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第二章 タイリョウの。

 中学三年生の夏っていうのは、受験の結果が決まる大切な時期らしい。というわけで、学生は何があっても夏休みに入るまで必ず学校には顔を見せなければならないのだ。例え、ちょっとくらい体調が悪くても、寝不足でも、昨夜未明に自分そっくりの何者かに襲われたあげく、神話ハンターと名乗る謎のトンファー男に助けられたばっかりだとしても。

 ガラガラとやかましい教室の扉を開け、ミズキは自分の席にむかった。

「あ、おはようミズキ」

 友達の梨理リリが満面の笑顔を向けてきた。洗った後乾かすのが大変そうな、腰まである長い髪。切れ長の目に、長いまつげ。口紅を塗っているわけでもなさそうなのに、赤い唇。典型的な日本美人の顔だ。

(まさか、梨理が呪いをかけるわけないわよね)

 ミズキが、仮病使ってでも一日寝ていたい所をガマンして学校に行ったのは、自分に呪いをかけてくれた奴を突き止めたいと思ったからだ。もしも恨まれるとしたら、当然同じ学校の奴の確率が高い。

 もちろん、昨日の夜にあったことなんか、警察に言っても信じてもらえないだろう。

『あの、すいません、私に呪いをかけた奴を捕まえて欲しいんですけど』

『はいぃ?』

『昨日、着物を着た私に襲われたんです! 助けに来てくれた神話ハンターが、これは呪いだって……』

『うん、ちょっと君、お母さんかお父さん、呼んでくれるかな。そんで、最近友達から白い薬を買わなかったかな? 痩せる薬だって言われたかも知れないけど』

「だめだ。想像したら死にたくなってきたわ」

 けれど、逮捕は無理でも個人的にこっそりそいつを捕まえて、ギザギザに切れ込みをいれた石に座らせ小一時間問い詰めることはできるだろう。(それとも、非科学技術省の方でこっそりさばいてくれるのかしら?)今日一日で、犯人が見つかるといいけれど。

 そんなことを考えていると、教室の隅からクラスメイトのノエの声が聞こえてきた。

「聞いてよ~ なんか、朝起きたら近くの道路がボコボコになっててさ~」

 間違いない。霧崎とニセミズキとの格闘の跡だ。緊張したせいで、ミズキの背筋がビクッと伸びて、妙に姿勢がよくなった。たぶん、自分が襲った銀行の噂を聞いた強盗って、こんな感じがするだろう。

「そのせいか、水がきったないの! 水道管の点検で断水するっていうし。も~、今朝はシャワー浴びられなかったのよ」

(ごめん。ごめんね、ノエッチ。それ、私、関係者ですから! どっちかっていうと被害者だけれどっ!)

「どうしたの、ミズキ。なんだか元気がないよ?」

「梨理。うん、ちょっとね」

 ミズキは曖昧に笑った。

「おやおや、そいつはいけませんねフロイライン」

 近くに座っていた静馬シズマが、イタリア語だかドイツ語だか混じりに声をかけてきた。確か、フロイラインって『お嬢さん』っていう意味だったはずだ。

「この僕がいる所で、女の子が落ち込んでるなんて。許されることではありませんよ」

 静馬は、ポケットからつやつやした水色のハンカチを取り出した。それをふわっと広げ、カラの左手の上に乗せた。そしてハンカチをどけると、いつの間にか静馬の手には小さな造花のブーケが乗っていた。その間わずか一秒足らず。

「はい、どうぞ。僕は、僕の手品で目の前の人間全てを笑顔にするのが夢なのですよ」

 この静馬の、愚かしくもすごいところは、そのセリフが冗談でもかっこつけ(しかもたいしてうまくもない)でもなく、本気で言っている所だ。

 なんでも、高校卒業後はエンターティナー養成の専門学校に進むつもりらしい。

 そういう世界で食べてくのはそうそう楽なもんじゃないだろう、と現実主義者のミズキは思うのだが、わざわざ人の夢にケチをつけたいわけでもはなく。まあ、生ぬるく彼の成功を祈ったり祈らなかったりしている。

「ほら。どうぞ、ミズキちゃん」

 にっこり笑う静馬に半眼をむけて、ミズキはブーケを受け取った。水色の小さな花束は、ピンクの紙でくるまれていて、なかなかかわいらしい。けれど。

「ダンクシューット!」

 ミズキバスケの真似をして花束を放り投げた。

 花束は孤を描いて、ゴミ箱に直行……する途中で力つきて、梨理の手の中にストッと落ちた。ミズキの計画通り。

「あ、あら」

 梨理の顔が桜色に染まった。物好きというかなんと言うか、梨理は静馬が好きなのだ。

(まあ、人の趣味に文句を言うのはヤボってものよね)

