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第六章 キルケニイのネコ

「え~、で、あるからして…… ここのXに5を代入すると……」

 数学のイノ先生の説明を聞き流しながら、ミズキは梨理の方をのぞき見た。梨理は、目が合うと慌てて黒板に視線をそらす。

(何だ…… 何か悪いことしたかなあ)

 教室に帰ってきてから、梨理の様子がおかしい。渡そうとした花束も受け取ってもらえなかったし、話しかけても上の空というか、今ミズキが先生に向けているぐらいの注意もむけてくれない。何かわざと避けられているような、イヤな感じがヒシヒシする。

 考えても、何も原因が思い当らない。そのとき、机の中でブーブーと携帯のバイブが鳴った。一瞬、教室の半分の視線がミズキに集まった。

(ヤバ、ヤバ、ヤバ)

 電源を切ろうと折り畳みを開くと、メール着信の画面になっていた。登録していない奴かららしく、差出人はわけの分からないメールアドレスだ。

 いつもなら迷惑メールとみなして問答無用で消すところだけれど、ひょっとしたら霧崎からかもしれない。携帯をしまう前に、サッと読んでしまおう。

『霧崎はあずかった。返してほしければ夕方までに神社へ来い』

 壊れそうになるほど思い切り携帯を閉じる。

(あのバカ! お前が捕まってどうする!)

「ミズキ君、緊急の連絡なら廊下で……」

「おほほほ、申しありませんわセンセ。気になさらずに」

 浮かしかけていた腰を下ろしながら、あいそ笑いをする。

 イノ先生が黒板に注意を戻した瞬間にあいそ笑いは消えて、ミズキは自然と唇を噛締めていた。

(あたしを呪った奴からだ! そいつが呪いのジャマをしている霧崎を捕まえて、あたしを消そうとしてる!)

 落ち着け、とミズキは自分に言い聞かせた。なんかのイタズラかも知れないじゃないか。

 でも、霧崎と出会った事は家族にも言っていない。当然、友達が書いたイタズラメールに『霧崎』っていう名前が入るはずがない。その名前を書けるのは、霧崎本人か、ミズキのことをじっと見張っているだろう、呪いの術者だけだ。

(は、何が守ってやるよ! 何であたしが霧崎を守るハメになってるのよ!)

 道路を割ったニセミズキの姿を思い出す。こっちには魔よけの符が一枚あるだけなのだ。一応まともにやりあった霧崎が捕まった今、このあたしに何をしろと。でも、行かないのも寝覚めが悪いし。

 ミズキはチラッっと時計を見た。数学が終るまで、あと三十分。

(ま、夕方までってなってたからね。この授業が終ったら昼休みだし。そん時にいけばいいか)


「う……」

 霧崎は、ゆっくりと体を起こした。なんだか関節が壊れたような、背中の筋肉にヒビが入ったような、変な感じがして、体中がギクシャクする。

 飲みすぎたかな。そのわりには周りが暗い。大抵潰れるくらい飲んだ次の日は、電気もテレビもつけっぱなしで朝になるんだが。

「おや、以外と早く目が覚めましたねえ」

「ううう。その声で現実に引き戻すのはやめてくれブービー。しばらく色んなことほったらかして、とにかく休みたい」

 言っている本人も、そう世の中甘くないことは百も承知だ。起き上がろうとして、動けないことに気づいた。いつの間にやら後ろ手に、ビニール製のロープでしっかりと結ばれていた。

 窓に貼りつけられた板の隙間から、光が斜めに差し込み部屋を遠慮がちに照らし出している。どうやら霧崎は一階の台所に落ちてきたらしい。部屋の隅にはガスのホースが抜けたコンロがあって、その上にくもの巣がかかったフライパンが乗っている。霧崎は、部屋の中央のテーブルの上に倒れているようだった。

