第85話 リリス・ノクスヴァリアの受難
◆◇◆◇◆ リリス・ノクスヴァリア ◆◇◆◇◆
「うぇ~。気持ち悪ッ!!」
魔術祭に向けての会合と報告会が終わり、部屋を出たリリスはすぐに井戸端へと駆け込んだ。汲んだ水を手で掬い、口の中に広がった葉巻の不快感を洗い流そうとする。残念ながら、それは成功とはいえず、ついにリリスは嘔吐いてしまった。
(なんでみんな、こんな気持ち悪いものを吸えるんだろう……)
桶の中を覗き込み、水面に映り込んだ自分に問いかける。
くすんだオレンジ色のくせ毛をくしゃくしゃにした姿は、母親から聞かされた山姥という化け物のようだ。
今の自分の姿と、書店で出会ったルブルという少女と重ね合わせる。
リリスから見て、キラキラと輝いていたルブルとは対照的な姿に、肩を落とす。
「はあ~。どうしてこんなことになったのだろう」
リリスは深い深いため息を吐いた。
王都から離れた田舎の村で生まれたリリスは、村では有名な神童だった。
元魔女の母親の影響もあって、子どもの頃から薬草や薬に触れてきた彼女は、村の周りに広がる大自然もあって、独自の薬の研究を続けてきた。それは母親も含め、大人たちが舌を巻くほどのもので、噂を聞きつけた領主が訪ねに来るほどだった。
そんな伝手もあって、彼女は王都にある王立ノクス・マギア魔女学院に特待生として入学することになった。
母親のような魔女になりたい、と常日頃から考えていた彼女は、意を決して上京。
学校では調薬の勉強をしたいと意気込むが、抱いていた花の学院生活は1日目にして砕け散ってしまった。
王立ノクス・マギア魔女学院は、その内情を知るものなら入学を回避するほど、有名な問題校だった。
確かに【魔術祭】においては聖クランソニア学院との対決が取り沙汰され、ライバル校と位置づけされているが、人気という意味では圧倒的に負けていた。
まず1にも2にも入学する者の中に変わり者や問題児が多い。
また聖クランソニア学院に入学できず、落ち止めとして入学した者も多いためか、やはり学力が一段も二段も低くく、貴族の家の中でも問題児扱いされている生徒が集まりやすい――といったのが、主な要因だった。
さらに魔術全盛の時代にあって、調薬や基礎的な魔導研究は若い学生には地味に映ることが、人気の悪さに拍車をかけていた。
そういったわけもあって、校内は荒れに荒れており、教師もほとんど匙を投げる状態になっている。
そんなことも知らず、リリスはノクス・マギア魔女学院に入学し、1日目にして自分が思い描いていた花の学院生活が送れないことを悟ることになった。
調薬のことしか知らないリリスなど、狼の群れに羊を一頭解き放つようなものだった。
実際、彼女は1日目にして、いわゆる〝不良グループ〟といわれる生徒の鴨――哀れな羊となった。
授業そっちのけで、肩をもまされたり、メロンパンを買いに行かされたり、露店で万引きの片棒を担ぐなんてこともあった。田舎では体験できなかった犯罪を、彼女は数日にして味わったのである。
そして、そんなリリスに最大のピンチが訪れたのは、ノクス・マギア魔女学院に入学して1カ月が経ったある日だった。
すっかり不良グループのパシリとして扱われていた彼女は、ある日ノクス・マギア魔女学院の〝番長〟が冷やしておいたメロンパンを勝手に食べたという濡れ衣を着せられてしまう。
その頃、ほとんど眠ることも許されず、不良グループたちの悪行に引きずり回されていたリリスは朦朧として、記憶がはっきりしなかった。空腹で「食べたか?」と問われたら、そんな記憶もあるような気がする。もちろん、〝番長〟の前では、はっきりと否定したが、先方が許すはずもなく、リリスは怒りの矢面に立つことになってしまった。
「ゆ、許してください。メロンパンはすぐ買ってきますから!」
「馬鹿野郎! メロンパンはな。冷えた状態のほうがおいしいんだよ。楽しみにしていたのに。お前はぁぁぁあああ!!」
理不尽に怒鳴られる。
不良グループたちは怒鳴ったり、罵声を浴びせたりすることはあっても、リリスに対して拳でわからせる――みたいことは決してしなかった。
どうやら、それは不良グループの中での暗黙の了解らしい。
しかし、〝番長〟の怒りはその暗黙の了解を逸脱し、命を奪わん勢いだった。
(このままじゃ、リリス死んじゃう!)