「ありゃりゃ。ゴミ箱に入れようと思ったのに、外れたわ。梨理、あげるわよ」

 気遣ってくれた静馬の気持ちは嬉しくないわけじゃないが、花束はそんな欲しくない。ジャマになるし、かと言ってせっかくの贈り物を捨てるのは気が引けるし。それだったら、梨理に喜ばれた方が花束も嬉しいというものだろう。

「でも、いいの?」

「いいっていいって。ね、静馬」

「かまいませんよ。もうミズキちゃんにあげた物ですから、持ち主の貴女が誰に譲ろうと。でもまあ、ミズキちゃんは花束を奪い返してしまいますけどね。僕のマジックで」

 静馬は、意味深に微笑んだ。

「何? まるであたしの心を操れるような事をいうのね」

 ミズキは、ゴクリとツバを呑み込んだ。

 手品師。魔法使い。両方とも、英語だとマジシャンだ。静馬は、本当に魔法使いなのだろうか? そしてミズキそっくりな生ける人形でも作ったのだろうか? ゲームで魔術師がゴーレムを作るみたいに。

「実は、その花束には五千円札が隠され……」

「もらったあっ!」

 ミズキは梨理から花束を奪い返して、静馬の予言は見事的中した。

「ちょ、だめえ、ミズキぃ」

 梨理とじゃれあっているミズキに、静馬は真顔を向けてきた。

「みずきちゃん、本当に何も?」

「ないわよ。大丈夫」

 五千円の話が嘘だということを確認して、ミズキは花束を梨理に渡した。

「ただ……」

「ただ?」

 静馬と梨理が同時に聞いてきた。ミズキはそっと斜め下に視線をそらせる。

「もし深夜、着物姿のあたしが裸足でうろうろしてても、絶っ対に気にしないで欲しいの」

「本っ当に大丈夫ですか? もし何かつらいことがあるなら、相談にのりますが?」

「ありがと静馬。でもおかまいなく」

 ミズキは溜息をついた。

 梨理も静馬も、意外と早くミズキの悩みの原因を知ることになるかも知れない。夜な夜なあんな格好でニセミズキにうろつかれたらめだってしょうがないのだ。ばれるのは時間の問題、という奴。

 唯一の救いは、呪いの対象がミズキ自身だということだ。標的がミズキなら、霧崎のように露骨にニセモノのジャマをしなければ、通行人が襲われることはないだろう。本物が通り魔の疑いで逮捕される事にだけにはならないはずだ。

(それに、昨日は人を呼んだら逃げたしね。真っ昼間の学校に乗り込んできたりはしな……)

「キャー!」

 ミズキの考えは、悲鳴でぶった切られた。狂った笑いにも似た悲鳴。少し離れた教室で、誰かが勢いよく立ち上がったイスの音。そして、引きずるような重い足音。

「まさか!」

 ミズキは教室の戸へ駆けた。

「あのニセミズキ、恥かしがりを克服したか?」

 コンクリートをぶちぬくような非常識な奴だ。弱点をあっという間に克服しても不思議じゃない。

 戸を開け放つ。なにか、大きい物が倒れてきた。

「霧崎の奴! 魔よけの札、効かないじゃないの!」

 ミズキに覆いかぶさってきたのは、けれどもう一人のミズキではなかった。同じクラスの田中君である。

「な!」

 太い腕がミズキの細い肩をつかんだ。半分だきつかれた形になるミズキだけれど、赤くなったり突き飛ばしたりするどころの騒ぎではなかった。

 田中の顔には、頬からアゴにかけて細長い傷が四本走っていた。傷は浅いけれど出血がひどくて、滴った血がミズキの肩にたれるくらいだった。顔だけじゃない。袖から出た手も傷だらけだ。

