第十七話 正論の刃
セレスティンは、静かに到着した。
馬車の音も、護衛の足音も、目立たない。
だがその存在は、確かに空気を変えた。
淡い色の装い。
穏やかな微笑。
視線は柔らかいのに、焦点は鋭い。
王宮監査官――セレスティン。
夏の光を背に、彼女は中庭を見渡した。
咲き残る大輪。
手当てを終えた温室。
そして、事故を経た区画。
「誠実な展示ですね」
第一声は、賞賛にも聞こえる。
だが評価ではない。
観察だ。
監査は、穏やかに始まった。
帳簿、成長率推移、区画別データ。
リシャールが資料を差し出す。
改ざんはない。
事故報告も、そのまま添付されている。
セレスティンは一枚一枚、丁寧に目を通す。
沈黙が長い。
誰も急かさない。
急かせない。
「再評価枠の平均成長率は、春季終了時点で上昇」
彼女が口を開く。
「しかし夏季中間時点では微減」
「高温障害の影響です」
リシャールが答える。
「原因は明記されています」
「確認しました」
微笑みは変わらない。
「では、お尋ねします」
顔を上げる。
その目が、まっすぐ王子に向く。
「制度は成果を出していますか?」
室内が静まる。
問いは単純。
だが、逃げ場がない。
アルフォンスは、すぐには答えない。
成果。
何をもって成果とするのか。
成長率か。
開花率か。
継続率か。
「一定の改善は見られます」
彼は慎重に言う。
「ただし短期的な揺らぎは存在します」
「はい」
セレスティンは頷く。
「では、総合的に見て」
再び問う。
「成果は出ていますか?」
沈黙。
数値は、上昇と下降を繰り返している。
事故もあった。
明確な“成功曲線”ではない。
「……断定はできません」
王子は言った。
その言葉は、正直だった。
だが弱い。
セレスティンの微笑は崩れない。
「次の問いです」
声は柔らかい。
「税金と時間に見合う価値はありますか?」
重い。
学院は王立だ。
資源は無限ではない。
価値。
それを測るのが監査。
王子は言葉を探す。
価値はある、と信じている。
だが、数値で示せるか。
「改善傾向と、継続率の維持は確認できます」
アレクシスが補足する。
「制度廃止による損失を考慮すれば――」
「廃止の議論はしていません」
セレスティンはやんわり遮る。
「価値の確認です」
レディアナが一歩前に出る。
「価値は、過程にあります」
視線は揺れない。
「芽吹かなかった区画も、
事故を経た区画も、
そこに立ち続けている」
「継続の意思が確認できる、という意味でしょうか」
「はい」
彼女は頷く。
「制度があったから、立ち続けられた」
セレスティンは、わずかに首を傾げる。
「理解はできます」
微笑む。
「しかし――」
その微笑が、ほんの少しだけ鋭くなる。
「過程は、報告書になりません」
沈黙。
刃は、見えない。
だが確かに、切る。
「報告書に必要なのは、測定可能な成果です」
彼女は続ける。
「予算の正当性。
時間投資の合理性。
再現可能性」
柔らかな声。
だが言葉は正論。
「過程は、価値を生むかもしれません」
セレスティンは言う。
「しかしそれは、未来形です」
今、この瞬間の数値ではない。
「監査は、現在を評価します」
アルフォンスは、視線を落とす。
正しい。
彼女の言葉は、間違っていない。
正しさは、重い。
「我々は、未来を選んでいます」
王子はゆっくり言う。
「短期的な最適化ではなく」
「未来の保証は、誰がしますか?」
即座の問い。
王子は答えられない。
保証はない。
春にそう宣言した。
確定しない、と。
室内の空気が張り詰める。
アレクシスは唇を結ぶ。
リシャールは資料を握り締める。
レディアナは、王子を見る。
揺らぎは、美しい。
だが今、それは説明不能だ。
セレスティンは資料を閉じる。
「本日の確認は以上です」
立ち上がる。
「誠実な開示には感謝します」
微笑む。
「ですが、結論は後日報告します」
その言葉は穏やか。
だが含意は重い。
監査官が去った後。
室内に残るのは、熱と沈黙。
「正しいですね」
レディアナが小さく言う。
「ええ」
王子は答える。
「正しい」
「ですが」
彼女は続ける。
「正しさが、必ずしも私たちの選択と一致するわけではない」
窓の外。
夏の光は変わらない。
大輪は揺れ、
事故を経た区画も、立っている。
正論の刃は、血を流さない。
だが確実に、揺らぎを試す。
制度は成果を出しているのか。
価値はあるのか。
答えは、まだ確定しない。
だが問いだけは、逃れられない。




