二章 2夢 天地無用兎侍女
部屋の扉が開かれた先は、新たな部屋だった。思わず「えっ!?」と、ユミは驚きの声を上げる。
ユミの思い描いていた光景とは、近くも遠からず。廊下だと思っていた。
部屋を開けるとそこは、廊下だった。などという異世界予想図は、はじめの一歩目から見事に躓いた。
「そんなに驚くことじゃないよ。寝台の部屋とは別の部屋ってだけ」
冷静に躓いたユミを引き上げるカイ。
「そ、そうなんですか? あんなに大きい部屋なら、てっきり一つの部屋かと……」
「そういう部屋もあるけどね。座って待ってて」
そう注釈したカイは、部屋の真ん中にあるソファーへとユミを促す。「はい」と、スカートを折り畳んで、座る。背筋はピンと、手は膝に。それはもう姿勢の良いものであった。
柔らかく、反発力のある緑色のソファー。それが対面にもある。
「そんなに堅くならなくてもいいよ。朝食持ってきて上げる」
「何から何まで、すみませんカイさん。私、甘えてばかりで……」
「いいの。コウ殿下の意向だし、私もユミには色々と助けてもらったからね。こんなのは小さなことだよ。――じゃ、くつろいでていいから」
それだけを残して、カイは部屋をあとにした。その奥には確かに廊下があった。
また一人残されたユミは、少しばかり興奮していた。その気持ちを抑えようと、ソファーから立ち上がり、部屋に置かれた本棚へと足は向いていた。
分厚い書籍の数々。その中から一冊を取り出し、壁へと寄りかかって、活字を眺める。しかし、それらは一切入ってこない。何故なら、
――――朝食って、何が出てくるのかなぁ……。
そんな上の空状態なのだから。朝食の献立が気になって仕方ない。
ここは王都に立つ城。つまりは王城なのだ。国の中で、最高位の場所。そんなところで出される食事など、豪華絢爛なものに決まっている。
そんな食事に想像は膨らむ中、
――――トントン。
と、ドアが旋律した音に意表を突かれたユミは、驚きの反応を示した。手から溢れた分厚い本が足へと落下――そしてタイムラグなどなく、彼女に鈍い痛みをお見舞いしたのだ。「ぅぐぐ……」と、掠れながらに悶絶声を上げ、跪く。
だがユミは、すぐにノックに対する答え――「は、はい」と、返事をした。何とか平静を装い、
――――か、カイさんにしては、い、いやに早くない?
と、思考だけは冷静だったが、ユミの体からは正直に冷や汗が流れていた。
扉が開かれると同時に、ユミは本を抱えながらに立ち上がった。そして――、
「お久しぶりです」
扉の先にいた人物の第一声に、
「……えっ!? だれ……ですか?」
ユミは本気の戸惑いの表情を見せた。声色もそれに倣っている。当然だ。そこにいたのは、ユミの知らない人物。会ったこともない人物。見知らぬ人物であったがために、彼女のその反応は至極全うな――百パーセント正しい解答である。
「覚えていないと……確かに、終わりでしたね。
――コウ王子より、ユミ様の身の回りのお世話をするようにと、言われませんでした、侍女の『アルメリア・スリフト』です。今日からお世話になりませんので、よろしくです」
――――は?
ユミは口をポカーン開けて固まった。今、彼女の脳裏を駆け巡るは、無。何もない。何もかも無茶苦茶で思考を放棄したのだ。ただ、『アルメリア・スリフト』と名乗る人物を見るだけに、彼女は存在している。
「……はっ!」
ふと無から解放されると、あまりにも情報量が多すぎることが分かった。それ故に、どこから手をつけていいものかと――視覚と聴覚。その両方に轟く、アルメリアという人物。
アルメリアはそんなユミを他所に、カタカタと台車を運び入れ始めた。それはファミレスなどにある料理を運ぶ台車に近い。ソファーが取り囲むテーブルの近くで彼女は台車を止め、淡々と皿を並べ始めた。慣れた手つきでことを進めていると、
「あっ、いい匂い」
ユミは嗅覚に訴えられた食欲を沸かせる匂いに、自然と声が漏れていた。皿の蓋が開き、色鮮やかな料理の数々が目に飛び込む――その時だった。
「いいえ、すごい悪臭です。ユミ様、こちらに立ってお待ちを」
アルメリアから飛び出した仰天発言に、またしてもユミの手から溢れた本は、彼女の足を潰した。だが今度のユミは違う。反応を示さなかった。それ以上に呆気に取られてしまっていた。まるで頭上からタライでも落ちてきたかのような衝撃。
ユミの目が点になったのもそれは頷けてしまう。それほどにアルメリアの発言は際立っている。
――――いったい、何を言っているの……この娘は。
言葉の癖が、さも普通であるかのように、平然としているアルメリア。疑念など微塵も感じさせない。それだけに、本当にその料理の匂いが悪臭であるかのように錯覚させられる。
