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第四章 ネコの言い分 

 ユキは、なじみの闇の中に帰ってきた。最近ねぐらにしている空家はいつでもヒンヤリしている。

「お帰りなさいやせ、ユキ姫」

 ハスキーな声が出迎える。灰色の瞳が二つ、闇に浮かんでいる。

「ブービー、あの女は霧崎の符を無効にしたぞ」

「それはそれは。おもしろい事になりそうでやんすね」

 ヒッヒッヒ、というどこか下品な笑い声が響いた。

「我々をいためつけてくれた田中君の襲撃もうまくいきましたし、ごきげんでやんすね」

 あの田中君の頭の中には、猫イコール動く的という方程式ができあがっていたらしい。ユキだけでなく、他の猫達も迷惑をしていた。復讐するのは当然だろう。

「そうでもないさ」

 実際そんなに嬉しく無さそうにユキは言った。

「そうそう、うちのチビから報告が入りましてね。あの人形女、神社をねぐらにしているようでやんす」

「ほう。では、ミズキをそこに呼び寄せるんだ」

「それはわかりやしたが、どうやって?」

「それを考えるのがお前の仕事だ、バカ者!」

 怒鳴られて、ブービーはビクッと目を見開いた。

 普通だったら、サルじゃあるまいしネコがボスの命令に従って何かすることはない。けれど、自分でも分からないうちに、なぜか人間の言葉をしゃべれるようになってから、ブービーはユキのわがままを聞くようになっていた。

「はいはい、おおせのままに」

 その返事を聞くと、ユキは一つ鼻を鳴らしてくるっと丸くなった。

 リラックスしきったその態度。こっちを信頼しているのか、襲われてもたいしたことないとなめているのか。ブービーは考えた。たぶん、後者。

 ユキがふっと鼻を動かしたのが、気配でわかった。

「ブービー、お前、土の匂いがするな。それと、汗の匂いも」

「え、そうでやんすか?」

 秘密を言い当てられて、思わずブービーのヒゲがピクッと動く。

「実はさっき、公園でネズミをみつけましてね」

 ブービーは嘘をついた。実は、とっても面白いカラクリを思いついて、神社でその準備をしていたのだが、そういう事はギリギリまで黙っていた方が花があるというもの。

「捕まえるまで、散々苦労させられまして。あちこち駆け回りやした」

「そうか。言葉を得てから私はネズミなど食べたくなくなったがな。とくに生では。それにしても珍しいな、お前が狩りとは。この間缶詰の銘柄がどうのこうの言っていた奴の行動とは思えん」

 そりゃあそうでやんす、とブービーは思った。ベテランのノラのユキと違って、ブービーは今でも人間に飼われている。野生の本能なんてサビつきっ放しだ。実際にネズミを追いかけた所で捕まえられるかどうか怪しい。

 だからこそ、ブービーはユキに従うことにしたのだ。人間を征服するための手始めとして。

 ブービーは、ゲームをするつもりだった。人間相手の壮大なゲームを。どういうわけか、しゃべれるようになったネコは今の所ブービーとユキの二匹だけだった。そして、二匹はしゃべれない普通のネコ達を支配できるようになった。つまり、この世界にいるネコ全てがユキとブービーの手駒になったというわけ。

(これだけの兵力があれば、ネコの前に人間をひれ伏させることもできるはず! でも、それにはユキ姫がジャマでやんす)

 本当なら、最初から自分が前に出るのはまずい。ネズミを捕る自信がないように、ブービーは最前線にでて動き回る将軍タイプではなく、後ろで指示する軍師タイプなのだ。ユキをそそのかして働かせ、天下を取る寸前にトップへ躍り出る。それが理想なのだが、どうもうまくいきそうにない。

 何というか、ユキは甘いのだ。ミズキのクラスの田中君を生かして帰したときはびっくりした。あそこまで自分を痛めつけた者に情けをかけるなんて。非情さがなければ、人間との戦いには役に立たない。

(それに、だんだんユキをあやつる自信も無くなって来たし……)

 ちょっと早いが、前に出る時が来たのかも知れない。

「じゃあ、頼んだぞ、ブービー」

 ユキは、ノンキにくわっとアクビをした。

「ミズキを神社に誘い出すんだ。霧崎にジャマをされないようにな」

「はいはい、わかりました」

 どんなにユキが気にいらなくても、霧崎は何とかしないといけないと言う意見は同じだ。戦いには早めの準備が必要。じつはもう、アレコレ手を打ってある。今も、部下が駆け回っているはず。

 トタタタタッ

(そうそう、そんな風に…… って、あのバカども!)

