一章 25夢 今、乗り越えるとき
カイは行ってしまった。ユミへは何も語らず、シギリへと語った意味深な言葉。それだけを残して。それがどういう意味なのかは分からない。分からないが、受けた取った笑みという名の言葉。信頼し、信用しているからこそ、それは言葉に出さずとも分かる。
――――カイは必ずと応える、と。
だからユミも、応えるという選択肢しかない。
ヒイラギ・ユミが対面している人物は、彼女にとって乗り越えなければならない壁。あまりにも巨大な壁である。
「まずは、魔女の匂いの元を出してもらおうか」
二人きりになるや否や、シギリはユミに魔女の証の提示を要求した。彼女はすぐにポケットからそれを取り出し、
「……あげる。――こんな物!」
ユミはそれを――指輪を一瞥し、シギリへと投げつけた。手投げだが、小さい物体のためにそれは速い。が、難なくそれはキャッチされる。バシッと音が聞こえるような――シギリの手のひらにそれは納まった。
指輪を盾にするつもりはなかった。それで注意を引くことも。ましてや、それを囮に逃げ出すことさえも――ない。
投げつけた理由はただ一つ。
「そんなに欲しいのなら、あげる。私は魔女何かに興味はないの」
ただ、それだけのこと。
この場できっぱりと、ユミは魔女との縁切りを言い渡す。それはシギリにではない。彼女自身へ――込めた想いを言葉としてぶつけたのだ。
様々な形でそれは現れ、有用な利益を生んだ者と物。そのどちらもユミにとっては既に、無用の長物となっていたのだから。
「……なるほど。これは確かにあの魔女の物だ。どういうわけか、君からは匂いが消えた。……面白い子だ。魔女に見初められながらも、それを断るとはな」
「私は、魔女になるためにこの世界に来たんじゃない……コウを助けるために来たの。そして、その元凶があなただってことも知ってる」
ユミの言葉に、初めて影を纏ったシギリ。それでも、まだまだ余裕だと言わんばかりの、コイントスならぬ指輪トスを見せつける。
コウ――第二王子を牢に入れることなど、それなりの人物でないと無理だ。と、なると選択肢は一つしかない。それがシギリ。確証はないが、確信できる。
カイがコウとの接触を禁じられていることも、それに拍車をかけている。
それが、どれ程の期間かは分からない。だが、第二王子の突然の失踪など、早々隠蔽できるものではない。だから、数日間と考えるのが妥当。その間、カイが見つけ出せなかったというのも、シギリが関わっているのだとしたら自然とそれは頷ける。
幽閉する所以はあれど、だ。
コウを幽閉するということは、シギリにとって不都合な何かがあるという事――それが戦争であり、会談だ。
魔女信仰国なら、魔女が仲介者となっている会談の採択は決定事項だろう。
それらが真相と呼ぶべきものだと、ユミは向かい合うパソコンの前で、そう結論付け、今に至る。
「私が元凶だとして、君はこれからどうするつもりだ? 最も重要なものは私の手のひらの中。これを武器に私に何かを要求するのも、手立てとしてあったのではないか? ――例えば、コウの解放などというのは」
「見え見えなのよ、そんな嘘。弄びたいだけでしょ」
「……なんだ、バレてしまっているのか。カイに似て喰えない子だ」
「そっくりお返します。シギリ殿下」
ユミは冷静にそうと返す。が、その実、心臓は爆発寸前だった。
心拍の上昇に合わせて、苦しさに苛まれ汗が流れる。だが、ほんの少しの隙さえ、シギリには見せられない。
実際、指輪は切り札となり得たはずの物である。しかし、その隙さえもシギリには危険。だからこそ、明け渡した。形は違えど、門を潜った後、ユミは指輪を捨てる予定ではあった。
その理由は、ある人物の衝撃の真実を知っているから。
そもそも、シギリと出くわすのはユミの中で全くの計算外。本当は、カイを信用させ、揃ってコウの場所に行くというのが、思い描いていたストーリーだ。
そのストーリーは破綻こそしたが、糸はまだ切れていない。
「この指輪は一先ず預かるとする。君はこの指輪がどういう物か知ってて捨てたのか?」
指輪を見せつけ、意味深な問いかけが新たにユミを襲う。
「……どういう意味?」
困惑の表情で、ユミもまた問いかける。
