第12話
切光桐子は宝玉を抱えたまま動けなかった。
否、厳密に言えば、動いてはいる。
左右にステップを踏みながら、剣城の守る地上への隙を伺っているのだ。
剣城はハルバードを垂直に立てたまま、微動だにしていない。
目と鼻の先で繰り広げられる朱莉とブランの戦いが、轟音を響かせ、地を震わせても、眉ひとつ動かさない。
長い睫毛に縁取られた半眼は茫洋として、桐子どころかどこにも焦点を合わせていないように見える。あるいは立ったまま微睡んでいるのかと疑ってしまうほどだ。
案外、そっと足音を忍ばせていけば脇をすり抜けて地上にたどり着けるのではないか。そんな気さえしてしまう。
だが――
(隙がない……)
意を決して間合いを詰めようとするが、どうしても一歩が踏み出せない。
踏み出そう――そう考えた瞬間に、剣城から凄まじい圧力が発せられたように感じるのだ。突風のような、大波を叩きつけられたような、あるいは猛獣の咆哮に晒されたような、そんな感覚に足を止められてしまう。何も映さぬ半眼に、あるいは心を透かされているのかと疑ってしまうほどである。
同じ感覚を、半年前にも味わっている。
いや、味わったからこそ、剣域に入る前から剣城の圧力を感じられるようになったのだ。
あのときは、圧力を感じた瞬間には意識が飛ばされていたのだから。
半年前――昨年の全国高等学校ダンジョン選手権冬大会、県予選。
その第二回戦での出来事だった。
一回戦を無事突破した桐子たち桜吹雪高校は、二回戦で聖マグダレナ女子学院と対戦した。県下最強と名高い名門校。夏大会でも優勝している。明らかな格上だが、胸を借りるつもりなどはさらさらなかった。
夏大会ではベスト8までは勝ち残ったのだ。神奈川は100校あまりのダンジョン部がひしめく激戦区であり、十分に胸を張れる結果である。小さな囲み記事ではあるものの、地方新聞にも「古豪復活か!?」などと紹介された。下馬評を覆し、ジャイアントキリングをなしてやろうと意気込んでいた。
レギュレーションは今回と同じ「盗っ人と守護者」。
先行となった桜吹雪高校はやはり同じく散弾戦術を実行し、追っ手を振り切りゴールの広場までたどり着いた。
状況は2対1。ゴールを守るのは剣城ひとり。
桐子が特攻し、その隙をついて鬼嶋がゴールを決める――そういう作戦だった。
ほんの一呼吸だけタイミングをずらし、特攻。
そして――
* * *
鬼嶋虹心はバイクを旋回させながら、全身の血液を氷水に入れ替えられたような悪寒と戦っていた。愛車のエンジン音はどこかに遠くなり、代わりにガチガチという音が頭蓋を反響している。うるさい。歯の根が合わず、奥歯が鳴っていた。
吹っ切ったつもりだった。
吹っ切れたつもりだった。
半年前の聖マグダレナ女子学院戦。
踏み込んだ瞬間、両断される桐子の姿。
刹那の間すらなく、途切れた己の意識。
つい昨日の狂化ミノタウロスなど比較にならない圧倒的「死」の予感。
プレイヤーが扱う武器には安全装置が組み込まれており、そんな事故など起き得ないのは知っている。
理屈ではないのだ。焼き印のように、恐怖が刻まれてしまった。
精神体が砕かれ、肉体で目を覚ましたときには体の震えが止まらなかった。
「盗っ人と守護者」では選手交代が認められている。
交代要員含め、6人全員が開始5分以内に剣城に屠られた。
それ以降の記憶は曖昧だ。
剣城が交代してからも、恐怖が刻み込まれた身体は言うことをきかず、まるで試合にならなかった。
試合が終わったときには、大会ワーストとなる圧倒的な大敗。
だが、スコア差など問題ではなかった。
剣城に斬られたときに、もう試合は終わっていたのだ。
絶対に勝てない――
鬼嶋は不良だったが、ダンジョンにだけは真剣に打ち込んできた。
幼馴染の桐子と一緒に、全国大会で優勝するのが夢だった。
その夢は微塵に砕かれ、もはや貼り合わせることすら無理だと思った。
仲間がいればまだ立ち直れたのかもしれない。
しかし、部員たちは大会後にみんな辞めてしまい、桐子だけが残った。
桐子にも辞めてほしかった。
絶対に勝てない相手がいる。絶対に叶わない夢がある。
そんなものは惨めではないか。
だから鬼嶋は、不良を集めて部室を乗っ取るような真似までしたのだ。
新参の1年に負け、部に戻れと言われた時は正直うれしかった。
諦めない桐子を見ているうちに、ひょっとしたら自分も――という気持ちがくすぶっていたのだ。
あの敗北は、部に戻る体の良い口実になったとも思った。
絶対に拭えないと思い込んでいた恐怖は、半年の時が癒やしてくれていたのだ。
――そう、思っていた。思いたかった。
いま剣城を目の前にして、あの日の恐怖がまざまざと蘇っていた。
奥歯がガチガチと鳴り、心臓がドクドクと脈打ち、呼吸が浅くなり、体温が低くなった気がして、手足が自由に動かない。
――やっぱり、もう無理だったのか……
バイクを停め、勝負を降りようと思ったときだった。
「だぁぁぁっっっしゃぁぁぁあああっ!!」
「OuaaaaaaaarrrrRAAAAAAAHHHH! !」
あの1年の雄叫びが聞こえた。
雄叫びを上げながら、巨大なハンマーを振るう金属塊の怪物相手に一歩も退かず打ち合っていた。銅鑼を鳴らすような重低音が、繰り返し繰り返し轟いた。その音に叩かれたように――
鬼嶋の心臓が、力強く脈打った。
「キリキリっ! オレから突っ込む!!」
鬼嶋の右手がアクセルを目一杯振り絞った。