 天井を走りまわる音がして、ブービーはビクッと一瞬毛を逆立てる。ユキは眠ろうとするときにジャマをされるのが何よりキライなのだ。

「ええい、うるさい!」

 さっそくユキが怒鳴ってきた。

 ただでさえ怒りで逆立っているユキの背中をさらに逆なでするように、ぽろぽろ木屑が落ちてきた。

「すんません、二階でちょっと細工をしている物で。注意してきます!」

 くそ、うるさい奴だ。でも、もうしばらくすればその口も閉ざされるだろう。ユキは、さっきブービーが神社で本当は何をしてきたか知らないのだ。

「キヒヒヒヒ……!」

 笑いが抑えられないまま、ブービーは二階へむかった。


 例えば、人に命を狙われた時の話。相手の顔を知らない場合は、部屋に閉じこもっていた方がいい。街をノコノコ歩いていたら、むかいから来た通りすがりの奴にナイフをつきたてられるかも知れないからだ。

 逆に顔が分かっている場合は、人ごみの中に出た方がいい。建物の中に陣取って、入り口に注意をする。そうすれば相手が飛び道具を持っていない限り、そいつが近づいてくるのが分かるから、対策が取りやすい。運がよければこっちが先に相手を見つけ、不意打ちを食らわせられるかも知れない。

(ニセミズキは、暗殺のジャマをされたことで、俺までターゲットにしていると考えていいだろう)

 霧崎は、カサカサとタバコの袋を取り出した。

(積極的に俺を探してまで殺そうとはしないが、ばったり会ったら間違いなく襲ってくる)

 ばったり会う確立などそうないはずだが、一応警戒しておくに越したことはない。注意深くあること。でないと、この仕事はやっていけないのだ。

 そして何より大切なのは……

「お客さん、図書館内は禁煙です」

「あ、どうも……」

 何より大切なのは、入った建物内でマナーを守ること。霧崎はタバコをしまいこんだ。

 注意しに来た司書さんは、めがねにミツ編という、制服を着ていれば古き良き学級委員長、といった感じの若い女性だった。

 霧崎が顔を上げると、そばかすの浮いた頬が桜色に染まった。ワンピースの上に着けたエプロンの裾を両手でモジモジもんでいる。

(お? 俺もまだ捨てたもんじゃないか?)

 ニヤニヤが顔に出ないように、霧崎は唇に力を入れた。

「あの、テーブルの上、ほ、本だらけですね」

 確かに、霧崎の前、読書コーナーのテーブルには本が山のように積み上げられている。

「読書、お好きなんですか? そ、それとも、何か、調べ物で……」

 『呪い大全』『世界のブラックマジック』『楽しい黒魔術』

 司書さんは、一歩後ずさった。そして引きつった笑いを浮かべながらそっとカウンターに戻っていった。

(う~む。人が恋から覚める瞬間を初めて見てしまった。俺、この仕事を続けるかぎり結婚できんかも知れんな)

 霧崎は、ミズキとの電話を切ってから、図書館に入り浸っていた。いくら非科学省の人間でも、世界中全ての呪いや妖怪の類を知り尽くしているわけではない。色々と調べたいことがあったのだ。その辺のネットカフェを使う手もあったのだが、それだと間違った情報まで引っ張り出してしまって、かえって時間がかかってしまう。

 知りたいこと、その一。術者は、どうやってニセミズキを作り出したのか? 術者は誰なのか?

 他人そっくりの人間を作り出し、人を襲わせる。すぐ考えつくのはゴーレムや人造人間の類だが、それにはちょっと無理がある。あれだけ人間そっくりに作り出すには相当の技術が必要だ。魔力も、もっと大量に出るはず。

(それだけの術を使える実力者なら、非科学省のデータに載ってるはずだが、記録はなかったし……)

 知りたいこと、その二。しゃべって、人を襲うネコの正体。

 ミズキからの電話が本当なら、ニセミズキの他にも、妖怪みたいなネコがこの町にいることになる。この町におかしな魔力を感じたのが二日前。ニセミズキが生まれたのも、その日と考えて間違いないだろう。しゃべるネコもまたその日に現れたのなら、ニセミズキと一緒に誰かが作り出したのかも知れない。誰が、なんのために?