「別にもっと寝ててもいいでやんすよ。普通ならあと一時間ぐらいは目が覚めないぐらいでやんすから」

「一応、落ちたときに受身を取っておいたからな」

 霧崎は頭に手をやった。ジャリっとした物が指先に触れる。固まった血の粉だった。

「そうだ。ミズキ、ユキは!」

 霧崎はとりあえず電話をかけようとポケットを探った。

「探し物があれでやんすか? 今、ウチのミーがおもちゃにしているでやんす」

 ブービーが視線でさした方を見ると、小さな白いネコが折畳み携帯に逆関節を決めていた。

「ああ、やめろ俺の最新機種!」

 ブービーが、冷たい視線を向けてくる。

「それにしても、あんたの待ち受け画面。幼女の写真とは…… あんた、そういう趣味でやんすか。雄としてなげかわしい」

「はあ? 幼女の写真ってなんだよ、人聞きの悪い。俺の待ちうけ画面は、モトから携帯に入ってた子猫の……」

 そこで霧崎はピンと来た。

 花畑で昼寝中の子猫の待ち受け。確かに、ブービーから見たら幼い子供という事になる。

「大の大人が子猫ちゃんとは、やれやれ」

 ブービーが右の前足をヒョイっと持ち上げて、生意気にも肩をすくめるしぐさをマネした。

「ああ、ここだけの話、ちょっと恥かしいさ。のぞき見防止のシール貼ってるさ」

 霧崎は、もぞもぞと体を動かした。

「この縄を解け。ミズキを助けに行く!」

「諦めるでやんす」

 クワア、とブービーはアクビをした。

「もう三十分前にミズキに連絡をしやした。今頃、人形女に殺されてるでやんしょ」

「かと言って、見捨てるわけにはいかねえだろう。ユキのように」

「ユキ姫のように、でやんすか」

 ブービーはナとニの間の笑い声を上げた。

「ユキ姫も、ひょっとしたら生きてないかも知れやせんねえ」

「生きていないだと? どういう事だブービー! 貴様ユキに何をした? イカでも喰わせたか! ネコが喰うと腰が抜けるんだぞ!」

「迷信でやんすよ。ま、消化は悪いでやんすがね。ユキ姫には何もしてやせんよ。直接には、ね」

 ブービーはちらっと天井を見上げた。扉のように一部分がぱっくり開いている。

「知ってやすか? ユキ姫はお稲荷さんの屋根で丸くなるのが好きなんでやんす」

「まさか、そこにトラップを?」

 今更ながら、霧崎はゾッとした。

「一体、お前らはなんなんだ? しゃべる上に罠を仕掛けるなんて。おまけにメールだと? 人間だって出来ない奴がいるぜ」

「なんでこうなったのか、あいにくアッシにもわかりやせんでねえ」

 ネコも遠い目をする事に、霧崎は初めて気がついた。

「昔も確かに感情はあったんでやんすけどね。嬉しいとか、腹減ったとか。でも、なんかこう、頭に雲がかかったような感じで。でも、ある日初めて雲が晴れたんでさあ。始めて雲が晴れたのは、神社の木の上で魚を喰っていたときでやんした。神様のおかげでしょうか」

 ブービーの頭から霧が晴れたのなら、霧崎は胸につかえた謎の塊が砕け散って無くなった感じだった。

「おい、その時に喰った魚、鮭だったろ」

「え? 何でそれを……」

「やっぱり!」

 図書館で読んだ、トラック事故の新聞記事。神様の姿は見えなくても、その道具はまれにみつかるこの世界。ロキが化けたサケ。そう、不思議なサケが出てくるのは、なにも北欧神話だけではない。

 知恵のサケ。ケルト神話に出てくる英雄、フィン・マックールが食べたという不思議な魚だ。フィンはアイルランドの王を守るフィアナ騎士団の団長で、彼は小さい時に森で暮らしていた。その時の先生、ドルイド僧のフィネガスが捕まえたのが、知恵のサケ。フィンが先生のためにその魚を焼いているとき、跳ねた脂が親指についた。それをなめただけでも、フィンは賢くなったという。

「ブービー、悪いが質問に答えるヒマはない!」

 霧崎の手元が、パッとオレンジ色に輝いた。

「ライター!」

 ブービーが鼻を手で押さえた。吐き気がするような臭いがする。

 ナイロン製の縄は火で解けてちぎれた。

 霧崎はテーブルから飛び降りる。足が床についた瞬間、傷が痛んで少しよろける。それにもめげず、霧崎は部屋から飛び出していった。

「な~!」

「いい、放っておくでやんす。どうせ、間に合いやせんから」

 後を追おうとした下っ端ネコを、ブービーが止めたのが後ろで聞こえた。


 木が多いおかげだろう。神社の中はひんやり涼しかった。コンクリートだらけの住宅街から逃げてきたセミが、耳をふさぎたくなるほど大きな声で鳴いている。人気はなく、なにやらお祈りしているお婆ちゃんが一人と、退屈そうに散歩しているおじさんが一人いるだけで、参道はガランとしていた。

