二章 28夢 退会
――――頭が痛い。
ユミは意識を取り戻した時、その痛みが痛覚によるものだと理解した。
痛いのは慣れない。痛くて、痛くて――でも、いたくない。いたくない。
ユミは該当箇所を手で額を押さえながらに起き上がる。そんな思いを抱きながら。
――ここは、見慣れた寝室だ。
「ユミ、起き上がって大丈夫?」
聞こえてきた声色に、ユミは母の面影を少し抱いた。
「あ……カイ、さん。ありがとうございます」
カイ・スレミアはイスに座っている。それだけで介抱してくれたのが彼女であると容易に窺えた。
すぐに感謝の言葉を口にしたユミ。抱いた見当甚だしいが、そんなことは分かっている。だけど、今はそんな現実逃避をしたい気持ちも少なからず抱いていたかった。
一体どのくらい寝てしまっていたのだろうか。ふと窓の方を見ると、空が薄い橙色になりつつある。もうすぐ夕焼けかと思った。
――その時、突如悔しさに襲われた。
何故か目の前が潤む。拳を握りしめて、抱く思いを握りつぶす。
この気持ちを誰にぶつければいい。カイか、コウか、それとも自分か。
分からない。どうして何もできない。歯がゆい。いったいどうすればいい。誰か教えて欲しい。アルメリアを――アルちゃんを助ける方法を。そのためなら命を差し出してもいい。何度掛け直ししたって構わない。辿り着くその場所に彼と彼女とあの子と、それとみんながいれば――。
結局、誰も助けてなどくれない。自分でどうにかするしかない。そんなことなど分かっている。分かってるから、この涙を、拳を、思いも全て拭い捨てて、そして改めて抱く。前を向くしかない。
――――今できることをやれ。
「ユミ?」
「……あ、あの! ……聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「殿下のことなら教えるつもりはないよ」
まるで見透かしたようなカイ。だからこそ偽りなど通用しない。そんなことは目に見える真実で、言葉の真意も保証付き。引き出せることなどない。
「……アルちゃんが『内通者』だって知ってたんですか」
「知ってたとして、ユミは私にどうしてほしいの?」
カイの口ぶりは全てを物語っていた。
ユミはあの時と同じ、『戦争』のために四苦八苦するカイの姿がよぎった。
あの時と状況は似ているが、それでもいつになく冷静沈着。徹底しているというか何というか――。
「……私なんかについてていいんですか?」
「殿下からの命令だから。特に問題ないよ」
「……問題しかないですよね?」
「だから問題を取り除くためにユミも協力して」
「……それでカイさんが私の監視役ってことですか」
「察しがいいのはユミのいいところよ。――そういうことだから、変な気は起こさないことね」
状況を把握し、鑑みることができるカイ。主観を度外視し、客観的に物事の判断を下しての取捨選択。今、彼女にあるのは主からの命令で客人を護衛するという、側近であり騎士として役割。それを全うするためにここにいる。
だからこそ、コウにあった隙がカイにはない。謝っても冗談を呈する言動を彼のように取ってなどあり得ない。望めない。むしろ冗談が通じないとしか、ユミにはそう思えてならなかった。
――――そんなカイさんを出し抜く。
果たして出来るのだろうか。でも、やる。やるしかない。やらなければ、本当に終わってしまう。
「……ねぇ、カイさん――」
ユミは視界に毛布を入れ込んで、それを握りしめた。
シミュレーションはできてる。あとは実行するだけ。上手く行くかなんて保証なんてどこにもない。体が思うように動くかどうかも――だけど今は強くいけ。一発OK。アクションを起こせ。
しかし、カイの洞察力は群を抜いていた。わずかなユミの表情の変化、手の動きを双眸が鋭く捉えており、「何?」とイスに腰掛けつつも、体勢だけは少し改め直した。動きやすいように。
――その時だ。
「このっー!!」
「――――!!」
ユミは勢いよく毛布をカイに目掛けて投げつけた。釣り上げられ、重力に従って彼女を覆い隠そうとする。
舞い上がった毛布は、視界を覆い隠す役目。一種の壁だ。この隙に扉を出る。
柔らかい感覚を足に受け、起き上がった矢先のこと、
――ユミの思いは淡い夢と消える。