 霧崎は、しゃべるネコの目撃情報がないか古い新聞を調べてみたけれど、それらしい物はなかった。近くのスーパーに魚を運ぶトラックが起こした、死傷者ゼロの小さな事故の記事が載っていたけれど、まさか覆面被った猫が魚欲しさに車を襲ったわけではないだろう。

 なんだか頭が混乱してきて、霧崎はテーブルの上に突っ伏した。積み重ねた本の山が、顔のすぐ横にそびえたっている。

『西洋の呪い』『東洋の呪い』『世界の神々』

「ありゃ、関係のない本まで持って来ちゃったか」

 こんな仕事をしていても、神様には会ったことなどない。それはどの同僚も同じだろう。顔も見た事ないほど大昔の先輩の中には、冥界王ハディスの被ると姿が消える兜をギリシャかどこかで見つけた人がいたらしいが。

 ちなみに、その兜を見つけた先輩、帰国したあとその兜を悪用し女湯をのぞいている所を他の非科学省の者に見つかり、あえなく御用となっている。その話を聞いたとき、どこぞの国の極秘資料室をのぞかない辺り、実はいい人かおバカさんのどっちかだろうな、と霧崎は思った物だった。

 なお、その兜、厳重に金庫に保管されていたが三日後に突然消えてしまったそうな。監視カメラにはアリ一匹映っていなかったし、金庫のどこを調べても開けた形跡一つなかったらしく、本来の持ち主が取りにきたのだということになったらしい。

 霧崎は、本のなだれを起こさないように注意しながら、『世界の神々』を手に取った。

(そうだ。この事件がどうなるか、いっちょ占ってみるか)

 適当にページを開いて、そこにいい神が載っていればこの事件は解決。もし悪い神が載っていれば失敗。まあ、神話なんか詳しく調べると、残酷な実りの女神、なんてのもいるし、良い神と悪い神の違いなんて曖昧なものなんだが。

『ロキ』

「微妙……」

 開いたページに書かれた名前を読んで、霧崎は思わず呟いた。ロキはあらゆる破壊と謀り事の神様だ。仲間を助けたかと思うと裏切って、宴会ではその場にいた神々をこき下ろすという、なかなかいい性格をしている。当然、その場にいた神様は怒るわけだが、そうするとロキはサケに身を変えて逃げ出したという。なんだか、無礼講という上司の言葉を信じて調子に乗った新入社員のような神様だ。

(神様なんだから鳥とか獣とか、もっと早くて強そうな物に化ければいいのに。なんだって鮭……)

 北欧のバイキングが語り継いだ神様だから、身近な生き物の方が化けやすかったということだろう。

「サケ」

 霧崎は呟いた。

 不思議なサケ。魔法のサケ。その単語が意味ありげに胸に引っかかった。

(なんだろう。別に鮭、好きじゃないのに)

 サケ。ハディスの兜。神様の姿は見えなくても、その道具はまれにみつかるこの世界。

「すみません、霧崎さんですよね」

 さっき声をかけてきた司書さんだった。

「ああ、そうだが。さっき名前を教えたっけか?」

「いえ、電話が繋がってまして。霧崎さんを呼んで欲しいと。『隅でオカルト系の本を読み漁っている、長髪で背が高い、一見かっこいいけどよく見ると女運の悪そうな奴だからすぐわかる』と」

「ほっとけ、後半部分」

 立ち上がって、霧崎はカウンターへむかった。一体誰が電話してきたんだろう。ミズキなら携帯にかけてくるだろうし、ここに来ることを人に話した覚えはない。心当たりは全然なかった。

「もしもし?」

『やっほう。霧崎でやんすか?』

 電話の声は、妙に甲高かった。

「やんすって…… 誰だお前」

『ユキ姫の忠実なシモベでございやす。飼い主はあっしにブービーと名前をつけやした』

 声の後ろで車が行き来する音が聞こえた。おそらくビルの陰辺りで、人間から奪い取った携帯を使っているのだろう。猫ならば霧崎をつけて図書館に入るのを見届けるのは簡単だろうし、図書館の電話番号なんてすぐに調べられる。

