にたどり着けなければ修行の話はなし。合宿も中止じゃ! これで本気になるかのう」
老人の言葉に、鬼嶋がにやりと笑う。
「へえ、オレたちの実力を試そうってわけか。おもしれえじゃねえか!」
「てやっ」
気炎を上げる鬼嶋に、天狗面が矢を放つ。
「こんなもん、奇襲じゃなきゃ当たるかよ! ……いてえっ!?」
矢をかわして踏み出した一歩が床板を踏み抜いていた。
床が脆かったわけではない。
そういう仕掛けだったのだ。
踏み抜かれた床板がシーソーの要領で跳ね上がり、鬼嶋の脛をしたたかに打っていた。
「ふぉっふぉっふぉっ、罠もあるから気をつけるのじゃぞ。ふぉーっふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっ」
天狗面は軽やかに跳躍し、天井板をひっくり返してその穴に姿を消した。
「ちくしょー、最初から飛ばしてくれるじゃねえか」
「真剣に稽古をつけてくれる気があるってことだよ……ね? きっと?」
「疑問形やめてくれよ……」
しかし、疑問に思ったところでしようもないし、本当に合宿中止にされてしまったらたまらない。
桐子と鬼嶋は覚悟を決めて、火ノ坂屋敷の廊下を一歩踏み出した。




