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第七章 鮭の産地は気をつけて

「ん?」

 パラパラと土がユキの鼻先に落ちる。ユキが枝を見上げた。

「トラップ!」

 叫んだのは、ミズキかユキか。とっさに、ミズキは手に持っていたバッグをユキめがけてぶん投げた。

 どこかで縄の擦れる音。それはすぐに枝から落ちてくる土砂でかき消された。人の頭くらいある石が、社の屋根がぶち破る。お賽銭の箱はめきめきときしんで土に埋もれる。

 驚いたセミが一斉に鳴きやんだ。薄汚い霧のように砂ぼこりが舞い上がる。

 土の滝は、社の三分の二ぐらいの高さまで積もって止んだ。こんもりした土砂の山から、折れた社の柱が飛び出している。支えがなくなった屋根は、斜めに傾いていた。

 妙な静けさのなか、大きな布がひらひらと落ちてきた。今まで、枝に隠れて大量の土砂を支えていた布だ。

「お、おいユキ!」

 ミズキは、半分土砂に埋もれた社に飛びついた。必死で土を掘り返し始める。

「ちょっとお! 死ぬなユキ!」

 指先が痛くなる。

「お稲荷さんの所で死んだ猫なんて、祟りそうでイヤだあ!」

「ずいぶん手前かってな理由だな」

 土の山の影から、ユキがヒョコッと顔を出した。

「よかった、つぶされなかったのね」

「お前がバッグを投げてくれたおかげでな」

 なんだか、ユキの声がかすれている。

「お前のバッグが体に当って、その勢いで屋根の上からすっ飛ばされた。あの一瞬で、よくそんな判断ができた物だ。確かに土砂の下敷きにはならずにすんだが…… あばらが折れたかと思ったぞ」

「死ぬよかマシでしょ」

「違いない。ところでその手、何とかした方がいいぞ」

「うお、指先がむけとる! 血が出てきた! さっき掘ったときか!」

「こらこら、制服で拭くな、制服で。子供じゃあるまいし」

「どうせ、こんな土だらけじゃクリーニングに出さないといけないもん」

 ユキは、ふうっと溜息をついた。

「なぜ、私を助けようとした?」

「あのねえ、その耳、誰にやられたか知らないけどさ。たぶん、アンタの仲間に襲われた所をみると、どうも田中のバカッぽいけど…… とにかく、人間全部がそういう事をやるってわけじゃないのよ」

「なるほど。お前のように、目の前で埋もれそうになっているネコを助けようとする者もいるということか。指先にケガをしてまで」

「そういうことよ」

「自分の死を覚悟の上で」

「大げさね。別に指の皮がむけたくらいで死にゃしないでしょ」

 首をかしげるミズキに、ユキは前足で土の山を指した。そこには、ユキを助けるために投げたカバンが転がっている。

「符。お前、どこに貼っていた?」

「あ」

 充電されたフランケンシュタインのように、ゆらっとニセ者が立ち上がった。

「ちょっと梨理!」

 今だにぼーっとしている梨理の両肩をつかんでゆさぶる。

「いい加減にしなさい! もう十分でしょ! やめなさい、ってか、やめてくださいお願いしますってかでないと殺す!」

「お願いしてるのか脅しているのかどっちだ」

 ユキが突っ込んでいる間に、ニセミズキは閉じていたまぶたを開いた。死んだ魚のように濁った目に、輝きが復活する。

「ヤバイ! 来た来た来た来た!」

 恐怖のせいで涙がにじんで、ニセ者の姿がにじんだ。ミズキは放り投げたカバンに向かってダッシュした。もちろん、「それが当然の義務です」とばかりにニセミズキは追ってくる。