「ブービー《まぬけ》? 酷い飼い主だな。お前、しゃべるネコか」

 隣で司書さんの「はあっ?」という顔がチラリと見えたが、気にしてる場合ではなかった。

『ユキ姫は、ダンナの命を御所望でやんす』

「……」

『無理もない。飼い主にいきなり捨てられたんだから。そりゃ、殺したくもなるでしょうよ』

「だからって、ミズキのクラスメイトを痛めつける必要はないだろう」

 霧崎は、ちらりと床においたバックに視線を走らせた。中には武器が入っている。

 人に害なす妖怪を退治するのもハンターの役目だ。あまり嬉しくないけれど、この手でユキちゃんを『退治』することになるかもしれない。

『痛めつけるどまりで殺さなかった辺り、ユキ姫は軟弱だと思いますけどねえ』

 受話器の向こうで、ネコが軽蔑したようにブシュっと鼻を鳴らした。

『ダンナ、外をごらんくだせえ』

 言われるまま、霧崎は窓の外を見た。

 図書館の小さな庭で、幼稚園ぐらいの女の子が猫とたわむれている。普通だったら微笑ましいことこの上ない眺めだが、今の霧崎はノドに刃をつきつけられた気がした。

『お分かりでやんすね? 命令に従わないとどうなるか。あのかわいいお目々やお手々を傷つけたくないでしょ?』

「ぐっ」

 その女の子は、何も知らずにくしゃくしゃとネコの背中をなでている。霧崎は、その子がネコに飽きるか、早く親が迎えに来るかするように祈ったけれど、意味はなかったようだ。

 小さい手は、ずっと首筋や背中をなで続けている。そして腰にまで伸びて、尻尾を握る。そして思い切り引っ張った。

「にぎゃああ!」

 分厚いガラス戸を通して猫の叫びが聞こえてくる。

『な、なんでやんすか? 今、耳をふさぎたくなるような悲痛な悲鳴がっ!』

「え~、お前の部下、シッポを引っ張られました。あ、今度は体をギュ~ッとされてますな」

 霧崎は淡々と目の前の景色を実況した。

「あの頃のガキって加減を知らないからな。俺も正月、甥っ子に髪を引っ張られたときは皮膚までむけるかと思ったぜ」

『お前の頭皮の危機など知らないでやんす!』

 ブービーの声がうるさくて、霧崎は受話器から耳を離した。

『いいでやんすかナナシ! まだその人間のガキを傷つけたらダメでやんすよ! そうなったらこっちの要求が通らないでやんすから!』

 まるで聞こえたかのに、女の子にベアハッグされている猫が細く鳴く。

「ナナシて言うのか、あの猫。先輩にしごかれた時なんか、自由なネコになりたいと思った物だが、ちゃんと上下関係あるのな。他人とは思えん」

『とにかく、図書館を出るでやんす。もちろん、武器を持ってきちゃダメでやんすよ。そのカバンは、そのまま窓際に置いてきてもらいやしょうか。ちゃんと武器が入っているか見えるよう、チャックを半分だけ開けてね』

「敵の武器を奪う。サルでも、どころかネコでもわかる戦いの基本という事か」

 霧崎は、言われた通りの場所にバッグを置いた。

 窓の外にいる女の子の近くで茂みが揺れた。その影にうごめく毛玉を見つけ、霧崎は血の気が引いた。いつのまにか、この図書館はネコに包囲されている。直感でそれがわかった。丸腰で一歩でも外にでたら、あっという間に群がられてしまうだろう。

 霧崎の頭の中に、血だらけと毛だらけになってぶっ倒れている自分の姿が浮かんだ。ブルブル首を振って不吉な想像を振り払うと、電話に戻る。

「少し時間が欲しい」

 霧崎はカウンターにある閉館日のお知らせのチラシを一枚とって裏返した。備え付けのボールペンで『この辺の地図を』とメモをして司書に手渡す。

 たぶん、ちょっとした追いかけっこをするハメになるだろう。この辺の道を知っているに越した事はない。

 今までの会話で大変な事が起こっていると察したのか、こんな危ない奴には逆らわないほうがいいと思ったのか、司書は顔を青くしながら黙って言われた物を持ってきてくれた。パラパラめくって使えそうな場所を探す。

『時間が欲しい? なんでそんな物をあげないといけないんでやんすか? こっちは交渉じゃなく命令してるんでやんすよ。あのネコ、今は大人しくしてやすが、あっしがが合図をしたらどうなるか』

「わかってるって。でも、こっちは手ぶらで敵の前に出て行くんだぜ。心の準備ってもんが」

 なんとか方法を考えないと。霧崎は何かいい物はないかとあちこちに視線を走らせた。

『わかりやした。十秒間だけ待ってあげてもいいでやんすよ』

「容赦ねえな」

『敵に準備の時間をやるほどマヌケじゃないでやんすから。十、九、八……』

 舌打しながら、霧崎は受話器を叩きつけた。

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