 正面の立派な社殿は朱塗りの扉が閉められていて、中は見えない。扉の上にはしめ縄。

 その左側には、社殿と比べるとリカちゃんハウスぐらいにみえるお稲荷さんの社。その隣にある大きな樹が、濡れたような木漏れ日を落としていた。幹にしめ縄がまいてある所をみると御神木だろう。

「あ~、おなか減った! 給食も食べないで来ちゃったわよ。私ってとってもいい奴だわ」

 風が吹いて、周りの木が揺れる。

「ちょっとお。霧崎どころか誰もいないじゃないの」

 符の貼ってあるバッグを無意味にブラブラさせて、ミズキはつぶやいた。

 狛犬の影や水やの後ろを見てみたけれど、怪しい人物が隠れている様子はない。いつの間にか、お婆さんもおじさんもいなくなって、ミズキ一人になっていた。境内で動く物といったら、木の枝とセミぐらいなものだ。

「はあ、もう帰っちゃおうかな」

「薄情な女だ」

 後ろから声をかけられ、ミズキは振り返った。しかし、道路まで通じる参道があるだけで誰もいない。

「ここだ、ここ」

 ミズキの足元に、ネコがうずくまっていた。ユキちゃんが。

「な、ネコがしゃべっ!」

「相変わらず、人間はまずそこに驚くのだな」

 ユキは前足で耳の付け根をかいた。

「当たり前じゃない! ネコがしゃべるなんて、太陽が北から昇るくらいのルール違反よ! 進化の掟に背いているわ。ダーウィンに謝りなさい!」

「何も奴が動物を進化させたわけではないだろうに」

「じゃあ、某おもちゃメーカーに謝りなさい! せっかくネコの言葉がわかる機械を創ったのに、アンタみたいな奴がいると無駄になるわ」

「心底どうでもいい話だ」

 どなりすぎでちょっと疲れたミズキは、そこでふうっと息を吐いた。

「で、霧崎はどこにいるの?」

「残念ながら、私も知らないんだ」

「何よそのナメた答えは。バカにして……」

 言いかけたまま、ミズキは動きを止めた。

 ぺたり。ぺたり。

 皮膚が硬い石に触れる音がした。そう、まるでぺとぺとさんのような。そして、布がかすれるかすかな音。

 社殿の下、高い床と地面の隙間から、小麦色の手がぬっと生えた。指が石畳のくぼみにひっかけられる。着物の袖に覆われた肘が曲がって、肩と顔の半分が光の中に現れた。

 まるでノロいトカゲのように這い出してきたのは、ニセミズキ。

「出たわね、私のニセモノ!」

 ミズキはバッグのふたを開け放った。

「だがしかぁし! 私にはこれがある!」

 黄門様の印籠のように、ミズキはカバンごと符を突き出した。

 ニセミズキは、十字架を突きつけられた吸血鬼みたいに顔を押さえて苦しんだり―― はせずに、ニヤッと口元を吊り上げた。

「あ、ちょ、な、なんなんですか、その余裕の笑みは」

 ミズキはちょっと後ずさった。すぐ近くで、ユキが前足で口を押さえて笑いをこらえているのがチラリと見えた。あのネコ、今にみていろ

「これつけてれば、あんたは近づけないんじゃなかったの? ねえ、ちょっと!」

 今までの人生の中で一番すばやい回れ右をして、ミズキはダッと駆け出した。背後で、大きく地面を蹴った音。

「バカバカバカ! 霧崎のバカ! 死んだらバケて出てやるっ! あ、でも退治されちゃうか?」

 ボルトを超えるんじゃないかと思う速度で、ミズキは狛犬の後ろに隠れた。

「ちょっと、狛犬! あんたたち、神様のお使いでしょ? 突っ立ってないでなんとかしなさいよ!」

 ミズキの苦情にも、狛犬は「あ?」の顔をしているだけだ。

 ニセミズキが思い切り腕を振り上げた。ミズキは思わずしゃがみこむ。景気よく狛犬が砕け散った。

 バラバラと振ってくるかけらに、ミズキは頭を抱えた。アザ決定の勢いで、大きなカケラが腕にあたる。

「いったいわね!」

 ミズキは狛犬のカケラをひっつかんだ。

「てい!」

 ぶん投げたカケラは、物の見事にニセミズキの額に直撃した。人間ではない証拠に、傷からは血が出なかった。

