第一章 7話 『黒い獣』
騎士団が王都を出発してすぐ、後ろに座っているクロアにセフィラは今まで閉ざしていた口を開いた。本当は王都を出る前に色々聞きたかったのだが、品行方正を常に心掛ける騎士団員としては団員の目が集中しているあの場で聞くことはためらわれた。
「クロア、あなたが案内役ってことは……」
「……うん、ディア村は僕の育った村なんだ。そこに『黒い獣』が現れた……らしい」
その言葉にセフィラの手綱を握っている手に力が入る。かつて自分の家族を殺した悪しき魔獣。忘れられるはずもない過去の情景を思い出す。あの悲劇だけは何としてももう二度と起こさせたくなかった。
「でも、絶対皆を殺させない。僕が助けて見せるっ」
「……クロア、間違っても『黒い獣』を倒そうなんて考えないでね」
セフィラはクロアに強く言い聞かせた。クロアはその言葉にアイシアとカイヴェルも同じことを言ってたことを思い出す。
「カイヴェルさんとアイシアさんにも言われたけど何でそんなに『黒い獣』を倒すことにそんな消極的なの? そんな危ない魔獣なら討伐できるときにしたほうがいいんじゃないか?」
「……意味がないのよ」
「意味がない?」
「『黒い獣』に攻撃は一切通用しないの。剣も槍も弓も魔術も一切効果が無い」
その言葉にそんな馬鹿なとクロアは心の中で思う。いくら強力な魔獣でも生き物である限り傷つくしそれを積み重ねればいずれは死ぬだろう。だが、それがもし本当ならば――
「一応、例外はあるの。異能だけは通用するんだけどね、昔そのことが判明した時に攻撃に特化した異能所持者百人が集められて『黒い獣』討伐隊が組まれたの。だけど結果は全滅……。『黒い獣』に負わせた傷は片目を潰しただけ……それもすぐ再生してしまう」
そんなのは効果があるとは言えない。攻撃は通じず、強力な異能使いが百人いても片目を潰すことで精一杯、しかも再生するとなればもう手に負えない。
「そんなの、勝てるわけないじゃないか……」
「そうよ、あれはいわば生きてる災害、災厄の一種なの。だから意味がない、敵うわけがないのだから」
そんなのと戦うことは無駄だ。その獣が現れただけで敗北が決まってしまう。死、そのもの。だから逃げることしかできない。
「見えたぞ、転移石だ!」
先頭を走るカイヴェルから声が上がる。その前方にひし形の青い結晶体が石造りの柱に囲まれている。その大きさは十メートルといったところだろうか、かなり大きい。一団は転移石の前で止まる。
「ここよりエイビンズに転移後、案内役のクロア君に先頭を走ってもらう。いいかい?」
「はい、大丈夫です!」
「よしいくぞっ!【エイビンズ】」
カイヴェルは転移石に触れ、魔力を流し、転移先の街の名を告げる。その瞬間にあたり一面白く輝き、若干の浮遊感が感じられたと思ったら、王都とは違う街の風景が目に入ってきた。
しかし、その光景は異常なものだった。
「なんだよ、これ……」
周りには崩れ落ちた建物の瓦礫が散乱し、いたるところに火の手が上がっている。そして街の人と思われる死体がいくつも横たわっていた。
「うっ……ごほっ!」
血の匂いとその光景にクロアはたまらず口を押え胃の中から逆流してくるものを出さないように必死に耐える。その時、鎧をつけた兵士が腕から血を流した状態でこちらに走ってきた。カイヴェルに気づき安堵の表情を思い浮かべる。
「よかったっ、騎士団が来てくれたっ」
「何があった!」
「いきなり、魔獣の群れが……この街に押し寄せてきて……がはっ!」
限界だったのだろう。兵士は口から血を吐きその場に倒れる。カイヴェルは兵士の安否を確認する。
「……まだ生きてる、早くこの者に治療を!」
カイヴェルは少し考え、こちらを振り向く。
「これより隊を半分に分ける。半分はこの街の魔獣の掃討、および怪我人の救出。もう半分はこのままディア村に向かう。私はディア村に向かう。ここはオルファ、君に任せる。」
「りょうーかいっすよ」
