二章 29夢 偽り
カイはすぐさまユミの飛び降りた窓へと駆け出し、そこから乗り出して下を見た。
「……っ、ユミ……」
目を背けたくても、背けられない。下に横たわる赤髪を持つ少女を、そこまで追い詰めてしまった。そんな事実からは決して――それでも事実はしかと受け止めなければならない。
決して戻らない命。大切な、一つしかない魂を、カイは自らが奪ってしまったという喪失感に襲われた。
――――私のせいだ……。
悔しさを滲ませるカイ。窓枠を掴むその手に力が入る。
どうしてこうなった。どうすればよかった。あの時、ユミを受け入れていれば、こんな結果にはならなかったのか。分からない。分からない。こんな気持ちは初めてだ。
カイは何も人を殺めたことが初めてではない。
コウ・ゼネリア。プラノ王国、第二王子。カイはその側近であり、近衛兵団の一人である。
その立場であるため、俗物や賊の類いの者たちを払い退けてきた。
殺すことは今も慣れない。人を殺める行為自体、したくないのが本音としてある。ただそれでも、やらねばこちらがやられる。そして、万が一の身代わりのためにも自分がいることを、カイは仕えた時から重々に理解している。
王族の命こそが最優先事項であると。
だが、今回は状況がまるで違う。
ユミ・ヒイラギ。第二王子の客人。極論、彼女は守るべき対象ではない。
しかし、カイはコウから命令されまた、ユミを守ることは彼女自信が望んでいること。何故なのかは、説明するまでもない。
結論、死なせてしまった。間接的とはいえ、カイがそうさせたのは明白。そこまで追い込んでしまった責任は彼女にある。
ユミはピクリとも動いていない。背中から落ちたのか、仰向けで天を仰ぐように倒れている。
――――……ダメ。こんなところにいる場合じゃぁ……。
カイはすぐに寝室を飛び出し、客間を抜けて、廊下をひた走った。
あのままでは人目についてしまう。たとえ、仮に、本当に、ユミが死んでしまっているのなら、出来ることをしなければ。
募る思いを抱えつつ、まずはユミの遺体を部屋に連れてくることを第一に、そしてそのことをコウに正直に報告する。
「どこへ行く、カイ」
「――――!!」
カイの思考と動きは刹那に隔絶された。
壁に寄りかかって、まるでカイが来るのを待っていたかのような振る舞い。
今すぐユミの元に行きたいカイだが、相手の存在がそれをさせない。させてはくれない。そして、許さない。
――――この人に、勘づかれるわけにはいかない。
「呆けてないで答えろ。俺が聞いている」
「申し訳ありません、シギリ殿下。コウ殿下の執務室に忘れ物をしたのを思い出したもので、そのために今から向かうところです」
カイは平静を保ちつつ、頭を垂れて説明する。適当て、それでいてそれなりに筋の通る嘘を見繕った。
嘘をついたところで、どうにかなる相手ではない。それでもどうにかしなければならない。
「お前が忘れ物とは珍しいな」
「私は何も完璧な人間ではありませんから、そういうときもありますが……シギリ殿下こそ、こちらで何か?」
「いや、アイツがいないからいい機会だと思ってな。――アイツのことだ。お前やユミは城に置いておくであろうと。それで探していた。偶然とはよく言う」
「……それはユミのこと、ですか?」
「お前の察しの良さには感服する。――お前が持っていろ」
そう言ってシギリはカイへとある物を二つ差し出した。それはユミが持っていた『スマホ』と『指輪』であった。
カイはそれを受け取り、「……これは?」と問いかける。
「それはユミの持っていたもの。お前があの娘に返してやれ」
「それは構いませんが……」
「まだ何か不服のようだな」
「いえ、そのようなことは……失礼を承知で伺いますが、シギリ殿下はそれだけのためにわざわざ私やユミを探していたのかと、思いまして」
このためだけにシギリが来たとは、カイには到底思えなかった。だからこそ、偽りと本音を織り混ぜて、本当の真実を覆い隠す。
相手を騙す上で必要なのは、全てを完璧に虚偽で見繕うことではない。相手が真実だと確認できることを混ぜ合わせることだ。
「ならお前には教えておく。――あの娘は『魔女』だ」
「……『魔女』様? ユミが、ですか?」
「あぁ、そうだ。間違いない」
「何かの冗談……のようには聞こえませんが……本当ですか?」
ユミ・ヒイラギ。その核心を突く一言を、シギリは何のためらいもなく言い放った。
それでもカイは知っていた。しかしまるでその事実をあたかも今、初めて聞いたかのように、そして揶揄した。さらには受け取った二つの代物を眺め、興味津々であるかのような態度を示す。
カイの全てが自然であり、そこに偽りの姿は見えない。しかしそれは、彼女の胸だけが虚偽であると知っている。
ユミを着替えさせた時に――この四角い代物は見た。鏡のようなものが張り付けられており、変な出っ張りを押すと、鏡が消えて明かりを発する。少し不気味な代物――たしか『魔女』が生み出す、『魔道具』と呼ばれるものか。
そしてもう一つ。『指輪』の方はシギリが見せつけてきた時にすでに見ている。それがカイにとってユミが『魔女』である確証させた代物。