 悲鳴を上げることも、息を吐くこともなかったけれど、それでもニセミズキは一瞬仰け反る。

(なにか、なにか役に立つものないか)

 緊張と、恐怖と、走り出したので、心臓がドキドキしている。走りながら、ミズキは必死に考えた。

 筆箱の中の、カッターナイフ。

(だめだ。近づく前に殺される)

 そうだ。汗止めスプレーは? 吹き出し口に火を近づけて噴射すれば、火炎放射器になるってどこかで読んだ覚えがある。

(でも、マッチもライターも持ってない!)

 二匹目の狛犬が無残に散った。

「こんのバチあたり!」

 半泣きになりながら、ミズキは神社の鳥居目指して駆けた。とにかく、外へ出よう。うまくいけばまけるかも知れない。人もいるだろうし。

 石につまずいて、ミズキはよろけた。その瞬間、鳥居の影から黒いローファーがすっと現れた。

(誰か来た!)

 このままじゃぶつかる! と思っても慣性の法則には逆らえずに、ミズキは運悪くお取り込み中真っ只中の神社へ来てしまった誰かを巻き添えにして地面へ転がった。

「きゃあああ!」

 誰かは悲鳴を上げた。どこかで聞いたことのある声だった。

「いたたたた」

 閉じたまぶたの裏に、チカチカ光が舞う。ひょっとしたら、頭の上に星とヒヨコがグルグル回っていたかもしれない。

「ごごごご、ごめんなさい!」

 打ってしまったあごをさすりながら、ミズキは相手のケガを確認しようとした。

 黒い髪。赤い唇。涙目でスカートの裾を押さえて、石畳に座り込んでいるのは梨理だった。

「ちょ、梨理! 何であんたがここに!」

 取りあえず訊いたけれど、答えを聞きいている暇はない。ミズキは梨理を引っ張り起こした。

「逃げるわよ、早く!」

「ミズキ! 痛い痛い! 手首離して!」

 後ろで、ニセミズキが石畳を蹴る。飛び上がったニセ者の影が、ミズキに覆いかぶさる。梨理を飛び越えるほどの勢いで、ニセ者がミズキに飛び掛ったのだ。

 後ろ頭に迫った風のうなり声に振り返ると、目の前で右手を振り上げる着物姿。

(助けて、霧崎! あ、ダメだ、そもそも私が助けに来たんだった!)

 砕けた狛犬。くぼんだアスファルト。あの力で捕えられたら、頭は原型をとどめないだろう。ほんの0,5秒の間に、そんなような事が頭の中を回りまくった。

 吹き降ろす風が体をかすめて、ミズキは半身を削り取られたと思った。けれど、その割にはきちんと立っていられて、恐る恐る、いつの間にか閉じていたまぶたを開けた。

 ニセミズキの拳は、ミズキのローファーから数十センチ離れた地面にめりこんでいた。

「うお、ニアピン!」

 なんでこんな近距離でニセミズキは攻撃を外したんだろう? 

(まあいいや、ラッキー!)

 ミズキは、ドンッと梨理を突き飛ばした。

「何するの!」

「ゴメンね梨理。あんたのためなのよ!」

 できる限り梨理から離れながら、ミズキは怒鳴った。

「よく考えたら、このニセ者はあたしを狙って来てるの! あんたじゃなくて。私から離れた方がいいわ!」

 さっき転んだときにどこかぶつけたのか、梨理は一瞬痛そうな顔をした。

「はっはははは!」

 高い笑い声を上げたのは、今までその辺りをうろつきながら、高みの見物を決め込んでいたユキだった。

「そんなこと、いちいち言われなくってもわかっているだろうよ。のう、梨理よ」

「どういうことよ!」

「自分でかけた呪いの事だ。お前より、梨理の方が詳しい。そう言っているのだよ、私は」

 ニセミズキは、固まっていた。参道をブチ破った格好のまま。

「ミズキが学校からいなくなったから慌てて探しに来たのだろう。自分の親友の最後を見届けるために」

「何を言ってるの?」

 聞こえた自分の声は、我ながらキョトンとしていた。なんだか、知らない劇が進行中の舞台の上に、問答無用で放りだされた感じだ。周りで勝手に話が進んでいて、自分が何をしたらいいのかわからない。

 なんで、梨理が私より呪いに詳しいんだ?