「お返しだ、ミズキ。助けてやろう。いい加減、お前達の追いかけっこも見飽きたことだしな」

 ユキは、前足で頬についた土を落とす。

「人形女。ミズキのニセ者よ。お前が殺したいのは、本当にミズキなのか?」

「え?」

 しゃべらないニセミズキの変わりに、梨理が聞き返す。

 ニセミズキの手が、石畳に食い込んだ。さっきからの騒ぎで、社殿の前は月面上みたいに穴だらけになっていた。

「ほら、またはずれた。呪いで造られた人形が、たかが人間にここまで手こずるはずはないのだが」

 梨理は、長いまつげをパチパチした。

 ミズキはゼーゼーと息を切らせて走る。さっきから炎天下で動きぱなしだ。高校球児だって脱水症状で死んでもおかしくない。

 だんだん足が上がらなくなってきた。自分の右足につまずいてスッ転ぶ。

「ひいい!」

 ニセ者の拳は、寝っころがったミズキの頭から二十センチ横にめり込んだ。

「ずっと見ていてわかった。お前は、本当にミズキを殺したいとは思っていない」

「なにを……」

 またしても電気が切れました、というようにニセ者の動きが止まった。と、思ったら、なんだか悪い発作でも起こしたかのようにブルブル震えだす。

「あの、もしもし? なんで止まったの?」

 呟いたとき、ミズキは思い出した。『もし、ニセ者にあったら絶対に話しかけるな』。たしか、霧崎は会った時にそう言っていた。もしもどこかで呪いをかけた者がその言葉を聞いていて、心が乱れたらどうなるか分からないから、と。

 つまりそれは、梨理が怒ったり喜んだりすると、その影響がニセミズキに伝わるということだろう。

「惚れた男に心を告げる事もできず、親友を呪い殺そうとするなんて、醜いな。そうは思わないか、梨理よ?」

 ニセ者の振るえが、ぴたりと止まった。その代わり、今度は梨理がガタガタ振るえだした。

「ミズキが妬ましかったのは、なにも静馬に好かれているからだけではあるまい、梨理。ミズキは強い。血まみれの男を支えて平気だ。霧崎を助ける必要があれば、罠と知りながら乗り込むことを恐れない」

「やめるんだユキ!」

 ミズキの叫びは無視された。

 ユキはゆっくりと続けた。自分の言葉が梨理の心に染み込むようにゆっくりと。

「それに比べて、お前はどうだ。私に会っても、怖いと泣き叫ぶだけ。ミズキに文句があっても言うことすら出来ず、夜中にコソコソ釘を打つのが精一杯。情けない」

「あ……」

 梨理は、細い指を長い髪に突っ込み、顔を歪める。

 そして、ユキは容赦なくとどめを刺した。梨理の心に。

「お前が殺したかったのは、本当にミズキか? ごまかすな。本当にお前が消したかったのは、自分自身!」

 ニセ者が、にらみつける。ミズキではなく、梨理を。

 その目を見て、ミズキは心底ぞっとした。今まで散々ニセミズキににらまれてきたけれど、 その顔とは比べ物にならないくらい恨みがましい顔だった。こいつ、本気で梨理を殺そうとしている! 梨理は今、自分自身を責めているのだ。それこそ、殺そうとしたいくらいに。

「自己嫌悪、というのだろう、こういうの」

 ニセミズキが、新しい標的にむかってかけだした。

「きゃああああ!」

 新種の獣のように、梨理は悲鳴を上げた。

(昨日の夜、襲われた時は悲鳴も上げられなかったもんだけど……)

「って、そんなことに感心している場合じゃない!」

 なにか、いい方法はないか。ちんたら考えているヒマはない。一か八か。ニセミズキは、梨理の心に影響を受ける。ならば!

