二章 9夢 分岐点
――――一人になりたかった。
この場所は、それにうってつけだと思った。だからなのか、見慣れた場所へと出た時、ユミの足は自然とそこへと向かって進んでいた。
中心で芝へと倒れ込み、腕を使って視界を塞いだ。
辺りはすでに夕焼け空。ユミとはまた別の赤が世界を包む。だがそれも、雲の遮りにより、その色は失われていく真っ只中。風もそれに伴い冷たさを纏う。その移り行く様はまるで、今のユミの心を映す鏡のようであった。だが、彼女はそれ以上に、夜の常闇のような深い自責の念に襲われていた。
「……何やってるのよ、私は。コウは助けてくれただけじゃん。それなのに手を上げて……何がしたいのよ」
自問自答のように声を上げる。
最もやってはいけない事をユミは行った。それは――『暴力』。手を上げてしまったのだ。それだけはやっては駄目だ。たとえその感情に苛まれたとしても、それで何かが変わるわけがない。『力』による弾圧などもっての外だ。
ユミの手のひらには、その時の感触が今も残っている。あの時とはまた違う痛み。あの時は、半ば八つ当たりに近かった。だが今回はそれとは違う。軽蔑と失望。その二つの意が込められたビンタであった。
冷静になればなるほどその痛みがユミを刺す。何故ならコウは――彼の行いは、ユミのための行動であるからだ。
「……でも、コウも悪いんだからぁ」
体を横向きにし、小さく丸くなったユミ。自分自身を勝手に納得させるための言い訳を放つ。
コウからしてみれば、ピンチに陥っていたユミを助けるために力を示したのだ。張られる所以などない。だけどユミは、リコリスに一時的だが認められたはずだ。彼から逃れられることに成功したのだから。
間が悪いというか、何というか――すれ違う思惑。それぞれがそれぞれに思うところがあっての行動。それがずれた分だけ、それぞれに痛みを与える結果となっている。
「……何て言えば。謝って済む問題なの? ――違う。完璧、私が悪いんだ……」
勇気が出ない。立ち上がれない。いっそこのまま逃げ出したい。
目をつむりながら、ある一点が眼の中の闇と共にユミをさらに蝕む。
――――また迷惑を掛けている。
今のこの状況でさえそれに倣う。本音は逃げ出したい。もういっそのこと何もかもリセットしたい。だが、それには当然迷惑がつきまとう。いきなり人が消えれば皆が心配する。コウのことだ。きっと根掘り葉掘りと探すに決まっている。
『赤』に逃げ道はないのだ。
「……謝るしかない、んだよね」
ユミは意を決する。目を開き、上半身を起き上がらせる。
素直に謝ればきっと許してくれるはずだ。はっきり伝えて、それで駄目ならその時だ。だが、ユミはそこから動かない。――否、動けないのだ。垣間見たコウの新たな一面が、ユミの心を強く波打たせている。
「……何でシギリさんと、コウが被るの……」
コウの中に見たシギリと同じ『力』。
――――コウはそんなんじゃない。
シギリとコウは違う。勝手ながらにユミはそう思っていた。『力』で何かを抑え込むような、そんな人物ではないと――。
現実。コウはそうであった。リコリスに対して見せたものは紛れもない、権力という『力』。その一端を示した。だからユミは軽蔑したのだ。そして失望のあまりに手を上げた。
「……でも、違うんだ。コウのそれはシギリさんとは絶対に違う。違う違う。あり得ない。あり得ない、あり得ない」
頭を押さえつけて、首を何度も振る。コウがシギリと被ってしまったことをきれいに消し去る。あり得ないはあり得ない。だからこうも悩んでいる。
「私、全然コウのこと……知らないんだ」
ふとユミは冷静になった。
コウ・ゼネリアとは一体何者なのか。何が好きで、何が嫌いなのか。誰に信頼され、誰に信用されているのか。何一つ知らない。知ってることはただ一つ。彼はプラノ王国、第二王子。コウ・ゼネリアということだけだ。
「あ……雨」
そして、雨が降りだした。
雨足が強まってきた。それは止まることを知らない。雷雨の様相を呈する。