 なんで、梨理が学校を抜け出してきた理由が、あたしの最後を見るためなんだ? 

 わざわざジッちゃんの名に賭けなくても、その謎をすべて解くのは簡単なことだ。けれど、認めたくない気持ちがジャマをしてなかなか答えがでない。

「まさか、梨理があたしに呪いをかけたっての? そんなわけないじゃない!」

 あはは、と笑った声が、我ながらわざとらしかった。

「そんなわけないじゃないの。ねえ、梨理」

 頼むからうなずいて。ミズキの願いは無視された。梨理はうつむいたまま、動かなかった。

 口紅を塗ったような、紅い唇が開いた。

「そうよ。そのネコの言う通りよ! 私がミズキに呪いをかけたの!」

 梨理がキッと顔を上げた。その勢いで、瞳にたっぷり溜まった涙がパッと散った。

「嘘、嘘でしょ?」

 梨理の大きな目に映ったミズキは、なんだか人を殺せそうな勢いでこっちを睨みつけていた。

「信じられない! あんた、あたしがどれだけあんたの世話をしてやったか……!」

「その性格がムカつくのよ!」

 梨理はわめいた。梨理がわめくのを聞いたのなんて、何年ぶりのことだろう。ミズキはぼんやりそう思った。

「今日の花束だってそう。私が静馬君からもらえないから、恵んでくれたってわけよね。なにも出来ない友達に親切にしてあげたってわけよねぇ? 優越感に浸るために!」

「あっはははは!」

 ミズキは笑った。今度はわざとらしくない、正真正銘の笑いだった。

(だって、おもしろいじゃない)

 ミズキは梨理のことを尊敬していたのだ。『泥棒の娘』に『お金を預かってて』と言えるような奴。ミズキには子供っぽいとしか思えない静馬の夢に、素直に『ステキ』と言える奴。梨理ってやつは、そういう子だって。

(それなのに、『梨理のことを見下していた』だってさ)

 ミズキは、梨理のことが好きだった。梨理も、ミズキを好きでいてくれると信じていた。けれど、それは一方的な思い込みだったわけだ。

 一緒に給食食べているときも、宿題見せっこした時も、楽しいと思っていたのはミズキだけで、梨理は心のなかでこっちをにらみつけていたわけだ。『この女、死ねがいいのに』と思いながら。

(そっか、そっか、そういうことですか)

「あっはっは、あーおかし」

 流れてきた涙をぬぐう。

「冗談じゃないわよ。あんたに殺されてたまるもんですか!」

 こうなったら、力づくでもニセミズキを止めるしかない! ミズキは梨理の襟首をつかもうとして手を伸ばした。指が制服のタイに触れそうになった瞬間、ニセミズキが立ち上がる気配がした。

