二章 7夢 境コウ線
リコリスは去った。本心という名のど直球のそれを、ものの見事にユミの心に突き刺した――その直後。
――――ふふっ。
と、そんな微笑みの声と表情を浮かべたカイがいた。
ユミはその発生源に目を奪われた。素敵な笑みではあるが、はっきり言って今は笑える状況ではない。だがそれは、ユミにとってはそうというだけで、カイがそういう人物――空気が読めない人物でないのは知っている。だから意味がある笑みと受け取る。
「ごめん、ユミ。そういうつもりじゃないの」
「大丈夫です。カイさんがそういう人じゃないって分かってますから」
微笑みは正され、またいつものカイへと戻った。その真意というもの勝手ながらにユミは受け取っているため、謝罪の言葉に茶々をいれるのもまた違う。だからそう伝えた。
――――気にしなくていいと。
また新たなカイの一面の目撃者となったユミだった。
「面白いよね、リコリス候は。どうだって聞かれて真面目に答えるなんて――だから、あの人の言葉に『嘘』はない。私はあの人のああいうところが結構好きなの」
「……それじゃあ私、凄い嫌われてるってこと……ですよね?」
「そうだね。言葉も強かったし、リコリス候には注意した方がいいね――殿下」
「ああ、そうだな。俺の手前っていうのもあるが……キツイ言い方だったな」
若干の呆れた表情を覗かせながら、机に腕を押し当て、頬杖をつくコウ。彼から見ても、リコリスの本心の言葉は強かったようだ。
「――といっても、こんなのは序の口。全員が全員『ツアナキ殿』のような者ではないからな。――あの性格は性格で、助かっているところもあるのはまた事実だからな」
続けざまに、コウはこの後にも迫る展開を――そして、リコリスを擁護する発言をした。二つの意味でそれは、もっともであると言わざるを得ない。
一つ目がまず、『嘘』の可能性である。これから訪れる人物たちが、それらを交えての会話など当たり前のこと。ましてや王子の――その客人の前だ。それが普通というもの。あり得ない、だ。
コウやカイが太鼓判を押すほどであるために、リコリスがそれはないと言える。実際、嘘であればそれは、どんなにユミにとって嬉しいことか――残念ながらその可能性がゼロなのがまた辛いところ。
二つ目は、『忠誠』という意味合いである。忠誠心というものは、一朝一夕では築けない。不満や偏向を持つものならば、それはなおさら。実際、第二王子という立場ながら、『魔女嫌い』というのはどうしても糸を引いていることだろう。
まごうことなき一つ一つの言葉や態度は当然、信用され、信頼される。真っ直ぐ向かってくるからこそ、それらを勝ち得ていると言えだろう。リコリスという人物。その立場と高位なる位置が、自ずと見えてくる。
「ツアナキさんはリコリスさんってこと……だよね、流れから言えば。どういうことだろう? 名前がふたっつ?」
新たな問題が浮上していた。手を顎に当て、考える。リコリス=ツアナキ。それは流れからして間違いない。だが、いかんせん情報が少ない。決めつけてしまい――はい、間違いです。では相手の印象もまた変わってしまう。もとから低いのだからどうということは無いはずなのだが――。
ユミは目線を下にやる。机には一つ、資料に書かれた暗号の文字列。異世界の文字が飛び込んでくる。それをいち早く解消するしか、答えを出すには方法がなかった。ユミはコウに、文字の読み書きが出来ないことをまだ、話していないのだから――。よりにもよって、コウもカイもできると思い込んでいる。その証拠が、資料の提示。それだけに聞くに聞けない状況へと自然に追いやられていたのだ。
「カイさん。机の上のペン、借りていいですか?」
「構わないよ。そこにあるもの、好きに使ってくれていいから」
「ありがとうございます。それと、コウ。この資料まだ使うかな? ダメならダメでいいんだけど、名前とか覚えたいから、少し借りてたいんだ」
「それなら別に問題はない。名前が載っているだけだからな」
「ありがとうございます、コウ殿下」
「お前にそう呼ばれるのは、落ち着かないな。普通でいいから――」
コウの言葉には目もくれず、ユミは座り、資料の裏に筆を進め始めた。その真剣な彼女の様子に、彼はそれ以上何も言わなかった。
文字は当然、日本語。五分にも満たない時間に体験したことをまとめ上げる。そして――新たな来訪者がやって来たのは、ユミが筆を下ろしてからすぐのことだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「それではこれで失礼致します、コウ殿下」
「何かあれば、また頼む」
「はい。では失礼致します」