指名されたのは少しやる気のなさそうな薄茶色の短い髪にタレ目の男だった。しかしカイヴェルが指名するということは実力があるのだろう。
「よし、第一から第五部隊は私に続けっ!」
再び騎士団は走り出す、半分はこの街に残るがそれでもかなりの人数がいる。もちろんクロアとセフィラは先頭で走り出し出口を目指し走りながら街の惨状がめに入ってくる。街が破壊されているところや死体を見ると胸が苦しくなってくる。
「ひどい……」
セフィラも強い憤りを感じているようだった。
「でも、なんでこのタイミングで魔獣が……普通魔獣は人が大勢いる街を襲うことはないのに……」
その問いに隣でクロア達の馬と平行して走っているカイヴェルが答える。
「恐らく、魔獣は逃げてきたんだろう、『黒い獣』から。『黒い獣』は人間だけでなく魔獣も見境なく襲うからな」
クロアは思い当たることがあった。王都に着く前ワイバーンに襲われたことだった。なぜ安全地帯で魔獣が現れたのか、餌となるものがあるわけでもないのになぜだろうと思っていた。しかしこれで納得した、ワイバーンは『黒い獣』から逃げるためあそこに現れクロア達を襲った。そしてワイバーンに襲われたときすでに近くまで『黒い獣』が迫ってきていたという事実にクロアは悔しくなる。
『黒い獣』にもっと詳しかったら、村まで戻り避難するよう言えたのではないか?到底無理な結果論だとわかっていてもそう思わずにはいられなかった。
「前方に魔獣! 三体!」
その時、死体を貪ってる魔獣がこちらに気づく。四足歩行で魚のヒレのようなものが背中についており、目はギョロギョロとせわしなく動いているその容貌は醜悪の一言に尽きるほどだった。
「グレムルよ!」
「くそっ、こっちは急いでるのにっ!」
クロアはそういいガルークからもらった剣を抜き放つ。
「そのまま走り抜けろ!!」
カイヴェルはそう言い放ち剣をグレムルに向ける。するとカイヴェルの後方より火の玉が現れそこから赤く輝く槍が現れる。
「《ルーブス》」
その槍はカイヴェルが魔術名を発すると同時にグレムルのところまで弓矢の如き速さで飛んでいきその体に突き刺さる。そこから燃え上がりグレムルは灰になる。
「周りの魔獣は我々で対処する。君たちは全速力で走れ!」
そのあとも魔獣の襲撃があったがカイヴェルと他の騎士団員がすべて片づける。そしてエイビンズをやっと出れたのであった。
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「そこを右です!」
エイビンズを出た一行はクロアの案内の元ディア村まで馬を全速力で走らせていた。馬の息も上がっていたが休ませる暇は無い。今は一秒も止まる暇は無かった。
「魔獣の数が減ってきた?」
セフィラは周りを見て呟く。ディア村に近づくにつれ幾度も襲ってきた魔獣がどんどんその回数も減ってきた。
「『黒い獣』が近づいてきたということだろう。総員、警戒せよ!」
クロアはつい数日まえ通った道を複雑な気持ちで馬を走らせる。大丈夫だ、きっといつもの代わり映えのない村がすぐ見えるはずだ。
「皆さん、ここを真っすぐ行けばディア村です!!」
そうしてついに着いた。ディア村に、クロアが育った村に着いてしまった。馬から降りた一行はただ立ち尽くすことしかできなかった。
「……あ、ああ、そんなっ……」
着いた先で見た光景はエイビンズの時とひどく似ていた。荒れ果てた村、崩れた家屋、ただ一つ違うのは死体が一つも無かった。どこかに逃げたのかとクロアは安堵する。だからこの光景を見たセフィラの言葉はクロアの気持ちを簡単に裏切った。
「村人はもう黒い獣に……」
「ま、待ってよ! まだそうと決まったわけじゃないだろ!? 死体が無いってことはどこかに避難したってことだよ!」
クロアは必死に笑って見せる。その事実しか認めない。それ以外聞きたくなかった、そうだよと言ってほしかった。
「じゃあ、この血は・・・なに?」
見たくなかった。
