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土を選ぶ悪役令嬢  作者: 南蛇井
第四章 夏

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第十六話 温室事故

それは、正午前だった。


温室の中の空気が、わずかに重いと感じたのは、誰だったか。


葉が、静かに垂れている。


昨日まで張りを保っていた緑が、どこか鈍い。


そして――焦げた匂い。


「換気弁が作動していません!」


駆け込んできた生徒の声。


リシャールは即座に温室へ向かった。


ガラス越しの光は、いつもより強い。


内部の温度計は、赤い線を越えている。


高温障害。


数値が、目に見える形で現れていた。


第二区画。


葉の縁が褐色に変わり、

いくつかは完全に萎れている。


第三区画は持ちこたえているが、

その隣――


再評価枠所属の無名の生徒の区画。


小さな芽が、黒く変色していた。


土はまだ湿っている。


だが、遅かった。


「……」


その生徒は、声を出さない。


ただ、立っている。


芽に触れようとして、触れない。


リシャールは温度ログを確認する。


夜間換気装置の故障。


警告表示は出ていた。


だが巡回時刻が、三十分遅れた。


三十分。


それが、境界だった。


「復旧作業を急げ」


アレクシスの指示が飛ぶ。


水分補給。遮光。冷却。


手は動く。


だが枯れた部分は、戻らない。


午後。


評議会室。


被害報告書が机に置かれる。


第二区画、三割損傷。


再評価枠区画、一部壊滅。


数字は冷たい。


「監査前にこれは……」


アレクシスの声が低くなる。


リシャールは黙っている。


「報告書の表現を調整する必要があります」


アレクシスは言う。


「“一時的な環境変動”と」


「事実です」


リシャールが答える。


「換気装置故障による高温障害」


「原因は書く。だが規模は」


「三割は三割です」


声は平坦。


だが、硬い。


レディアナが静かに問う。


「隠しますか」


誰もすぐには答えない。


沈黙が重い。


監査は近い。


下降線はすでにある。


ここで事故まで加われば――


「全体平均に与える影響は限定的です」


リシャールが言う。


「再評価枠全体の数値に換算すれば、

 影響は一・四%程度」


彼は、計算できる。


集団に埋もれさせることも。


「報告書上、目立たなくすることは可能です」


アレクシスはそれを理解する。


「必要最小限の記述で」


リシャールは、資料を見つめる。


表計算の列。


平均値。


小数点以下。


そこに事故は埋まる。


数字は平滑化できる。


三割は一・四%になる。


痛みは、縮小できる。


温室で立ち尽くしていた無名の生徒の姿が、脳裏をよぎる。


黒く変色した芽。


触れられなかった指先。


三十分の遅れ。


「……」


ペンが、紙の上で止まる。


「改ざんではありません」


アレクシスは言う。


「全体最適の提示です」


「はい」


リシャールは頷く。


言葉は正しい。


全体最適。


合理。


説明可能性。


だが――


「事故報告は、個別に添付します」


彼は言った。


静かに。


「規模も、原因も、そのまま」


アレクシスが視線を上げる。


「監査で問題視される」


「事実です」


リシャールは繰り返す。


「事実は、痛みを伴います」


室内が静まる。


レディアナは、わずかに息を吐く。


「ありがとうございます」


「礼には及びません」


リシャールは目を伏せる。


「数字は、嘘をつかない」


「人が、つかせることはできます」


アレクシスが低く言う。


「しません」


リシャールは答える。


短く。


それ以上、言葉はない。


夕方。


温室の修復は進む。


枯れた葉は取り除かれる。


だが、芽は戻らない。


無名の生徒は、静かに土を整えている。


「また、蒔きます」


誰に言うでもなく。


リシャールはその姿を見る。


三割。


一・四%。


だがここでは、百分の百だ。


王子は報告書を受け取る。


事故詳細、原因、影響、全て記載。


隠されていない。


「痛いな」


小さく呟く。


「はい」


リシャールが答える。


「ですが、消えません」


夏の熱は、まだ続く。


温室のガラスに、夕陽が反射する。


成功は揺らぎ、


下降線は続き、


事故は記録された。


事実は、痛みを伴う。


だがその痛みを削れば、

制度は別の形で壊れる。


夏は、容赦なく真実を晒す。


そして学院は、隠さないことを選んだ。

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