第十九話「囮」
■メルセミュ
午後の遅い時間だった。
棚を整えていた。フィロニィが二階でリュバンの処置をしている。ツムギがカウンターにいる。
扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
ツムギの声で振り返った。
男の子だった。若い。息が荒い。左腕に血がついていた。
目が私を見つけた。
「リュバンさん、いるか」
声が掠れていた。走ってきた声だった。
「今日は上にいる。どうした」
男の子が一歩踏み込んだ。足元がふらついた。
「村が、やられた」
■フィロニィ
階段を降りてきた時、男の子が床に手をついていました。
メルセミュ様が支えています。
左腕に傷があります。布が血を吸っていました。
「処置します。座れますか」
男の子が顔を上げました。
「まだ向こうに人がいる」
「今すぐ座ってください」
テーブルへ移動させます。傷を確認します。深くはありません。でも、出血が続いていました。
聖印を握ります。回復魔法を当てます。塞がっていきます。
「名前は」
「ノイル」
「ノイル様、村の名前を言えますか」
「カルヴァの集落。北の荷車道を行って、半刻もかからない。リュバンさんにも何度か来てもらってる」
「誰が残っていますか」
「わからない。逃げたのか、捕まったのか。帰り道に、急に。村の外れで声がして、気づいたら」
「魔族でしたか」
「そう。何体いたかは、暗くて見えなかった。でも、いた。間違いない」
処置を続けます。
■メルセミュ
フィロニィが処置している間、私はリュバンを呼びに行った。
しばらくして、リュバンがゆっくり一階に降りてきた。
ノイルがリュバンを見た瞬間、少し表情が変わった。
「リュバンさん」
「ノイル。何があった」
ノイルが話した内容を、リュバンは黙って聞いていた。
「メルセミュ、フィロニィ」
私たちを見た。
「行けるか」
私はフィロニィを見た。フィロニィが頷いた。
「行く」
ノイルが少し息を吐いた。
「急いでください。まだ、向こうに」
「わかった」
私は杖を取った。
■フィロニィ
「ツムギさん、リュバン様をお願いします」
「はい」
私とメルセミュ様は扉を出ました。
北の方向へ。カルヴァの集落へ向かいます。
荷車道を半刻ほど歩きました。
集落が見えてきました。
最初に気づいたのは匂いでした。焦げた匂い。でも、火事の匂いとは少し違う。もっと乾いた、何かが壊れた後の匂い。
近づくにつれて、見えてきました。
柵が倒れている。荷車が横転している。建物の一つに、焦げた跡がある。
でも。
静かでした。
泣き声が、思ったより少ない。叫び声も、もうない。
■メルセミュ
血も地面にあった。壊れた壺が散らばっていた。
でも、何かが変だった。
これだけ荒らされているのに、熱がなかった。戦いの後の、あの張り詰めた空気がない。
「フィロニィ」
「見ています」
フィロニィが怪我人の処置を始めた。
建物の陰に、女性が倒れていた。意識はある。足に傷がある。
集落の中に、怪我をしている人が十人近くいた。でも、死者はいなかった。
私はフィロニィを見た。
フィロニィが立ち上がった。
「……おかしいです」
「何が」
「本当に滅ぼすつもりなら、こうはならない」
改めて、集落を見渡す。
柵は壊れている。荷車は横転している。建物の一部に焦げた跡がある。
でも、もっと燃やせる場所が無傷だった。やろうと思えばもっと壊せたのに、途中で止めている。十人近く怪我をしているのに、死者が一人もいない。
叫ばせるために、必要なだけやった。
そういう感じだった。
「これは」
「囮です」
フィロニィが静かに言った。
少し間があった。
「本当に狙われているのは、私たちが今、空けている場所です」
私の頭の中で、一つだけ浮かんだ。
「……リュリュア」
■フィロニィ
女性に言いました。
「ヴェレフェーヌへ向かってください。荷車道をまっすぐ行けば着きます。依頼所か衛兵詰所を探して、カルヴァが襲われたと伝えてください」
女性が頷きました。
近くにいた老人と子どもにも声をかけ、動けることを確認します。
「助けは来ます。でも私たちは行かなければなりません」
私は立ち上がりました。
メルセミュ様がもう集落の出口に向かっていました。
走りました。
来た道を戻る。荷車道。ヴェレフェーヌへ。
「間に合うかな」
メルセミュ様が言いました。
私は何も言いませんでした。
でも、足を緩めませんでした。




