第一話「依頼所と石畳」
■メルセミュ
宿を取って、荷物を置いて、すぐ外に出た。
ヴェレフェーヌの石畳は、白とクリーム色の石で組まれていた。馬車が通るたびに、乾いた音が鳴って、すぐ消える。建物は三階建てが多く、窓枠には花があった。洗濯物は見えない。
この街は、人が住んでいる気配を上手に隠している。
グレンゼが先を歩く。剣の柄に手をかけたまま、背筋が伸びている。ガジは地図を見ながら、その横についていく。私とフィロニィは後ろだった。
空気が違う。
旅の道中とは全然違った。埃っぽくない。重くない。どこか甘くて、清潔な匂いがする。
「冒険者の依頼所、あっちだって」
ガジが地図から顔を上げずに言った。
「わかった」
グレンゼが短く答え、方向を変える。
街の中心に近づくにつれて、武器を持った人間が増えていった。商人。旅人。冒険者。鎧の音。低い笑い声。煙草の煙。
依頼所の前だけ、空気が少し荒かった。
中に入ると、壁一面に依頼書が貼られていた。
魔族討伐。目撃情報。街道沿い。森の中。国境付近。
多い。
テルク国境付近で魔族が出るという話は、ここへ来る前から聞いていた。でも、掲示板に並んだ紙を見ると、思っていたよりずっと近く感じた。
掲示板の隅に、依頼書ではない紙が一枚あった。
「勇者一行、魔王領北境へ向けて近日出立との報告。テルク国への影響、現時点でなし」
読んでいる冒険者は、ほとんどいなかった。
私も、すぐ視線を戻した。
「メルセミュ様」
フィロニィが隣に来た。静かな声だった。依頼書の負傷者情報に、もう目を通している。
「多いですね」
「うん」
振り返ると、グレンゼはすでに受付の職員と話していた。ガジがその横で腕を組んでいる。
速い。
でも、それがあの人のやり方だ。
私はもう一度、掲示板を見た。依頼書の隙間から、窓の外が見える。白い街並み。その向こう、遠くに丘があった。
何もない場所。
空に向かって開いている場所。
なんで、あの丘が気になるんだろう。
答えは出なかった。
グレンゼが戻ってきた。手に依頼書を一枚持っている。
「決まった」
国境の森。魔族の目撃情報、複数。住民への被害報告あり。討伐依頼。
「明後日の朝、出る。それまでに装備と消耗品を揃えろ」
「食料は私が」
ガジが言った。
「回復薬の補充を確認します」
フィロニィも続く。
私は依頼書を見た。
テルク国境沿い、ヴァルト森林地帯。聞いたことはなかった。
「メルセミュ、何か問題あるか」
グレンゼが私を見る。
「ない」
「なら動け」
グレンゼは余計なことを言わない。
それが好きなのか嫌いなのか、まだわからなかった。
外に出た。
午後の光が、ヴェレフェーヌの石畳に落ちていた。白い壁が光を跳ね返して、街全体が少し眩しい。
ガジはもういなかった。足が速い。
「メルセミュ様」
フィロニィが隣に並ぶ。銀色の長い髪が、午後の光に当たって白く見えた。
「薬屋に寄りたいのですが、ご一緒していただけますか」
「いいよ」
私たちは石畳を歩き始めた。
路地に入ると、大通りより空気が落ち着いた。洗濯物が風に揺れている。子供が走っていく。
その時、パンの匂いがした。
焼きたての、甘い匂い。
私は足を止めた。
路地の奥。小さな看板が見える。
「メルセミュ様?」
フィロニィが振り返る。
「……何か匂わない?」
「パンですね」
「うん」
もう一度、息を吸った。
「薬屋、先に行ってもらっていい? すぐ追いかける」
フィロニィが少し間を置いた。
「……わかりました。ただし、迷子にはならないでください」
「なんで迷子になると思うの」
「なりそうだからです」
それだけ言って、フィロニィは歩いていった。
私は路地の奥を見る。
看板に文字が書いてあった。
リュリュア。
聞いたことのない名前だった。