 ミズキはカバンの中に手を突っ込んだ。

「そいやあ!」

 宙を舞ったのは、青い花束だった。丈夫な造花は、花びらを散らせもせず弧を描く。そして、梨理の頭と振り上げたニセミズキの手の間にすべりこむ。

「あんたの愛しい人がくれた花束よ! 恋する女の子ならぶっ壊すことなんて出来ないでしょ!」

 偽者の手が止まった。花束が、パサッと落ちた。

「よっしゃ!」

 唇をペロッとなめて、ミズキは本殿に駆け寄った。賽銭箱に足をかけて、思いっきり鈴の綱を引っ張る。割れなかったクス球のように、鈴は屋根から引っぱがされた。

「せいや!」

 ミズキは紐をぶんまわした。石畳に叩きつけられるより先に、鈴は音を撒き散らしながら弧を描いた。

 カウボーイの投げ縄よろしく、鈴をニセ者に向かって投げつけた。縄はニセ者にぐるぐると巻きついた。

「大物ゲットー!」

 叫びながらミズキはニセ者にかけよると、ほどけないように縄の両端をつかんで引っ張った。

 神のご加護なのか、鈴に魔法の力があったのか、はたまたミズキの悪運が強いのか。縄がいい感じに関節へかかったようで、偽者はコンクリートをぶち抜く力を完全に封じられてしまったようだ。縄を切ろうともがいているが、当分うまく行きそうにない。

「危険動物を捕獲したのはいい物の、どうすんのよ、これ」

 なんだか自分そっくりの顔をじっくり見るのは気持ち悪いから、わざとニセ者から目をそらして毒づく。

「まさか、自分の手で殺さなきゃいけないとか言うんじゃないでしょうね」

『撃ち殺そう、弱い自分。君にもできる、そんな気分。永遠の恋人、二人はたぶん……』

 ポケットの中で携帯が鳴り響いた。

「黙れ着メロ! 人の気も知らんで!」

 あとで絶対設定を変えてやろうと心に誓いつつ、ミズキはポケットから携帯を出して開いた。

「もしもし?」

「無事か、ミズキ!」

「出たな、役たたず。霧崎ね」

「なんだ、その炎も凍りそうな絶対零度の声は」

「ごめんごめん。役立たずじゃなくて足手まといだったわね。ネコに捕まるなんて人間としてどうかと思うわよ」

「なあ、そろそろ泣いていいか?」

 走りながらしゃべっているのだろう、霧崎の声はぜいぜいしていて聞き取りにくい。

「気をつけろ! そこにニセミズキが……」

「ええ、いるわよ。スマキになってね」

「スマキ? まさかお前がやったのか」

「あたし以外にだれがいるのよ。あんたが捕まってるのに」

「お前、いい神話ハンターになれるぞ」

 役に立てなかったのが気に入らないらしく、霧崎は少しすねているようだった。

「神話ハンターに? 大金積まれても嫌だわ」

 そこで霧崎は少し黙り込んだ。そして、ゆっくりとためらいがちに口を開く。

「ユキは無事か?」

「もちろん。あたしのおかげでね」

「いまだにアバラが痛いがな」

 ボソッとユキが突っ込んだ。

「ユキと代るわね」

 ミズキは携帯電話をユキに差し出した。ユキは携帯を地面に置いて顔を近づける。

「霧崎。久しぶりだな」

「ユキ……」

「何でこんな事をしたのか、訊きたそうな声だな」

 霧崎は黙り込んでいた。むこうからは雑踏と雑音が聞こえるばかり。

「すまない」

 ようやくのことで霧崎はそれだけ言った。

「ブービーから聞いたとは思うが、今回の騒ぎは私の責任だ。人間の男を襲ったのは、復讐のため。お前を足止めして、梨理の駆けた呪いにミズキを近づけたのは、人間の本質を見極めたかったからだよ」

「本質?」

 アホなオウムのように、霧崎はその単語を繰り返した。

「私は、わからなくなってしまったのだ。人間が、どういう生き物なのか。私は、子猫の時、お前に拾われた。毛布とミルク、うれしかったぞ」

 ユキの口調はどこか懐かしそうで、ミズキは若いころの恋の悩みを話してくれたおばあちゃんを思い出した。

「……」

「でも、ある日から急におかしくなったな。家の中のものがどんどん無くなって、四角い箱だらけになった。今ならわかる。段ボール箱の中に荷物を詰めたんだ。そしてお前達は、引越しのトラックに私を乗せてくれなかった」

 霧崎が何か呟いたけれど、その言葉は雑音にかき消された。

「私は、分からなくなったのだよ、霧崎。人間は、ミルクをくれた手で、私達を殴りつける。猫なで声で――おもしろい言い回しだな―― 呼び寄せたかと思うと、つきはなす。だから、私は人間の本質が知りたかったのだ」