忘れてはならないことがある。カイがもれなく味方なのは、ユミがあくまでもなにもしなかった場合に限る、ということを。
「……っ、がはっ!?」
毛布から隆起した突起が突如、ユミに襲いかかった。表情を苦悶に曇らせる一撃。彼女の脇腹にめり込むように深く押し込まれていた。
その勢いはユミを捉えてもなお収まらない。そのまま彼女をベッドから吹き飛ばした。
ゴロゴロと転がり、床に這いつくばりながらゲボゲホと咳き込むユミ。
唐突な出来事で思考が追いつかない。たが、みるみる内に衝撃による痛みが、吐き気が、感情が込み上げてくる。
「……痛いでしょユミ。私だって痛い思いをしてる。あなたがどんなことを考えて、どんなことをしようとしてるかなんて私には筒抜けなのよ。それこそ痛いほど分かってるつもり」
ユミとカイとの白い壁が落ちて行く。隔たりは完全に消え失せ、カイの左手には鞘に納まったままの剣があった。
彼女の言葉が嘘でないと、見下ろす表情が険しいことからユミはそれが窺えた。
「――ただそれでも、私はあなたをここから出すわけにはいかない。それが私のやるべきことなのよ!」
決意に満ちたカイの表情が本気であると示している。
――――ただそれでも。
ただそれでもは、ユミもまた同じたった。
「わ、たしも……まける、わけには、いかないっ!」
ユミは脇腹を押さえながら立ち上がった。口元を拭い、フラフラと痛みも吐き気も感情の火が確かにある。
この火は消せない。『赤髪』と同じように真っ赤に染まって、ユミを――私を突き動かす。
「――私だってやりたいことがあるのよっ! 邪魔しないで!」
「……そう。――痛いとは思うけど、謝らないから」
カイはユミの覚悟を受け取って、それに応えるように剣を突き出して忠告する。
後ずさるユミ。それでも剣は仕舞われたままで、手加減はしてくれていると思う。真っ直ぐ行っても勝てない。何としても注意を引いて、扉から出て、アルちゃんを救いに行く。
――――行くんだっ!
決意を新たに、次にユミは、寝室の物を片っ端から投げつけにかかった。
「カイさんが私の監視役ってことは、私と一緒ならアルちゃんのために動けるはずです! こんなところで私たちが争ってても意味なんてない!」
「その理屈は通らない。争いの火種を撒いてるのはユミよ。あなたが何もしなければ、私だって何もしない。こんな手荒な真似なんてしなくて済む」
「何もしないでただボケッと待って、その結果がアルちゃんの死なんてそんな結果っ! 私は絶対嫌だっ! ――こんなのが手荒な真似? ふざけんな、ばかっ!」
「どうとでも言いなさい。それであなたの気が晴れるのなら――」
「――晴らすためにそこを退いてって言ってるのよ! くみ取れ、ばかやろう!」
散々当たり散らした結果、投げられる物が無くなった。
ユミは壁を背にすることを余儀なくされる。カイに与えられたダメージは無い。どれもこれもが軽くいなされた。
乱雑な攻撃が終息したことで、カイはゆっくりユミへと距離を詰めにかかった。
「もう終わり?」
「終わりよ終わりっ! 何なんですかその強さは! 私にその技、教えたくださいよっ!」
「大人しくしてくれるなら、今度教えてあげる」
「それじゃあいいです! ばかカイさん」
強気に出てはいるが、ユミの面には苦笑いが浮かんで隠せていない。
カイはすでにユミの目の前まで来た。すると突然、左手に持つ剣の鞘がクルッと回転。反転し、前方へと鞍替えった柄頭そのままに、ユミのがら空きの腹部に命中した。
あまりの速さに、抗う術がなかったユミは、「がっ!?」と呻き声をあげる。腹部を押さえてその場にうずくまる。激しく咳き込み、揺らぐ世界を感じながらに胃の内容物吐き出した。
気持ち悪い。吐いてる場合じゃないのに、苦しすぎる。
「今度こそ終わりよ」
「……ぁぅっ」
悶え苦しむユミを見下ろすカイ。涙ぐみ、よだれを垂らし、息を荒らげる必死な表情。そんな顔を眺めるように、剣を使って持ち上げて確認する。そのまままるで鞭のように剣をしならせ、ユミの頬を殴打した。
「……っ、ぁがっ」
「こんなことさせないで。いい加減諦めなさい」
「……い、やだ」
ユミはそれでも必死に這いずり、机を頼りに立ち上がった。
