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第三章 人を呪わば

「いや、やめて!」

 梨理は、両耳を押さえてうずくまった。

「それにしても、あのミズキとかいう娘、豪傑よな。血まみれの男を見て動じないとは。ただ震えていたお前とは大違いだ」

「やめてってば! もう、なんなの? 人が呪いをかけるところを盗み見して!」


 ミズキが襲われる前の晩。梨理はミズキの髪の毛がしこまれたわら人形を持って、神社にいた。

 理由は、ネコがいう通り。自分にない強さを持っているミズキがねたましかった。そして何より、静馬と仲がいい事が。

 静馬は、ミズキが好きなのだ。本人から言われたわけじゃない。誰からか聞いたわけじゃない。それでも、梨理はその事がわかっていた。だって、一日のほとんど静馬を見ていて、一日中静馬のことを考えているのだから。

 ミズキさえいなくなれば。

 いつからだろう。自分でも吐き気をするくらい汚い事を考えるようになったのは。どんなに消そうとしても、その考えは消えるどころか少しずつ強くなるばかり。

 だから呪った。親友のミズキを。

 風の強い夜だった。わら人形を木に打ち付けている梨理の頭上で、枝が波のような音を立ててなびいた。

 その時だった。どこからか視線を感じたのは。揺れる梢の闇の中に、無数の光が張りついていた。数え切れないほどのネコが、枝に鈴なりになっていたのだ。

 梨理は悲鳴も上げられず、地面に座り込んだ。

『人間よ。仲間に呪いをかけるとは』

 右耳の無いネコが、前足で押さえた魚の切り身を頬張りながらせせら笑った。脂をなめるピチャピチャという響きが、梨理には魔物が人の生血をすすっているように思えた。

『ね、ネコがしゃべっ……』

『ふん、どういうわけか、たった今急にしゃべれるようになってな』

 「大したことではないが」というように、ネコはバリバリと首筋をかいた。

『鳥だって人語を操る物がいる。ネコがしゃべった所で不思議ではあるまい。そんなことよりほら、自分の正面に注意をした方がいいぞ』

 叩き潰したゴキブリの生死を確認する時のように、おっかなびっくりそろそろと視線を手元に戻す。

 まるで機械でも仕掛けられているように、わら人形がカサカサと震えだした。まるでカートゥーンアニメのように。ワラの右手が、あやつり人形のようにギクシャクと折れ曲がって、胸に刺さった釘に触れる。

 そして一気に釘を引き抜くと、自分の重みでぽとっと地面に落ちた。人形は、死にかけた人間のようにふらふらと立ち上がった。

 腰が抜けた、不恰好な姿勢のまま、梨理は木から少しでも離れようとした。

 人形は空気を入れられたように膨らんで、人間と同じくらいの大きさになる。束ねたわらが一つにくっついて、小麦色の肌になって……


 鳥居の近くで石につまずいて転びそうになったのを最後に、その夜の梨理の記憶は途切れていた。今朝、ベッドで目を覚ましていたから、たぶんなんとかして逃げ帰ってきたのだろう。

「もう私につきまとわないで! 恐いのよ! おまけに、いきなりしゃべりだして!」

 ヒステリックに梨理は叫んだ。

「ふむ。私がしゃべれるのは私のせいではないから、あやまる気はないぞ。今まで普通のネコだったのが、急にこうなったのだ。お前が呪いの儀式をやっているのを見てたらな」

「じゃあ、私のせいだっていうの? そんな魔法なんて知らないわよ! 大体、ネコをしゃべらせようなんて考えないわ! 恐いもの。あの時だって、驚いて金づち落としたせいで足の小指ケガしちゃったんだから! まだ痛いのよ!」

「それこそ私のせいかな? お前がマヌケなだけだろう。逆恨みだよ」

 梨理は、クスンと鼻をすすった。

「確かに私はミズキを呪ったけど…… 本気じゃなかったわ。こんなに効果があるなんて、信じてなかったの。ただ、少し気が晴れるかなって」

「本気じゃない、か。それにしては白い着物まで着て、気合が入っていると思ったが」

「う、うるさいわね」

「頭にくくりつけるロウソクがないからといって、コンサートで使うようなペンライトで代用したのは感心しないな。まるでUFOを呼んでいるみたいだったぞ。まあ、怪しい儀式をするのに変わりはないが」