「――と言っても、まだあそこへは行っていないようだがな。まあ、仮といったところか。あの娘、『魔女』の肩書きには一切興味が無さ気な素振りをしている。――面白いとは思わないか?」
――――あそこは『魔女の森』のことか……。
「そう……ですね。もしユミが本当に『魔女』様なら、この国でその立場を使わない手はない。――私ならそうしますが」
プラノ王国は『親魔国』。『魔女』との交流が深い、唯一無二の国。そのため『魔女』の立場は、王族と同等のものを有する決まりであるのが、この国の根本にある。
しかし一転、世界的に見れば、『魔女』は忌み嫌われ、殲滅するべき対象である。プラノ王国はその存在を匿う国である。
しかしそれでも、プラノ王国は諸外国と友好関係にある。その理由は単純。諸外国は『魔女』の逆鱗に触れる恐ろしさを、身をもって知っているからだ。
『魔女』の手に掛かり、ある一国は滅び、ある土地は黒く染め上げられた。
プラノが栄えたのはそういう一面も少なからずある。
カイはユミが何故その立場を行使しないのかもよく知っている。
「それでいてあの娘――客人である自分のことを知らしめるために、一芝居打って見せた。流石にあの時は笑えたな、ハハハ」
嬉々と語ったシギリの姿に、カイはユミの底知れぬ心の強さを感じた。
一人で『戦争』を止めるために奔走し、コウの客人という立場ながらも、氏素性も知れぬ身分で、この国の第一王子にも気に入られている。
――――ユミ……あなた、凄いことをしているのよ。
今となってはそれを伝えられることすら、カイは歯を食い縛ったが、瞬時にその歯痒さを押し消す。「……それはユミが立場を示した、ということですか?」と問いかけた。
「あぁ、そうだ。――俺を駆け引きの道具に使ってな。だからいいことを教えてやった」
「……それでユミは知ったんですね」
合点がいった。ユミが何故焦っていたのかを――。
辻褄が合う。コウ殿下の行いも――。
だから急な仕事を押し付けたのか。シギリ殿下は――。
「――それで? ユミは今どうしている」
「今は……眠っています」
「起きたらそれを突きつけてやれ。お前がそれを持っていると知れば、ユミも大人しくしているだろ」
――――確かに。『魔道具』と『指輪』があれば、ユミを縛りつけておくことができる。
シギリは徐に体を壁から離すと、「では、任せたぞ」と「はい」とカイは頭を下げた。
「――これからはユミを『魔女』として対応せねばならなくなるな」
シギリの「ハハハ」と嘲笑を交えて去って行く様を、じっと待つカイ。しかし、カイにはどこか引っ掛かっていた。腑に落ちない点がある。
――――……いったいどこに。
頭を上げると、手に持つ『魔道具』が目に飛び込む。脇につくボタンを押すと、
「……これはユミ、なのよね」
笑顔を作るユミ・ヒイラギらしき人物と、彼女の父親と母親らしき大人二人が彼女と一緒に写っている。
――らしきなのは、髪色が赤くないからだ。服装もまるで違う。
「服……確か私が……それで……!!」
―――――そうか! 引っ掛かったのは、この事だ!
カイはすぐさまシギリの後を追いかけた。追いつくと、「お待ち下さい、シギリ殿下」と彼の後ろで跪いて、「お聞きしたいことがあります」と上奏を訴える。
「どうしたカイ。アイツの部屋は向こうだぞ」
シギリはカイを揶揄して腕を組んだ。
「こちらにも忘れ物をしてしまったようなので、それを取りに伺った所存です」
「……ふっ。お前も面白いやつだな。――では、その忘れ物とは何だ? 話してみろ」
「はっ! ――恐れ入りますがシギリ殿下。この『魔道具』はどちらで手に入れたのでしょうか? たしかこれは、ユミが持っていたものだと。ならばユミから手に入れたはず。ですがそれはおかしいことなのです。これは一度、ユミの元から離れて、私の手から、そして今は『アルメリア』の手にあるはず――」
それはカイとユミが出会った最初の日の夜。疲れて眠ったユミをカイが着替えさせたその時、服の中から見つけたのが最初。それを一度受け持ち、侍女としてアルメリアが仕えるために彼女へとカイは渡した。
後でユミへ返すものだとばかり思ったが――どういうわけか、アルからシギリを経由している。
「――その答えをお聞きしたい! シギリ殿下は何故これをお持ちに」
「アルメリアが俺に持ってきた。それだけのことだ」
カイは強く訴えかけた――にも関わらず、シギリは平然としてその答えを繰り出した。
当然、カイはその事は周知している。あえて――そうあえてのこと。
「話は終わりのようだな」
シギリに堪えた様子は見られない。そのまま去ろうとする。彼にとってその事実など、取るに足らないことなのだろう。事実、アルからシギリを経由したことは、既に浮き彫りになっているのだ。それだけのこと。
カイもそんなことなどどうでもいい。彼女が欲しいのはそこではない。
――――確証はない。
「お待ちを!」
――――ただそれでも。
「まだ何か用か」
――――この人は、隠している。