「本質。つまり、人間の本性か。いい奴か、悪い奴か」

「そうだ」

「で、答えは出たのか」

「さあ。結局わからなかった」

「だろうな。人間の俺だってわからないよ」

 霧崎はまた口を閉じた。

「霧崎。私はもうお前を恨んではいないよ」

「そうならいいのだが」

「ああ。子猫のとき、私に油性マジックで眉毛を書いたことも。薄い布で体をくるんで、解こうとしているところを大笑いしてた事も」

「……結構、根にもってるな」

「別に根になど持っていないぞ。しかし懐かしいな。お前は科学が苦手だったな。ベッドの下に一ケタ台のテストが山ほど……」

「へ~、ほ~、ふ~ん」

 ミズキはニヤニヤしながら携帯を見つめる。

「なるほど。それで非科学技術省なんかに入るハメになったのね」

「げ、ユキてめえ、スピーカーにしやがったな!」

「思い出すなあ、霧崎。おまえよくおねしょをして、兄にバカにされ……」

「殺せ、いっそ殺せ! なんだこの嫌がらせは! あれか、これがお前の復讐か!」

 ずっと縛られていたニセミズキが、身じろぎしてカラカラと鈴を鳴らした。

「お、やばいやばい。霧崎、最後ぐらい役に立ちなさいよ。ニセ者が復活する前に早く来て」

「分かっている。急いでそっちにむかっているとこだ。それに、そうバカにするなよ。ユキ達がしゃべるようになった理由がわかったんだ。ドッペルゲンガーもどきについてもな。知恵の鮭だよ」

「知恵の鮭? なによその『受験生用にDHAを強化しました』みたいなものは」

「バカ! れっきとした神々の道具だよ。英雄フィンがボイン河のほとりで捕まえた……」

「ボイン河。地理の時間、バカな男子が地図帳でたまたま見つけて大喜びしそうな地名だこと」

「今でもいるのか、そういう奴。俺の時代も…… て、そんな事はどうでもいい。とにかく……」

 霧崎は、食べただけで知恵をさずかるサケの伝説を、簡単にサッと教えてくれた。

「なるほど。私が食べたのはその鮭の末裔か。前にもまして頭がよくなったのはそのおかげ」

 聞き耳を立てていたユキもさすがに驚いたらしい。目と口を少し大きめに開けた。

「まさか呪い見物しながら枝の上で食べた魚にそんな効能があるとは思わなかったぞ」

「じゃあ、藁人形が人間の姿になったのも、その魚のせい?」

 ユキの頭がよくなったのはわかった。けど、いくら頭がよくなったからといって、ワラの束が肉になるのは納得いかない。特殊相対性理論を研究するワラ人形が生まれるのならまだしも。

 今まで暴れていたせいで、境内は砂埃がひどい。ミズキは頬っぺたにたれた汗をふくついでに、口元を袖で押さえた。

「というより、牛の刻参りのほうが問題だろう」

 電波の悪い所にいるのか、ザザッと霧崎の声がひび割れる。

「ただの束ねた植物の茎を人形にして、さらに髪の毛を入れ込んだり、胴に名前を書いたりするのは、なるべく呪う人間に近づけるための儀式だからな。その力と、鮭の魔力。その二つが重なって、ああなったんだ」

「ふうん、そうなんだ。て、待て待て待て。さっき、なんだかユキが聞き捨てならない事を言っていたような気がするぞ?」

 ミズキは、眉間に指先を当てて考え込んだ。

 夏なのに、変に肌寒い風が吹いた。

「ユキ、枝の上で鮭を食べたのよね。そして、脂と食べカスがワラ人形にかかったと」

「そういうことだが」

「当然、木の幹にもつくわよね。食べカス」

 のしかかる重みに、何とか耐えていたお稲荷さんの柱がバッキリ折れたらしい。土砂の山の一部が、見えない怪獣に踏み潰されたようにボコッと潰れた。

「じゃあ、その木も知恵がつかないと不公平なんじゃないの?」

「あ」

 霧崎が息を飲んだのが、携帯越しに伝わった。

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