葉をしならせ、芝生に染み込み、ぬかるみを作る。稲光が走り、閃光が轟く。そんな中でもユミは動かない。今は雨が嫌ではない。全てを洗い流してくれる――そんな気がしてならない。『赤』もこのまま流れてくれれば――。
「このような場所にいては、体が冷えますぞ。赤髪のユミ殿」
それはまた別の意味でユミと同様――目を引く人物。
「それはこっちのセリフ……なんだけど――」
見事なまでに鍛えられた体躯。筋肉ムキムキ。それでいて白髪の老体。そんな人物を忘れるわけがない。ユミは知っている。ある意味印象深い。
「――『メトン』さん。何でここにいるの!?」
『メトン・ジャルバ』。彼は――『魔女』だ。
ユミは驚きを隠せず、その流れで自然と立ち上がった。思いの丈のままに今の現状を声に出した。何故ここメトンがいるのか。
突如現れたメトンは、雨に打たれながらも、その屈強な肉体美を見せつけてくる。水が滴るいい男――なのかは定かではない。何故ならユミは、マッチョが好きでも、年上が好みでもないからだ。年上といえど、ユミとの差は軽く三倍以上には離れているはずだ。おじいちゃんだ。ヤバめのおじいちゃん。友達には紹介したくない。
「いえいえ、先ほどお見かけしたものですから――ユミ殿とお話しする時間を、と思った次第。ですが、雨とは不運……」
「私も話したいと思ってた。メトンさんがよかったらこのままでも構わないですよ? ――戻りたく、ないからさ……」
降りしきる雨の中での会話をユミは提案する。だが声色は落ち、うつむきながらに――メトンは心配の面持ちながら、それに答えた。訳は聞かずに、「ユミ殿がよければ」と。
話したいというのは本音だ。それに嘘はない。だから今の感情をメトンへと向けるのは違う。それでも隠せない。如実に現れ彼へと迷惑を掛けている。ただ単純に、この場から城へと向かいたくない。コウと距離を取りたいという意思表示が――。
メトンもまた、在りし日のユミと繋がっていた人物だ。
――――時間がなかった。
というしかない。会談の場を私用で邪魔などできない。その後は言わずもがな――倒れた。
「それで、話ってなんですか?」
「積もる話をしたいところですが、ユミ殿が体調を崩されては困りものですので、端的に――」
メトンはそう前置きして切り出す。以外にも彼は、屈強な体躯でも繊細で優しい心の持ち主なのだ。見た目で判断は出来ない。
「――まだ『魔女』として認められていないようですので、どうでしょう? よければ私と一緒に『魔女の館』に行くというのは」
突拍子もないメトンからの誘いに、慌てる素振りをユミは隠せなかった。
「ちょ、ちょっと待って!? それ、今すぐ答えなきゃ、ダメかな?」
冷静にそれを正し、真剣そのもののになった表情で問いかける。
メトンの言葉は、新たな可能性に秘めたものであった。それだけに、今のユミはその言葉に惹かれてしまう。揺れ動いてしまう。魅了されてしまう。『魔女』という響きに――。
ユミにとってそれは、異世界での状況を一変させる誘いであるのは言うまでもない。しがらみに囚われている今の状況から。ただ、
――――時間が欲しい。
理性がそうさせる。簡単に誘いには乗れない。全てを投げることになる。出会いも、繋がりも、今までをも、そしてこれからをも――。
「いえいえ、明日の朝に立つ予定ですので、その時までに答えを出していただければ。――では、明日。この場所で七時に」
メトンは予定だけを残してその場を去った。だがその去り際に、「雨に打たれすぎるのも考えものですぞ。早く戻られるように」と、彼の優しい心が現れた。
ユミの心はまだ決めかねている。動けずその場に固まる。
『客人』と『魔女』。どちらも未知数。どちらの未来もまだ、決してはいない。
――――これから作るのだから。
自分自身の手で。たとえそれが、困難を極める道であったとしても――それは自分で決めた道。自分で繋げる道。自分の行く道。
「……後悔だけはしたくない」
雨はまだ、降り止む気配はなかった――。