リリスは脱兎の如く逃げ出した。
当然、不良グループたちは追いかけてくる。
なんとか倉庫を見つけて、中に隠れた。
でも、不良グループたちは諦めて下校しようとしない。
何故なら、学校はもはや彼らの住処みたいなものだからだ。
見つかるのは時間の問題だった。
極限の緊張と暗闇の中で、リリスが始めたことは調薬だった。
昔から道ばたに生えた珍しい薬草や魔草を見つけると取ってしまう癖があった。
だから、学生服の中にはたくさんの薬草や魔草があり、携帯用の薬研も常備していた。
頭の中に「怒りを鎮めるための薬」を作るための工程表を思い描き、必死になって準備した。
そして、ついにリリスはついに見つかる。
最初に彼女を見つけたのは、〝番長〟だった。
リリスの意志を削ぐように、番長はゆっくりと近づいてきた。
顔を紅潮させた姿は、血に濡れた悪魔みたいだったと、今でも記憶している。
リリスは魔術を使い、調薬した薬剤に火を点ける。
瞬間、リリスは気づいた。
調薬した魔草の種類が思っていたのと違うことに。
暗闇の中と、緊張感の中で間違ってしまったのだ。
「なんだ?」
漂ってきた香りに、〝番長〟が気づく。
すんすんと鼻をすする音が、リリスに聞こえた。
そして、どうなったかというと……。
〝番長〟はリリスの椅子になっていた。
リリスが作った薬剤は「怒りを鎮めるための薬」などではない。
「リリスに対する魅了と従属を促す薬」だったのだ。
平たく言えば、「なんでも言うことを聞く」という効果を持った悪魔のような薬だったのである。
幸いその薬は2度と調薬されることはなく、被害者はその〝番長〟だけに留まったが、まさか薬で〝番長〟を従わせたと仲間たちは考えもせず、不良グループたちはリリスを次なる〝番長〟であることを受け入れた。
むろん、リリス自身はまったく興味もなく、できれば誰かに譲りたいと考えた。
しかし、仮に〝番長〟の座から下りれば、また地獄の学院生活が始まるかもしれない。
あの日々を思えば、勝手に自分に向かって頭を下げてくれる今の状況は、数倍安全に思え、リリスはノクス・マギア魔女学院の〝番長〟となることに決めたのである。
これが【椅子の魔女】リリス・ノクスヴァリアの誕生秘話である。
だが、その判断は間違いだった……。
悔やんでも悔やみ切れないが、今のリリスの心中を打ち明け、相談できる相手は、少なくとも王都にはいない。
「ルーちゃんなら相談に乗ってくれるかな」
ふと頭に思い浮かんだ銀髪美少女のことを思い浮かべる。
「あー! いた!!」
大声を上げて近づいてきたのは、ガルナ・バル=グレイドという大柄な女子生徒だ。
赤茶色の長髪ポニテに、褐色の肌。耳にはこれでもかというぐらいピアスがついている。全部魔石らしく、実は自作したピアスなのだという。
とにかく声がでかいのが特徴なのだが、それ以外にもたまに肩をバシバシ叩いて、骨が外れそうになることがある。ただ、それを覗けば、特に悪い生徒ではない。荒事はたいがい任せられるし、いざというとき、身体をはってリリスを守ってくれる。
ノクス・マギア魔女学院の〝番長〟親衛隊の1人である。
「こんなところにいたんスか、リリス番長」
「な、何かあったんですか――じゃなかった――何かあったのかい?」
「聖クランソニア学院の〝番長〟が代わったって話をしたじゃないですか?」
リリスは興味なさげに聞く。
周りの取り巻きたちは、魔術祭が始まることに鼻息を荒くしているのだが、リリスにとってはどうでもいいことだった。
祭りなんかよりも、普通の授業を受けることのほうが、リリスには大事に思えてならなかった。
「やっと名前がわかったんです。聞いてくださいよ。そいつ、聖クランソニア学院では〝ジャアク〟って呼ばれてるんです」
「ジャアク? それが向こうの〝番長〟の名前なんですか――なのかい?」
「いえ。それは渾名のようなものでして。名前はルブル・キル・アレンティリっていう奴らし――ぬわっ! な、なんですか、〝番長〟」
瞬間的にリリスはガルナの胸ぐらを掴んでいた。
驚いているような、泣いているような、あるいは怒っているようなリリスの表情に、ガルナは得体の知れない恐怖を感じて、押し黙る。
リリスは続けて聞いた。
「もう1度名前を言ってみな」
「る、ルブル・キル・アレンティリでさあ、〝番長〟」
ガルナはリリスの手を叩きながら、言葉を絞り出す。
リリスはふと手を離し、そして呆然とした。
(嘘でしょ。……なんでルーちゃんが〝番長〟なの)