「なんなのよ、あなたは! 何が望みなの?」

「望み? 望みなどないさ」

 ネコはくすくすと笑った。

「ただ、観察をしているだけだ。お前ら人間もやるだろう。チンパンジーに鏡をみせたら、どういう反応をするか。迷路にいれたネズミ二匹、どちらが早くゴールのチーズにたどり着くか。それと同じよ。呪いをかけた奴とかけられた奴、その運命がどう運ぶのか、どういう結末になるのか、実に興味深い」

「悪趣味」

「互いにな。親友を呪った女よ、いい事を教えてあげよう」

「いい事?」

「ミズキのバッグに、魔よけの符が貼られている。あれがある限り、お前の作り出した人形は、近づけない」

「よかったわ、本当に。もしこれてミズキが死んだら、私は一生……」

 もちろん、梨理は、魔女でも悪魔でもない。牛の刻参りもオカルト本に書かれていたのを見よう見まねでマネをしただけだ。そんなテキトーなやり方で、自分がわら人形を人間そっくりに変えてしまったなんてどうしても見えない。まして、自分の呪いでネコがしゃべれるようになったなんて。なのに、どうしてこんなことになったんだろう。

 わかっているのは、なんとかしてあの呪いを消さないといけないということだけだ。

「聞け、梨理。ミズキが持っている符は複雑な物だ。線の位置、長さ全てに魔術的な意味がある。だからこそ、もろい。無駄な線をたった一本引いただけで効果がなくなる。漢字と一緒だよ。『話』の字に、濁点を打つとテストでバツをくらうだろう。テンで話に……」

「知りたくない、そんなこと!」

「そうか。残念だな。せっかく教えてやったのに」

 右耳のちぎれたネコは、枝から飛び降りた。そのまま梨理に背をむけ、立ち去ろうとする。

「待って! 田中君を傷つけたのはあなたね? どうしてそんなことをするの?」

 ネコは振り返った。そして梨理をみつめた。どこか寂しそうな顔で。

「復讐だ」

 強烈な単語が意外と穏やかに語られて、梨理は少し驚いた。

「また霧崎に会うとは、因果な物よな」

 つぶやくと、今度こそネコは茂みに姿を消した。


 ミズキは、学校で一番ドラマチックな場所にいた。かつてあまたの男達が戦いを繰り広げた場所、夢見る乙女がラブレターを背に隠しながら、呼び出した殿方を待っていた場所。すなわち、体育館裏に。

「あ、梨理!」

 ミズキが梨理にぶんぶん手を振ってきた。

「見て、あのネコ、あんなところに花束を置いて行ったのよ。根性、ひねくれてると思わない?」

 ミズキの指差した先は、体育館の壁に並ぶ窓の一つだった。ヒサシの横から青い花がのぞいている。

「取ってあげるよ、持ってて」

 バッグを軽く投げるようにして、ミズキは梨理に手渡した。

「そうそう、そのフタの裏。変な紙貼ってあるんだけどさー。それ、汚したりしないでね。大切な物らしいから」

「え……」

(だって、その符って魔よけのでしょう? 私が破いたりしたらどうするのよ)

 危うくもう少しで梨理はそう言う所だった。

「どうしたのよ梨理、古代の遺跡からうっかりパソコン発掘しちゃった地質学者みたいな顔をして」

「え、えっと、だって、なんだか知らないけれど、そんな大切な物を人にあずけるなんて、ミズキらしくないと思ってさ」

 まるでサウナにでも入っているようにダラダラと梨理の背中に汗が流れる。ああ、国語の授業でならった針のむしろってこういう状態の事をいうのか。勉強になる。

「大丈夫よ。梨理は何もしないでしょ」

 背中を向けていても、ミズキが笑っているのがわかった。

「昔さあ、私にお金を預けてくれたことあったじゃない」

 しばらく考えて、梨理はようやく思い出した。


 小学校の頃、ミズキの父親が泥棒をして捕まったという噂が流れた事があった。実際は、ミズキの家の近くで空き巣があり、その聞き込みをミズキの父が受けた、というだけの事だったのだが、運悪くその様子をタチの悪い男子が目撃してしまったのだ。こないだ、ミズキの父ちゃんが警察と話してたぜ。きっと、あの空き巣の犯人、アイツの父親なんだ、というわけだ。

 かくして、ミズキはクラスの皆から泥棒の娘のレッテルを貼られてしまったのだ。おまけに、どこまでも運が悪いことに、ちょうどそのころ給食費を提出する日があって、皆ミズキを警戒していた。

