第三話 称賛の危うさ
発芽率の掲示から一週間。
双葉は三枚目の葉を広げ始めていた。
緑は確実に増えている。
中庭には、柔らかな期待が漂っていた。
その空気が、生徒会室にも流れ込んでいる。
「殿下、そろそろ正式な祝辞を」
書類を抱えた生徒会役員が、慎重に切り出す。
「発芽率は安定しています。
再評価枠からも成果が出ています。
これは、制度改革の成功事例として――」
言葉は丁寧だ。
だが、その先は明確だった。
“成果として発表する”
アルフォンスは窓の外を見る。
中庭の緑が、陽光を受けて揺れている。
確かに、成功に見える。
冬の不安。
制度変更への反発。
それらを乗り越えた証のように。
「祝辞、ですか」
彼はゆっくりと呟いた。
リシャールが資料を机に広げる。
「現時点での数値は良好です。
従来区画六割。再評価枠四割強。
予想よりも差は小さい」
彼の声には昂揚が混じっている。
「この成果を基に、再評価枠を拡張すべきです。
母数を増やせば、制度の有効性はさらに検証できます」
合理的な提案だった。
成果がある。
ならば広げる。
統治としては自然な流れ。
「拡張、か……」
アルフォンスは椅子の背に体を預ける。
もしここで宣言すれば、学院は動くだろう。
自分の決断は、正しかったと証明される。
そう思う自分がいることに、彼は気づいている。
その時、静かな声が入る。
「殿下」
レディアナだった。
彼女は資料に目を落とし、数字を一瞥する。
「祝辞は、誰に向けるものですか?」
「……学院全体へ」
「成功に、でしょうか?」
リシャールが即答する。
「制度改革の成果に対して、です」
レディアナはわずかに首を振った。
「成果は制度の所有物ではありません」
室内の空気が止まる。
彼女の声は穏やかだ。
責める響きはない。
だが、明確だった。
「芽が出たのは、制度が命じたからではありません。
土と種と、時間と、偶然が重なったからです」
「制度は環境を整えたに過ぎない」
リシャールは反論する。
「環境設計こそ、統治の役割です」
「ええ」
レディアナは頷く。
「ですが、環境が結果を所有することはできません」
アルフォンスは目を閉じる。
祝辞を述べる自分の姿を想像する。
“我々の改革は成功した”
その言葉は、甘い。
だが同時に、危うい。
成功を宣言する瞬間、
失敗は排除される。
まだ芽が出ていない区画。
静かな土。
その存在が、祝辞の影に沈む。
「称賛は、拡張を正当化します」
レディアナは続ける。
「拡張は、制度を強くします。
強くなった制度は、成果を自らの証拠にします」
彼女は王子を見る。
「その循環は、やがて失敗を許さなくなります」
静寂。
窓の外で、風が葉を揺らす。
リシャールは息を吐いた。
「では、何も言わないと?」
「言うべきです」
レディアナは即答する。
「ただし、“我々の勝利”ではなく」
アルフォンスは目を開ける。
「……何を、言うべきだ」
彼女は微笑んだ。
「まだ途中である、と」
その日の午後。
中庭に生徒が集まる。
王子は壇上に立つ。
視線が集まる。
期待が満ちる。
彼はゆっくりと口を開いた。
「芽吹きは、喜ばしいことです」
小さな拍手。
「しかし、これは結果ではありません」
ざわめきが止まる。
「制度が花を咲かせたのではない。
我々が勝利したのでもない。
ただ、種が芽を出した」
彼は一瞬、言葉を探す。
「ゆえに、拡張は急がない。
評価も、確定しない」
拍手は大きくない。
だが、消えない。
祝祭にはならなかった。
それでいい。
壇を降りた王子の隣に、レディアナが立つ。
「危ういところでしたね」
「自覚はある」
アルフォンスは苦笑する。
「称賛は、心地よい」
「ええ」
彼女は静かに頷く。
「だからこそ、慎重に扱うべきです」
中庭では、双葉が風に揺れている。
まだ小さい。
まだ弱い。
称賛は、時に重みになる。
春は続いている。
だが、物語はまだ途中だ。
成功は、所有されなかった。
それだけで、この日は十分だった。




