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土を選ぶ悪役令嬢  作者: 南蛇井
第四章 夏

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第十四話 数値の下降線

夏は、容赦なく続いていた。


温室のガラス越しに差し込む光は強く、

空気はわずかに揺れている。


葉の縁が、ほんの少しだけ乾いていた。


それは劇的な変化ではない。


だが――確かに、昨日とは違う。


評議会室。


リシャールが資料を机に並べる。


紙の上には、折れ線グラフ。


緩やかに、しかし明確に、下向き。


「再評価枠の平均成長率は、前月比で二・三%減少」


静かな声。


「主因は高温による環境不安定化。

 特に温室区画の夜間温度が基準値を上回っています」


誰も驚かない。


予兆はあった。


だが、数値として提示されると、重みが違う。


「改善の見込みは?」


アレクシスが即座に問う。


「遮光と夜間換気で緩和可能です。

 ただし完全回復には時間が必要です」


時間。


監査官来訪まで、一週間。


報告書提出まで、二週間。


時間は、あるようでない。


「拡張しなかった判断は正しかったか」


誰が最初に言ったのかは分からない。


だが言葉は、部屋に残った。


春に否決された拡張案。


再評価枠を広げ、資源を集中させる提案。


あのときは、急がないと決めた。


だが今は――


「もし拡張していれば」


アレクシスが静かに言う。


「区画数を増やし、統計的安定性を確保できた可能性があります」


レディアナが視線を上げる。


「可能性、です」


「はい」


彼は頷く。


「揺らぎを残すことは理解します。

 しかし揺らぎは、安定の上にあってこそ意味を持つ」


資料を指し示す。


「現状は、単なる不安定です」


リシャールは否定しない。


「数値上は、そう読めます」


事実は冷たい。


感情を挟まない。


だからこそ、重い。


「拡張案を、再検討すべきです」


アレクシスの声は、強くも弱くもない。


だが確信がある。


「資源配分を再評価枠へ集中。

 管理精度を上げ、成長率を回復させる」


「集中は、選別になります」


レディアナが即座に返す。


「成果が出やすい区画へ、さらに資源が流れる」


「成果が出るから、流すのです」


「それが焦りです」


彼女の声は、静かだが鋭い。


「焦りが制度を歪めます」


室内の空気が張る。


「春に私たちは、成功を制度にしないと決めました」


「決めたのは、拡張しないことです」


アレクシスは譲らない。


「制度そのものを固定しない、という意味ではない」


「いま拡張すれば、

 “下降線を恐れて動いた”と認めることになります」


沈黙。


誰もが、その恐れを共有している。


数値は下がっている。


監査は迫る。


外部は待たない。


揺らぎは、美しいだけでは済まない。


アルフォンスは、資料を見つめている。


下降線。


ほんのわずかな傾き。


だが、それは確かに下向き。


「不安定化の予測は」


彼が問う。


リシャールは答える。


「現状維持なら、横ばいか微減。

 拡張すれば短期的改善の可能性はあります」


「長期は?」


「不明です」


不明。


それが一番、恐ろしい。


「揺らぎは、耐えられるのか」


王子の独り言のような問い。


レディアナは答える。


「揺らぎは、もともと安定ではありません」


「では、不安は?」


「不安も、制度の一部です」


アレクシスは視線を落とす。


「不安を制度に組み込むのですか」


「隠さない、という意味で」


レディアナは言う。


「焦って形を変えれば、

 私たちは揺らぎを守ると言いながら、

 最初に揺らぎを否定することになります」


窓の外で、強い風が吹く。


温室のガラスがわずかに鳴る。


高温、不安定、下降線。


言葉が重なる。


「拡張は、まだ行わない」


アルフォンスが言う。


即断ではない。


だが先延ばしでもない。


「現状維持のまま、改善策を講じる」


アレクシスはわずかに目を細める。


「監査への説明は」


「事実を示す」


王子は答える。


「下降線も含めて」


リシャールは静かに頷く。


「了解しました」


数値は隠されない。


それは、ひとつの決意。


会議が終わる。


廊下に出たレディアナは、わずかに息を吐く。


「怖いですね」


王子が隣に立つ。


「何がだ」


「正しかったかどうか、

 すぐには分からないことです」


揺らぎは、不安と隣り合わせだ。


下降線は、疑念を呼ぶ。


だが焦りは、もっと早く歪ませる。


夏の空は高い。


熱は強い。


制度は、まだ揺れている。


それでも――


揺らぎを、焦りに明け渡さない。


その選択が、正しいかどうかは、まだ確定しない。

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