最後の賓客が去り、扉が閉まると、ユミは机に突っ伏した。
――――つ、つかれた……。
目まぐるしい来訪者達の、好奇の目。驚嘆の表情。機敏に触れる言い回し。表面から内面まで、それらを幾度となく味わわされたのだ、疲労の色は隠せない。それでもまだ、それらは始まりに過ぎない。
ふと目線を上げると、部屋の中心――ユミの目の前にはコウがいる。彼女と、向かい合う形になっている。
「お疲れさん。もう夕方だ。本当は城を案内する予定だったが、今日は難しいな。一先ず部屋に戻るか」
コウはとことん付き合ってくれるようだ。それはその分、彼の時間を奪ってしまうことに他ならない。一種の線のようにユミとの間に立ち塞がっている。いやそれは、立ってくれている、といった方が正しいか。第二王子の客人。その名ばかり身分を貰っているのに、何時までも甘えてなどいられない。立ち位置の形成には、はっきり言ってその線は邪魔である。自分で決め、やって、分からせるためにも、
「そこまで迷惑かけれないよ。一人で戻れるから」
「側にいられる時はいつも一緒だって言ったろ?」
そう返してくるのは、ユミにとっては想定内。
一つ。落胆することばかりではないことがあった。ユミには僥倖が降ってきていたのだ。
「ホントに大丈夫だから。私にはほとんどの人が悪い人には見えなかったよ?」
書き留めた資料に目を移し――コウへと視線を上げる。上目遣い。
その僥倖というのが、ユミに――客人に対する賓客達の態度であった。思いの外、好印象にユミは捉えていた。もちろん、全てを理解できたわけではない。人の心など当然、読めない。人の考えなど手に取れない。人の全てを自由に、思い通りに動かせるわけがない。でも、彼女がそうであるなら、コウはどうだろう。彼女よりよりたくさん見てきた彼ならば――。
「……分かった。強制したって仕方ないしな。だが、ユミなりの答えを聞かせてくれ。お前には誰がそう見えてた?」
折れたようにそう綴る。だが、コウなりの心配はあるようで、一致するかどうかの確認をしてきた。
「名前は言えないけど、二人。二人には私が邪魔みたいに見えた」
一人はリコリスだが、もう一人は彼とはまた別の意味で不気味であったので印象深く残っている。資料には確かに、その名前がリコリスの隣に書かれている。
――――要注意人物だと。
「そうか。顔は覚えてるか?」
「うん、大丈夫。皆の顔と名前は忘れてないよ」
「もう言わん。何かあれば、声を上げろ。助けを呼べ。困ったら俺を頼れ。いいな? ――少し部屋で休んでおけ。後で夕食に誘う」
「ありがとう、コウ。楽しみに待ってるよ」
ユミはコウから沢山を受け取り、それらにニコッと微笑みで返した。イスから立ち上がる。資料を片手に、扉へと向かう。ここからは一人旅。城内を一人行くのだ。それは部屋へと帰るだけだ。だが、はっきり言ってここからどうなるかは分からない。コウの手を煩わせずには済んだが、未知数の旅路だ。ばったりエンカウントしてもおかしくはない。心は何処と無く落ち着かない。
「お疲れ様。これでしばらく、城内はユミのことで持ちきりだね」
「……お、おにですか……カイさん」
ここぞとばかりのカイの追撃に、ユミはカイに困惑の表情を浮かべざるを得なかった。まるで心を読まれたかのように、髄をえぐってきた。
「ふふっ。でも本当のこと。ユミは可愛いからね」
突拍子もない一撃に、頬が燃える。体が熱くなる。心はまた別の意味で冷静さを欠いた。
――――それはない。あり得ない。絶対にあり得ない。カイさんの方が何百倍も、キレイだよ……あれ? かわいいとキレイって違う……違うよね。かわいいって……あれ? でも、カイさんはかわいいとかじゃなくて……どっちかって言えば、アルちゃんの方がかわいい……あれ? ……何が言いたいんだっけ。何て言えば……何て返せば……もう、分かんないよ~。
「かっ、かかか、可愛いくなんかないです。私はただのゴミ。ゴミですから~」
「お、おい! ユミ――」
ユミはただ、うつ向きながらに走った。走って、走って、その場からいち早く消え失せたかった。女として、全ての上位互換のカイの前からただ――込み上げてくる『負け』の二文字を胸に、コウの呼び止めも露知らず――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
城内をただ走った。右に左に――その結果、
「……どこ、ここ?」
単刀直入――迷った。迷子になった。
「ここで何をしている」
そんな呼び掛けに、ユミは畏れながらに――身震いしながらに――赤髪を揺らしながらに振り向いた。それは最悪のエンカウントであった。