 クラスメイトたちがわざついている。廊下には、隣のクラスの奴らが遠巻きにこっちを観察している。

「田中! いったいどうした! あたしか、あたしにやられたのか!」

 田中の口がゆっくり動いた。

「ネコ……タイリョウの……」

「大漁?」

 投網一杯のネコがに~に~鳴いている絵を、ミズキは慌てて頭から追い払った。

「ああ、大量か。普通、生物に『大量』なんて形容詞はつけないから、変な想像しちゃったわ」

「あいつら、急に襲ってきやがった」

 田中は深い咳をした。

「おい、しっかりしろ! 傷は浅いぞっ! このセリフ、一度言ってみたかったっ!」

 映画ではよく聞くけれど、この平和な日本では、滅多に使うことのない励ましの言葉。

「気休めはいい…… お、俺はもうだめだ。世話になったな」

 田中は、ぜ~ぜ~と荒い息をする。

「最後の頼みだ。クリスマスは帰れそうにないと、愛していると、彼女に…… ジェーンに伝えて……」

「誰だジェーンて! 余裕あるじゃないの! しかも今夏だし!」

 ミズキは教室の内を振り返って叫んだ。

「ちょっと、誰か男子! 保健室に連れてってよ。かよわい女の子がケガ人支えるの大変なんだから!」

「ごもっとも。僕でよければ力を貸しましょう」

 静馬がケガ人の体を引き受けてくれた。

 チラッと見えた梨理は、血が恐かったのだろう。かわいそうに、すっかり真っ青になってしまっていた。

 廊下を歩く静馬が、田中に説教しているのが聞こえてきた。

「まったく。バチが当ったんだよ。夜に校舎の窓ガラスを割ったり、盗んだバイクで走り出したりするから。バカだな」

「ネコ……」

 ミズキは、昨日のネコを思い出した。田中の言う事を信じるなら、彼を襲ったのは猫の集団ということになる。まあ、無数のニセミズキに襲われるよりは精神的にマシだろうが、異常な出来事であることは変わりない。

 ミズキにかけられた、正体不明の呪いと、いきなり現れたニセミズキ。それに、集団で人を襲うネコ。何か繋がりはあるのだろうか。

(というか、なんだってネコがいきなり人間を襲い出したんだ? お土産のおまんじゅうを強奪する温泉地のサル軍団じゃあるまいし。まさか、ドッペルゲンガーの次は化け猫? なんだか、この町全体がオバケ屋敷になったみたいだわ)

「ミズキぃ」

 梨理のかすれた声にミズキは我に返った。梨理が、窓の外を震える指で指している。

 ベランダに、ネコが一匹うずくまっていた。切れた右耳。短いシッポ。そして、雪ダルマみたいな鼻のシミ。昨日と同じネコ。昨日と同じ姿勢。ただ違うのは、前足が血で汚れていることだけだ。

 金色の瞳と目が合う。ネコは笑った。にやりと。明らかに、人間の表情をマネて。ゾク。ミズキの背中が寒くなる。ネコは、音もなく身をかがめた。

 窓ガラスがはじけた。机にガラスが散らばる。その破片の上に、飛び込んできた猫は着地した。そして、梨理の胸に銃弾みたいに跳んでいった。

「ひっ!」

 ユキは、真っ黒な瞳に涙を浮かべている梨理の手から青い花束をひったくる。

「あ、こら! 返しなさい!」

 ネコはミズキの言葉に返事もしない。自分であけた窓の穴から外へ飛び出す。そして、チラッとこっちを振り返ると、すぐ隣のベランダへ飛び移って逃げていく。

 ミズキはほんのちょっと迷ってから、自分のカバンを手に取った。念のため、お守りを持って行った方がいいだろう。

「待て、こんの泥棒ネコ!」

 微妙に誤解を招きそうだけれど、まあ間違ってはいない悪口を叫ぶと、ミズキは廊下をつっぱしって校庭へ飛び出していった。


「ミズキぃ、どこにいるの?」

 ミズキを追って昇降口にでた梨理は、周りを見回した。けれど、ミズキの姿はどこにもなかった。

 びくびくしながら、梨理は校舎にそって歩き出した。そろそろ朝のホームルームが始まる時間で、人影はない。なんだか、その辺りの物陰から、今にもネコが飛び出してきそうだ。

「ミズキぃ、早く戻ろう……」

「くっくっく」

 頭の上から笑い声が降ってきて、梨理は近くに生えていた木を見上げた。

 飛び出しては来なかったけれど、枝の上に三毛のネコが乗っていた。耳の切れた、雪だるまのようなシミが鼻にあるネコが、まるでアリスに出てくるチェシャネコのようにニヤニヤ笑っている。

 口がゆっくりと開いた。

「どうしてミズキを探す? まさか我々に喰われないか、心配しているわけではないだろう?」

 かちかちと梨理の歯が鳴った。

「呪いをかけるほど憎い相手だからな。神社でワラ人形に釘を打つお前の姿…… はっきり見たぞ」

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