「いい匂い……なんだけど。何? 私の感性がおかしくなったとか?」
「いや、いい匂いだぞユミ。アルは少し変わってるんだ」
突如として割って入ってきた爽やかな声の出所を、ユミはすぐさま見やった。
開かれた扉に手を当て、部屋と廊下の境界線にその声の主はいた。その人物とは、久しぶりと呼べるに相応しいのは言うまでもなく――、
「コウ。おはよう」
「おはようユミ。入っていいか?」
落ち着き払った声色。それに倣うかのような穏やかな微笑み。声の主――プラノ王国、第二王子こと、『コウ・ゼネリア』はそこにいた。
それぞれに朝の挨拶を交わし――そして、許可を求めるコウに、
「どうぞ、どうぞ……っていっても、私の部屋じゃないけど」
と、大歓迎でユミは部屋へと招き入れる。
ユミのところへ歩み行くコウ。アリメリアは「こんばんはです。コウ殿下」 と、働く手を止め、お辞儀を繰り出す。「おはよう、アル」と平然とコウはそれを返す。
「朝から本読んでるなんて、勉強熱心だな」
「……えっ? あぁ! こ、これは違うの!? なんでもないの」
コウの視線は落ちた本へと向いていた。ユミはすぐさまそれを拾って、そそくさと元に戻す。
その本の内容など一ミリも入ってない。朝食に気を取られていたのもあるが、第一にユミは異世界の『文字が読めない』。
異世界は日本語ではない。もちろん英語などとも違う。
言語が通じるだけ、まだなんとかなっている。だが、読み書きが出来ないというのも、それはそれで弊害が生まれてしまうのも確かで、
『ねぇ、コウ。ちょっと、隣の部屋に来てくれない?』
その事ともう一つ。どちらかといえばもう一つの方が現状、大問題である。それら二つのことを頼むために、耳打ちでコウへとそう頼む。「ああ、いいぞ」と、二人は隣の部屋――寝台ある部屋へと向かった。足を少しばかり引きずりながらに――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『アルメリア・スリフト』
銀色の長髪を引き連れ、『兎耳』が目を引く可愛らしい少女であった。
華奢な体躯で、ユミよりも背が低い。無表情。声のトーンにも抑揚はなかった。
地味めな服装。それは女中の制服のようなものだと見受けられる。腰から白い前掛けエプロンを――その裾はフリルがついていた。
「……で、何が知りたいんだ? って、言ってもまぁ、大体察しはつくがな……」
寝台部屋の扉を閉めると、そう綴ったコウは、頬を掻いていた。若干気まずそうで、声には動揺が見える。
「察してくれてありがとうコウ。……ぶっとんだ娘だね」
「……言いたいことは分かる。その前に、とりあえず座ってくれないか? ユミ」
「どうしたの? 私はこのままで平気だよ? コウこそ座ってよ」
「――足、痛むんだろ? 意地張るな」
コウの言葉に、痛めた箇所が熱を纏っていることを見抜かれた。分厚い本に二度襲われた右足。赤くなっているであろうそこは、見ずとも分かる。ズキズキと、脈が打たれているためだ。
「……いつ、気づいたの?」
「足引きずってるように見えた。ただ、それだけだ。――ほら、座れ」
「……ごめん。言葉に甘えるよ」
大したことはない。軽い打撲であろう。だが、心配を掛けたことを素直に謝る。
イスを持ってきたコウに促され、着席。それに合わせて、コウもまた新たなイスを運び、それへと腰掛け向かい合う。
「簡潔言うとだな……アルの言葉は、『意味が真逆』なんだ。『暑い』は『寒い』。『おいしい』は、『不味い』とか、そんなとこだ」
「あはは……変わった娘、何だね」
「ははー、まぁな。あれでも侍女としても、女中としても腕はいいから、心配しなくていい。――まぁ、なんだ。最初は戸惑うかもしれんが、慣れてくれ、としか……な?」
「……ん? それってどういう意味?」
ユミは、コウからのアルメリアという人物の説明を、談笑混じりに聞き入れた。だが、最後の言葉が引っかかる。
既に戸惑った。そのために被害を受けた。半分は自業自得であるが――。
部屋へと来訪し、食事の準備中。そして、コウからの慣れろという発言の意味することはつまり、
「ユミ。お前にアルをつける。……って、そうアルから聞いてないか? ここでの疑問はおかしいんだがな」
「あっ……そ、そう言えばそんな事、言ってたかも……」
コウの疑問の投げ掛けに、頭を抱えて項垂れる。
全てが飛ぶほど、あの兎さんはネジが飛んでいる。その片鱗をあの短時間で味わった。
そんな人物とうまくやれるのか、そんな思いの中、脱兎のごとく、吹き飛んでいた記憶が呼び覚ました。