『泥棒の娘がいるからな~! 皆、金取られるなよ~!』

 ミズキは泣かなかった。泣きそうにはなっていたけど。ただ、痛そうなくらい唇を噛締めて、キッと前をみすえていた。

『ねえ、ミズキ!』

 気がついたら、梨理はトコトコとミズキの前まで歩みよっていた。

『これ、あずかってて』

 そう言って給食費を差し出したとき、ミズキは不思議そうに茶封筒と梨理の顔を見比べていた。梨理は顔の前で両手を合わせて見せた。

『ちょっとトイレに行きたいの。盗られると悪いから、ミズキ、あずかっててよ』


 その辺に転がっていた、ボールを入れる鉄かごを裏返すとミズキはその上に乗った。竹ボウキで花束を取ろうとする。

「まったく、あの性悪ネコめ! どんな嫌がらせよ!」

 ミズキのぼやきを、梨理は聞いていなかった。

 覚えていたんだ、あんな昔のこと。私はもう忘れていたのに。梨理は、もう少しで泣きそうになった。

 本当の事を言おう。なんて言われるか分からない。嫌われてしまうかも知れない。許してなんていえない。けれど、ちゃんと言わなくちゃ。そう決めると、少し気持ちが楽になった。

「あ、あのね、ミズキ」

「でも、梨理も悪いわよ」

 梨理の言葉が聞こえなかったのだろう。ミズキは大声で続けた。

「だめじゃないの。大切な物なんだからしっかり持っとかないと。せっかくあたしがあげたのに」

 梨理の胸が、ズキッと痛んだ。一昔前の漫画にあるように、ミズキの言葉が矢印になって体を貫通したみたいだった。

「あげた?」

「そうよ。あんたじゃ静馬から物をもらうなんて無理でしょ? 奥手なんだから」

 ミズキは背伸びをして花束にほうきの柄をひっかけようとしている。

「さっさとコクッちゃえばいいのに。例えうまくいかなくても、結果がでるだけでもいいじゃないの」

(結果は出てるよ、ミズキ)

 心の中で、梨理は言った。

(静馬は、ミズキが好きなんだよ)

 梨理はグッと拳を握った。

(せっかくあたしがあげたのに……)

 その言葉に、たぶん悪気はない。ミズキは、静馬に想われている事もしらないから、イヤミを言っているわけでもない。それは梨理にもわかっていた。けれど、なんだか優越感が混ざっているような言葉だ。

『あなた、どんなに欲しくても静馬からプレゼントなんてもらえないでしょ? かわいそうだから恵んであげるわ。私にはどうせいらない物だし』というような。

 軽快なヒップホップが急に響いた。ミズキの携帯からだ。

「ん? 誰だ?」

 知らない人からなのか、ブツブツ言いながらミズキは二つ折りの携帯を広げる。

「もしもし? 霧崎? あんた、なんであたしの番号知ってるの? 教えたっけ?」

 何を言っているのか詳しくは分からないけれど、携帯から漏れる声は男の人のようだった。

「冗談じゃないわよ。こっちは大変なのよ。クラスメイトがネコに襲われて……」

 不安定な所で怒鳴ったものだから、ミズキはちょっとよろけた。

「ユキちゃん? ユキちゃんはもうええんじゃあ! 私の事を守るっていったのはウソ?」

 もう少しで梨理までどういう事? と叫びたくなった。

 ミズキには恋人がいたのだ。なんだかその恋人はユキちゃんとやらと浮気しているようだけれど、それでもミズキの事を守る、とまで言ってくれるような人が。

 静馬は、ミズキのことが好きなのに。私は、、静馬に告白することもできないのに。それなのに、ミズキは他の人にも好かれているのか。不公平だ。不公平だ。不公平だ!

 梨理はそっとミズキのカバンを細く開けた。ミズキは電話に夢中で気がついていない。

「頼むわよ。早くなんとかしてね」

 ミズキの声を聞きながら、梨理はバッグに入った筆箱からシャープペンを取り出した。そして、ペン先を手探りで符にこすりつけた。

 たぶん梨理の気のせいだろうが、符に書かれた線が虫のようにうごめいた気がした。

 震える手でシャーペンをしまいこむと、ミズキはカバンのフタを閉める。

 半分落としそうになりながら、梨理はバッグを地面に置いた。

「梨理、はい、花束とれたよ」

 振り返るミズキの顔を見たくなくて、梨理は後者に向かって走り出した。

「おーい、梨理。どうしたの~」

 背中にノンキなミズキの言葉がぶつけられたけれど、梨理は振り返らなかった。というか、振り返れなかった。

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