殴打された左頬は、見るも無惨に赤く腫れ上がっている。
頬がジンジンする。痛いし、苦しいし、死ぬほど怖い。もういいかなとも思ってしまう。どうやったって勝てない。差がエグい。このままボコボコに、気を失うまでやられ続ける。それならいっそ、もう賭けに出よう。
ここまでされてもユミには自信があった。そこがカイとあの時の悪者、悪党たちとは決定的に違うところ。それでも忠告を無視したために、仕打ちはしっかりと受けている。
「もう十分でしょ。ここまでやられても分からない? なら、はっきりさせてあげる。あなたがアルのためにできることはない。何一つ足りともね」
「ある、よ。あるから行かせてって、言ってる」
「ない。たとえあっても、次の標的がアルからユミになるだけ。それにそんな体でいったいどうするの。満足に動けないでしょ?」
「こう、したのは誰、ですか。棚に、上げてんじゃない。私、これでも女、ですよ……殴られて、ゲロは吐かせられて……さいあくですよ」
「注意はしたはずだけど、それでも向かってきたのはユミの方でしょ。今さら言い訳? なんなら、殿下に告げ口したって構わない。でも、ユミはそんなこと頼まない。一人で何かしようとするから、私に何も言わない。――気づいてる? あるから、あるからってさっきから言ってるけど、具体的な案は一つも出してない。それで『信用』できると思ってるの? 身勝手甚だしいにも程がある!」
正論を立て続けに並べられて、ユミは歯を食い縛った。
確かに案などない。できることも、そもそもどこにいるのかさえ分からない。もしかするともう終わってしまっているのかもしれない。それでも希望を絶つわけにはいかない。ここで私が諦めたら、いったい誰がアルちゃんの味方であるのか。
――――一人は寂しいのを知ってるくせに。
「……っ、ならあればいいんですか」
「開き直らないで! あってもなくても、ユミはここから出すわけにはいかない! 悪いけど、私はあなたよりコウ殿下を『信頼』して『信用』している。――まだやるなら、本当に体に分からせてあげるしかないよ」
鞘から剣を引き抜かれ、「冗談じゃ済まないから、覚悟しなさいっ!」といつもの冷静なカイはいない。感情が爆発しており、相手を切り伏せる騎士としての彼女が露になってている。
身震いするユミ。ただ、それでも引けない。引くことなど出来ない。
「……ならこうするしかない」
そう微かに呟くと、机に這い登り、その近くの窓を開けて見せつける。
流石のカイもユミのその言動に驚愕し、「止めなさいっ! 死ぬ気なのっ!」と面を食らっていた。
「だったらここから出してくださいよ!」
「……っ、それは……」
迷いが生まれている。今まで憮然と命令に従っていたカイだが、ユミの言動に葛藤するのも無理はない。
――『死』は取り返しがつかない。
ユミは窓辺から飛び降りるぞとの脅しを吹っ掛けた。もう一か八かだ。
高さなんて知らない。結構高い。水でもあれば助かったのだろうが、あっても草木のクッション。全てを受け止めてくれるという自信はない。最悪、死は免れない。骨の一、二本で助かるなら案の時だ。
ユミは死ねないことを知っていた。本気であることをここまで知らしめた。それに『掛け直し』を伝えられないことも相まって、カイを惑わせることに一役買っていた。買ってしまう形ではあるが、カイは動けない。当然だ彼女は何も、ユミを殺そうとはしていないのだから。大人しくしててくれれば、いいだけなのだから。
「カイさんは何も間違ってない。間違ってるのは私の方……」
優しくカイのせいじゃないと諭す。続けて、「――だけど!」と強ユミは声を荒らげて、
「時には間違ってるって分かってても進む道だってあるでしょ! それが今だ! 今じゃないなら、次だっ! 次じゃないなら、その次だ!」
「何、言ってるの……ユミ! 止めなさい!」
カイのを他所に、次にユミの姿は寝室から忽然と消えた。「……ごめんね、カイさん」と素直に謝って――。
少し嬉しかったことがある。
――――カイさんは一度も私に謝ってこなかった。
約束を守ってくれた。それだけで『信頼』に値する人だと、ますます彼女のことを『信用』足る人だと、ユミは改めて母の面影を見た。




