第18話:内部対立
――揺らぎの限界
夏の空気は重い。
熱は、議論の声までも鈍らせる。
監査官セレスティンが去った翌日。
学院評議室の扉は、いつもより強く閉じられた。
静寂の中、最初に口を開いたのはアレクシスだった。
「殿下」
その声音は丁寧で、だが硬い。
「維持は、美徳ではありません。
今のままでは、責任回避に見えます」
王子アルフォンスは視線を上げる。
「回避……?」
「はい。
拡張もせず、縮小もせず。
揺らぎを許容するという名の、決断の延期です」
言葉は正しい。
正しすぎる。
リシャールが資料を机に置いた。
乾いた紙の音が響く。
「再評価枠の成長率は、春比で〇・七%減少。
温室事故の影響を差し引いても、微減です」
彼はいつも穏やかだ。
だが今日は違った。
「数値は悪化しています」
重い一言だった。
王子は言葉を探す。
「だが、急激な拡張は……」
「だからこそ、今です」
アレクシスが遮る。
「制度は、成果を示せなければ切られる。
維持という曖昧な姿勢は、最も疑われます」
レディアナは静かに座っていた。
風の通らぬ室内で、ただ視線だけが涼やかだった。
「疑われることを恐れて、制度を変えるのですか?」
彼女の声は小さい。
だが、揺らがない。
アレクシスは即答する。
「恐れているのではありません。
守ろうとしているのです」
「何を?」
「制度そのものを」
一瞬の沈黙。
リシャールも続く。
「維持は理想的です。
ですが現実は、維持を許してくれません。
監査局は再評価を求めるでしょう。
次は“成果基準の明確化”です」
明確化。
それは、線を引くこと。
咲いたか、咲かなかったか。
価値があるか、ないか。
レディアナは目を伏せた。
「線は、安心を与えます。
けれど、線は同時に切り捨てます」
アレクシスの声が少し強まる。
「切り捨てない制度は、やがて崩れます」
「切り捨てる制度は、やがて空洞になります」
二人の言葉が、机の上でぶつかる。
王子は両者を見た。
どちらも誤っていない。
それが、苦しい。
「殿下」
リシャールが珍しく強く言う。
「維持は、覚悟です。
ですが今の殿下は――」
言い淀む。
「……迷っているように見えます」
痛い指摘だった。
王子は目を閉じる。
春に掲げた言葉。
“成功を制度にしない。失敗を罪にしない。”
あの宣言は、静かな勇気だった。
だが今。
数値が下がり、監査が迫り、
仲間が不安を抱えている。
それでも同じ言葉を言えるのか。
「私は……」
声がかすれる。
「揺らぎを守りたい」
アレクシスが即座に問う。
「それは理想ですか。
それとも責任ですか」
重い問い。
レディアナが、初めてわずかに視線を落とした。
彼女も理解している。
揺らぎは、美しい。
だが揺らぎは、弱い。
「殿下」
彼女の声は柔らかい。
「揺らぎは無限ではありません。
限界があります」
王子は顔を上げる。
「限界……?」
「はい。
守る側が迷い続ければ、揺らぎは不安に変わります」
室内の空気がさらに重くなる。
アレクシスが静かに言う。
「だからこそ、方向を示すべきです」
リシャールも頷く。
「数字が悪化している以上、
何らかの行動は必要です」
王子は立ち上がる。
窓の外、強い日差しが中庭を照らしている。
花は、夏の熱で少し色を失っていた。
「揺らぎを守るには、
私自身が揺らがないことだ」
振り返る。
「だが、今の私は揺らいでいる」
誰も否定しない。
それが、答えだった。
「拡張案は、保留とする」
アレクシスの眉がわずかに動く。
「代わりに、数値悪化の原因を明確にする。
温室事故、気候要因、制度要因――すべて分解する」
リシャールが静かに頷く。
「事実から逃げない、と」
「そうだ」
王子は続ける。
「維持は逃避ではないと、
示さねばならない」
レディアナはようやく息をつく。
だがその表情には、安堵よりも緊張があった。
揺らぎは、限界に近づいている。
守り続けられるのか。
それとも、どこかで折れるのか。
会議は終わる。
誰も勝っていない。
誰も負けていない。
だが、確実に何かが削れていた。
夏の光は強い。
強すぎる光は、影を濃くする。
揺らぎは、まだある。
けれどそれは今、
試されている。