わざと見ないようにしていた。
村のいたるところにおびただしい量の血がまき散らされていることを認識することが怖かった。胸が苦しい、息が詰まる。何かが自分の体から出ていきそうだった。
「……かあ、さんは? そうだ、母さんはどこに!?」
クロアは暴れたいような気持を抑え自分の大事な人を探す。ここにはいない、ならば必然的に出てくる場所は一つしか思い浮かばなかった。
クロアは駆け出す。
「クロア、待って!!」
「セフィラ、彼を一人にするな! こちらも生存者を確認次第合流する!」
「はい、わかりました!」
セフィラはクロアの後を追いかける。今、彼を一人にするのは危険だ。それにあんな泣きそうな顔の少年を見捨てることはセフィラにはできなかった。自分の夢を笑わず、手伝うとまで言ってくれた人を放っておくことはセフィラには……できなかった。
坂を駆け上がる脚は恐怖と絶望でまともに動いていなかった。倒れそうになる、いや倒れてしまいたかった。これは夢なんだと割り切ってしまいたかった。しかしあたりから漂う血の匂いが、死の雰囲気がこれは現実なんだと嫌でも伝わってくる。
そして登り切った坂の先、クロアの家が、母がいるであろう家があった。不思議とほかの家と違い何も壊されておらずクロアがこの村を出ていく時と変わらぬ姿でそこにあった。
「母さんっ!!」
その人、フィリナはいた。家を見上げて穏やかに微笑んでいる。クロアの声に反応し振り向く。その顔はやっぱり来たのねと呆れてるような、でも嬉しそうな笑顔だった。この状況でそんな表情がとても不自然だったがそんなことはどうでもよかった。
生きててくれた。その事実だけでクロアは十分だった。母の前に立ち走ってきたことによる疲れが一気に押し寄せ、ぜぇぜぇと息を乱す。
「っはあ、母さんっ! 『黒い獣』がこの村を襲ってきてて、だから、早く、逃げよう!」
そういってクロアは母の顔を見る。しかしフィリナはこちらを見て微笑んだまま何も言わない。
「母さん?」
フィリナはクロアをじっと見つめやがて頷き、口を開いた。
「クロア、ご飯はちゃんと食べてね」
「母さん、何、言ってるの?」
「クロア、病気に気を付けて、悪い人にも」
「クロア、お金使いすぎないようにね」
「クロア、友達はいっぱい作りなさい」
「だからっ、何を言ってっ……」
「クロア、ごめんね」
大きな、とても大きな物がフィリナを隠してしまった。母はどこに行ったのだろうか?急に消えてしまった。それに目の前にあるこれは何だろう?まるで……大きい獣の口……のような……
「あ、ああ、あああ、あああああああああっっ!!!」
この頬を流れているのは何だろうか?必死にため込んでいたものが爆発している。自分で止められるものではなかった。クロアは目の前の口が自分を取り込もうとしているのをただ見ていることしかできなかった。
「クロアっ、逃げてっ!!!」
自分をまきこんで閉ざされようとした口が止まる。いや、徐々にだが閉ざされようとしている。スピードが遅くなっているのだ。今まさに自身を噛み砕こうとする巨大な口はなかなか閉じ切らない。
獣は嫌がるように開かれた口から咆哮を上げる。その衝撃でクロアは吹き飛ばされる。セフィラはクロアを受け止め、体を支える。
「クロア、あれが『黒い獣』。早く逃げましょう、長くは止めていられない!」
そう言われ、クロアはやっとその獣の全貌を見ることができた。一言で言うなら黒い狼。全身黒で染められた毛のような物で覆われている。しかしその先から黒い瘴気のようなものが流れている。その巨躯はクロアの何倍もあり、さながら王都の城壁を見ているようだった。しかし白亜の城壁とは反対の漆黒の体毛はまるで、返り血が乾いたかのように死の匂いを感じさせる。
クロアはここでやっと今、起こった出来事を把握した。
――こいつが、母さんを食った。
憎悪があふれ出す。憎しみを何かにぶつけなければ。なにに?目の前に敵がいるじゃないか。しかもセフィラの術で動きを制限されている。ならば今しかない。