「――ならば当然、アルと会ったということ! その時、みすみす『内通者』を見逃した理由をお聞きしたい!」
カイは珍しく声を荒らげて、シギリを呼び止めた。
振り返ったシギリは、「その時はまだ確信がなかっただけだ」と煙に巻こうとしたのが、カイには見え透いた偽りであることが、「それはあり得ない!」と一刀両断の如く飛び出した言葉に顕著に表れていた。
「何故そうだと言いきれる」
「確証があるからこそ、あなたは『内通者』がアルだと断定したはず! コウ殿下と私は、誰よりもアルと接してきた自負がある! 出し抜けるはずがない!」
「ならばお前たちをしてまで本性を現さず、欺き切ったアルメリアを褒めるべき案件だろうそれは。自分たちの愚かさを棚に上げ、ましてやこの俺に責任転嫁か?」
「話を逸らさないでいただきたいっ! ――無礼を承知でもう一度お聞きしますシギリ殿下。あなたは何故、アルメリアを『内通者』だと見破ったですか!」
カイは今一度、シギリに訴えた。
ほんの少しだけ、内容を変化させて――。
「……なるほど。本心はそこか、カイ」
「――――!!」
それでもシギリには通用しなかった。余裕なまでの態度を改めて作り上げ、壁を背にしてまた腕を組んだ。
一方、カイは頭が上げられなくなった。弱みを握られたのだ。偽装工作はあっけなく見破られ、立場は追い詰められていた。
「……まあ、いい。教えたところで、もう動き出していることには変わらない。もう戻ることはないのだからな――顔を上げろ、カイ」
王族の命令には絶対服従。「……はい」と一つ返事で、カイは徐に顔をシギリへ、そして見上げる。
「ここから俺が話すことは全て真実だ。お前がこのことを知れば、やるべきことが見えるはずだ。――いや、しなければならなくなると言った方が正しいか」
雰囲気の換気に伴い、カイは一つ息をのむ。「――立て」との命令が飛び、すぐさま応える。
「一度しか言わん。心して聞け」
「はい」
「まず第一に、ユミは『魔女』であり、アルメリアは『内通者』だ。そう思って対応しろ」
「二つ目だ。アルメリアは『内通者』ではない。これがどういう意味かは……」
「はい。重々承知しております」
「ならばこれが最後――」
――次の瞬間、「し、失礼します」と急いで駆けて行くカイのその表情は、焦燥感一色だった。
――――今はまず、ユミのところに急がなくては。
カイは駆けた。人の目を気にすることなく、城内を無駄なく、そして最短距離で目的地へと到着する。
「ユミ……」
目的地とはユミの落下地点。しかしその場所にユミの姿はなかった。
やはりと、それだけにどこへ行くかおおよそ見当がついている。だが、それと辻妻合わせのように、嫌な予感が舞い降りた。
「――――!! あの子、まさか!」
カイは募る思いを燃料に、次なる行動へと、門へ再び駆け出した。
カイはこの時、何もかもがシギリの手のひらの上であることを理解した。いや、理解させられたと表現するのが正しい。そのため、彼の真実が真実であると疑う余地など、欠片すらない。
ユミと『魔女』。アルメリアと『内通者』。この偽りから真実へと、真実から偽りへと反比例するかのように向かって行く二人の顛末が、変え難い事実にあることを――。
まるで操り人形だ。動く駒。そんなこと、カイは仕えてから今に至るまで、そしてこれからもそうであるのだから、さして問題に値する事柄でない。ただそれでも、今回の一連の騒動は今までとはまるで違う。もっと大きなものに動かされているような気がしていた。
――カイに一つの違和感が浮かび上がる。
カイの感じる違和感は、確かめる術がない。もし仮にこの違和感が本当だとするのならば――。
その違和感と通じるもので、今回の一連の騒動が全てシギリの手のひらの上だと、カイには到底思えなかった。だからこそ、もし彼の隙を突ける者がいるのとするのならばそれは、ユミ・ヒイラギ。『魔女』になり得る彼女しかあり得ない。
――――それこそあり得ない。
「ユミを『魔女』にさせるわけにはいかないっ!」
ユミは拒んだのだ。自分を偽ってまで手に入れたものが、本当に彼女のためになると思えない。自分を犠牲にし、誰かのために行動する。それがユミ。自分に正直な子だからこそ、逆にもっと自分を大切にしてほしい。もっと自分と向き合ってほしい。
欲しいものを手にするには、犠牲を払う必要がある。そのために払う犠牲がユミを苦しめている。切り捨てられないものが目の前にアルから……。
――――あなたはもう、代価を払ってる。
『赤髪』という代価。この世界において、誰よりも不遇で不自由で不都合な代物。
――――これ以上、あなたは何を払うの。
それ加えて『魔女』という新たな代価に、その身を捧げるというのか。ただそれでも、
――――私がどう思っても、ユミはきっとそれでも望む。
止めるためには先手を打つしかない。そのための代物がカイにはある。
「今度こそ、ユミを止めるっ!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――なあ、カイ。俺にしては、いい時間稼ぎだったと思わないか?」