「マズッ」

 ミズキは慌てて梨理から離れる。

 今までミズキの足があった場所に、ニセミズキの拳がめり込んだ。

 飛び散った石畳が、ミズキの脛を切り裂く。

「きゃああ!」

 しびれるような痛みより、皮膚を流れる血の感触に驚いてミズキは悲鳴を上げた。右足をかばうせいで、つんのめりそうになりながら走り続ける。

「やっぱり、そうなるか」

 静かに、ユキが言った。どこか安心したように、勝ち誇ったように。

「やっはり、親友でも殺そうとするか。人間は信用できない。どいつもこいつも、私の右耳を奪ったあの男と同じだ。あの霧崎と同じだ!」

 このまま走り続けるのは無理だ。横っ腹は刀で切られたみたいに痛いし、胸は苦しい。どこか安全な所に避難しなくちゃ。

「とわー!」

 膝がすりむけるのも恐れずに、ミズキは社殿の下にすべりこんだ。寝転がった姿勢で、手に持っていたバッグを胸まで引き寄せる。

 縁の下から引きずりだそうと白い着物の手が伸びる。

「この、この!」

 ミズキはローファーで細い指を蹴りつけた。そのたびにケガがずきずき痛む。荒い呼吸。細かい砂を吸い込んで、苦しくなる。

 足を動かし続けながら、ミズキは震える手でカバンのふたを開けようとした。汗で手がすべる。金具を開けようとするぶるぶる震えて、指がこんにゃくになったみたいだった。

 フタを開けて、符を調べる。花束を取るとき、ミズキはカバンを梨理に預けてしまった。自分に呪いをかけた奴に。きっと梨理は、その時に符をいじったに違いない。

「あった!」

 わけの分からない模様の上を、薄い線が斜めに横切っている。

 筆箱の黒いチャックを開けて、消しゴムを取り出す。先がちぎれる勢いで先を紙にこすりつける。足をバタバタしているせいで、うまく消せない。

 ニセ者の手首を蹴りつけた拍子に靴が脱げた。

 線が消えた! ピシャッっと太ももをひっぱたいたような音がして、ニセ者の指がミズキの足から弾かれた。熱いヤカンに触れたように、偽者の手が引っ込められる。

 そ~っと首をひねって外をのぞくと、ニセ者は神社から少し離れた所まで後ずさっていた。

「落書きさえなければ、きちんと使えるんだ、この符」

 ミズキは恐る恐る縁の下から抜け出す。引っ張り出してみると、バッグはかなり傷がついてしまっていた。ホコリを吸い込んだせいで一つクシャミをすると、ニセミズキは怯えたようにまた距離をとった。

「やれやれ、形勢逆転か。なかなか、決着がつかないな」

 そう呟くユキの前に、小さな白いネコが駆け寄ってきた。そして、細い声でニャーニャー何か言っている。どうやらこのネコ、ユキと他のネコのメッセンジャーらしい。

「いい知らせだ。霧崎は自力で逃げ出したそうだ」

「あたりまえよ。それくらいプロなんだから出来て当たり前だわ。そもそも、捕まってる時点でおかしいのよ」

「手厳しいな。まあこれで霧崎がここにやって来たら、その人形女を取り押さえることも簡単だろう」

 ユキは、お稲荷さんの屋根に飛び乗った。屋根の上は、隣の御神木のおかげで影になって快適そうだった。ただ、近くにある呪いの人形を打ち付けた釘穴や、掘り込まれた呪いの言葉でびっしりの幹を気にしなければ。

「ブービーの奴を後で叱っておかなければな。きちんと霧崎を捕まえておかなかったのだから」

 ユキは、ゆったりとシッポを動かした。

「あんた、この騒ぎに一役かっていたってわけね。いい性格してるわ、ほんと。霧崎の奴、しつけには失敗したらしいわね」

 ミズキはユキを見つめた。

「霧崎の奴、あんたを捨てたのね」

 濡れたり乾いたりを繰り返して、ガビガビになった背中の毛。よく見るとケガの跡は右耳だけではなく、頬にも髪の毛ほどの細さに毛が生えていない所がある。捨てられてから、結構苦労したのだろう。

「ネコにも、色々ある」

 ユキは静かに言った。

「人に媚びない、誇り高い野良猫。エサだけを人間どもにみつがせて、後は自由な生活を満喫する頭のいい者。そのどれが幸せと言い切れるものでもあるまい。だが、私は霧崎と一緒に生きることを望んでいた」

 ゆっくりとユキはシッポを伸ばした。

(あれ……)

 せっかくのユキの演説中だけれど、ミズキは変な物に気がついた。

 御神木の枝から垂れたクモの糸が、ふわふわ揺れるシッポに触りそうになりながらお稲荷さんの屋根に垂れ下がっていた。銀色の糸は、お稲荷さんの壁に刺さった釘まで伸びていた。糸の先は、首吊りの縄のように円く結ばれ、それが釘の頭に引っかかっている。今にも外れそうに、あぶなっかしげに。

(クモの糸じゃない!)

「ちょっと、ユ……」

 ミズキの警告は、少しだけ遅かった。

 長い尻尾が、針金に触れた。

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