セフィラが掴んでいる手を振りほどき一目散に『黒い獣』まで駆け出す。
「クロア、だめっ!!」
「あああああああああああああっっ!!!」
左手に白く輝く魔力が宿る。そして持っている剣で『黒い獣』を何度も切り付ける。
何度も
何度も
何度も
しかし傷はつかない。何かに攻撃が阻まれている。攻撃が通用しないことで苛立ちは積み重なってゆく。
「村の皆をっ、返せよ!!」
がむしゃらに、でたらめに剣を振るう。その行動になんの意味もないことぐらいクロアはすでに理解している。理解はしていても……止められなかった。
「母さんをっ!返せよっ!!」
だから、どうしようもないから、剣では意味がないから、クロアは魔力を纏った左手を強く、強く、血がにじみ出るほどに強く握り染め――その拳で『黒い獣』の顔面を殴りつけた。
その時、何かが体を駆け巡った。同時に左手の白く輝いていた魔力が蒼い輝きに変わり、次の瞬間『黒い獣』は吹き飛んでいった。
「なにが……起こったの?」
セフィラの呟きはクロアにも届いていた。どんな攻撃も通用しない『黒い獣』がクロアが殴った瞬間、吹き飛んだ。しかもクロアの魔力の色が白から蒼に変わった。なにが起こったのかわからないが、もしかしたら――
クロアは蒼の魔力を剣にまとわせ『黒い獣』に切りかかる。
「うああああっっ!!」
その刃は、『黒い獣』を切り裂いた。傷口から黒い血が飛び出す。
セフィラはとんでもないものを見ていると思った。決して殺すことができない『黒い獣』に傷を負わせている。これなら、もしかしたら――
『黒い獣』はたまらず距離を取り、魔法陣を出現させ黒い棘を飛ばしてくる。そのうちの二本がクロアの体を掠めるがクロアは気にしない。
そしてクロアは距離を詰める。クロアの左手の魔力が蒼く強く輝く。本能的にここしかないと感じ、両手で剣の柄を握りしめる。これまでクロアは片手でしか剣を振るってこなかったが、何故かこの時だけは両手で握りしめていた。そうすることが正解の様な気がして……
左手に纏った魔力が剣の刀身へ流れ込み、凄まじいほどの熱量を蓄える。両手で握りしめる剣を天に掲げ――一気に振り下ろす。
「喰らえっっ!!」
そこから放たれるは蒼き斬撃。純粋な破壊力を秘めた斬撃は地面を削りながら『黒い獣』に当たり大きな衝撃と共に爆音が響く。土煙が晴れると『黒い獣』は顔に大きな傷を負っていた。
――届いたっ、獣にっ!
しかし、クロアは激しい倦怠感に襲われ地面に膝をつく。この感覚には身に覚えがあった。
魔力切れ。
ガルークと共にワイバーンを倒した後、馬の傷を治したときにも魔力切れで倒れてしまった。今も同じ症状が出ていた。
――もう少しなのにっ!
しかし『黒い獣』は動かない。こちらをじっと見つめる。クロアも負けじと睨み返す。やがて『黒い獣』は後ろを振り向き森の中へ消えていった。
クロアは仰向けに倒れる。頭の中はぐちゃぐちゃで何も考えがまとまらない。その時首元に何かあることに気づく。それを手に取りそれを見た瞬間、また涙が溢れてきた。
母からもらったネックレス。
それをを握りしめ顔の前に持ってくる。灰色の空から雨が降り出してきた。
――今日、誕生日でしょ。だから誕生日プレゼント。ま、お守りみたいなものよ。
母の声が思い出される。忘れないように何度も思い出す。そのたびに涙の量は増え続ける。
――ええ、行ってらっしゃい! あなたの家はここだからいつでも帰ってきなさい!
母がいない家になんの価値があるのだろうか。この家にもう自分の帰りを待ってくれる人がいない。
――クロア、ごめんね。
最後のあの言葉は一体どういう意味だったのだろうか。理由を問いただしたくても、もうその相手はいないから。
クロアは泣き続けた。雨の音なんかじゃかき消されないほどに大きく、セフィラもただ見守ることしかできなかった。
大事な、本当に大事な家族をこの日、クロアは失った。