魔女の品である指輪が、いったいどういう物かは今だ定かではない。彫り刻まれた文字列の意味さえもユミは知らないのだ。
だから、自然とそうならざるを得ない。
興味本意の問いかけ――そう、これが隙だ。ユミは見事なまでの隙を作った。だからこそ、「あっ……」と口を覆い隠し、気づいたときにはもう遅い。
「その問いかけは、私の問いにも答えてもらうことになる。――いいな?」
「……っ、分かりました」
――――やられた。
ユミの表情は一変し、険しさが露になる。そうと答えるに、他なかった。
それとは真逆に、シギリを覆っていた影が消えてゆく。
立場が変わったのだ。もともと不利ではあったが、ますます不利になる。
「理解が早くて助かるよ。ユミ」
シギリにとっては至って普通の呼びかけだろうが、ユミは名前を呼ばれて、心拍が別の意味で上がる。
今、対峙しているシギリが通常の彼なのだろう。あの時も、最初は淡としていて、少し小馬鹿にしたような――それでいて愛嬌のようなものを出していた。好かれる愛嬌とはまた別のものだが――。
しかし、ユミの中ではあの印象が強すぎて、やはり慣れない。どこからともなく絶望で押し潰してくるか分かったものではないからだ。
でも、心は正直にそれを跳ね上げているのもまた現状。
――――カッコいいんだけどね……。
「ここではなんだ、兵舎にでも行こうか」
ユミへと歩み寄ってくるシギリ。
立ち話に飽きたのか、それともカイの用件を実行しようとしているのか――ただ、一つ。
――――捕まったら終わる。
そんな謎の気配に圧されて、ユミは少しずつ後退しながら、
「待って。カイさんが来るまで――」
「――カイが来るのはまだ先だ」
「そ、それは……うわぁ!?」
遮られ、その距離は次第に詰まっていき――そして、ユミはマントの裾に引っ掛かって転けた。尻餅をつかされた。
ユミが見上げる先には既に、シギリがその無様に転けた赤を見下ろしている。状況は違えど、もう逃げられない。
「あいつは用があって出掛けたからな。――手を貸す。取りなさい」
「……知っててそう言ってるのなら、あり得ないよ?」
ユミは差し出された手を弾き飛ばした。彼女の変貌した態度にシギリも、表情を曇らせる。
全て知っていてなお、カイを敢えて止めずに行かせている。それもそうだろう。シギリにそれを止める理由はないからだ。そして、会談は成立しないと知っているのだから。
理由は単純、コウを幽閉しているから。
――――やっぱ、合わないなぁ。
ユミは胸に手を当て、心拍が自然と落ち着いていくのを感じた。
何をこうも緊張しているのか、と。
「……どういう意味だ?」
「どういう意味かは自分の胸に聞きなよ。もう、私を殺しても何の意味もない。きっとコウもカイさんも、今ごろは会談場に向かってる」
「……やはりそうか。こそこそと何やら話していたのはそういうことか」
全ての事柄を理解したのか、シギリは腰に備えられた剣を抜き、尻餅中のユミへと突きつける。
「まんまと君に一杯食わされたわけか――ユミ。情報源を言え。そうすれば、命までは取らん」
真剣な表情へと変化を遂げたシギリ。彼にとって、情報漏洩は最重要の問題なのだろう。だからこそ、今まで見せたことのなかった彼の一面が露になり、それはユミに刺さった。
「……その表情は初めて見たよ」
ユミは自然と笑みを溢して、そう綴った。それは完全に場違いな笑み。
捉えられ方によっては死への最短コース。
だが、
「……フフフ、やはり食えんな」
「……えっ? どういう……」
「こんな状況で命を惜しまず、私の顔つきを観察するような娘だ。殺すには惜しい。――だが……」
シギリは徐に身を屈め、ユミの顎に手をかざして顔を上げさせる。
「……なるほど。いい目付きだ。私から目を逸らさないのか?」
「そちらが逸らしたら、逸らして上げますよ――シギリ殿下」
「ハハハハ。では、もう逸らせないなユミ」
笑いながらも、シギリは一切視線を外そうとはしない。それだけにユミも外せない。
強気に出たはいいものの――だ。
――――その時だった。
「……はぁはぁ。兄上、何をなされているのです」
息急ききらせて、呆然とその光景を目に焼き付ける者が一人。その場に現れたのだった。




