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十月も中旬となると、僕の住む札幌市は一気に寒さを増す。
と、気付けばようやくここに来て、初めて僕の在住地を晒したようだ。
そう、僕は何を隠そう道産子、全国五大都市の内の一つに住む札幌市民だ。
ついでながら地元札幌の自慢をさせてもらうと一つに、これはよく言われていることだけど、水が美味しい。最近、旅行で大阪の水道水を口にしたけれど、断然札幌の水道水の方が美味しく、この度札幌の水の美味しさを再認識したわけである。
それから、とにかくラーメン屋が多い。あ、いやこれは主観的な意見で、客観的に、内地の人から見たらどうかは分からないけれど、あくまで主観的な意見で言えば多い。僕の住む地域は札幌の中でも田舎の方なのだけれど、それでも車で十分かからないところにテレビ取材も受けたことがある美味しいラーメン屋がある。個人的に味噌ラーメンを推す。インスタントの味噌ラーメンとは比べ物にならないくらい旨い。
あと自慢できるのは温泉が多いことだろうか。
バス一本で、有名な温泉街へ行くことができる。生憎、僕はまだ単独で温泉街へ行ったことがないけれど、いずれ行ってみたいものだ。一人で、日帰り温泉巡り。
最後にこれは自慢じゃないけれど、逆に貶めるようだけど、札幌は全国五大都市と言われる癖に、実はそう都会でもない。都会と呼べるのは本当中心部くらいで、他は他県とそう変わりないと思う。華やかなイメージを抱いている人がいたら、今の内にその華やかさを褪せておくべきだ。東京に比べたら田舎、田舎。
はい、んじゃまあ閑話休題。
「……寒っ」
ぴゅうっと吹いた、北海道ではあっという間の秋の冷たい風が、僕と直中の体を凍えあがらせる。道行く人々は皆コートやジャケットなどの上着を着ているが、高校生の僕らはそのプライドもあり、マフラー一枚首に巻いているだけという軽装だった。
「なぁ、僕らだけでも明日からマフラーだけとかやめない? 高校生男子は馬鹿だ、どうしてマフラー一枚に拘るのかね。そんなに上着が嫌か」
「えっ、いや。上着着てる奴もいるけど……」
「そうなの? あれ?」
「いるよ。この時期はまだそんな上着着ている奴はいないけど、いるにはいるぜ」
「ほら、やっぱりいるにはいる、くらいのレベルじゃないか。マフラーに拘り過ぎだよ」
「……七伍って、変なところで他人に合わせるよな。そうしようと意地になるよな」
返す言葉もない。
基本的に他人に合わせたり、群れて行動することを好まない僕だけど、こいつの言う通り変なところで意地になって、矛盾した行動をとろうとしてしまう。
悪い癖だ。
今現在、僕と直中は二人で学校から少し離れた副都心的な地域にまで公共交通機関を使って訪れ、ラーメン屋を目指して歩いている。因みにこのラーメン屋は僕のお気に入りの店の一つで、所謂隠れた名店と呼ばれる存在だ。見た目はそう良くないが、味は良いというベタなラーメン屋である。
「ところで今日は何か含みのある誘いだったけど、もしかして一時間目のときのことを訊きたかったのか? もしそうなら、既に終わっていないか? ただ単に、ラーメン食べに行くだけになってないか? いや、別にそれでもいいんだけど……」
「まだ訊きたいことは、話したいことはあるのさ。お前が本当に天才か確かめるのもその内の一つだったけど、よく考えたら口頭だけでって信憑性に欠けるしな。だからあの場で訊いたんだよ、証拠をこの目で見ることが出来るあの場でね。ま、正直驚いたんだけど。あんな本性を隠していたとは、親友の僕でも知らなかった」
と、親友の僕という自分で言った言葉の可笑しさに吹いてしまいそうになったがなんとか持ちこたえる。ちょっとイジリの意味を含めて言ってみたんだけど、別に周りから冷やかされているわけでもないし、そもそも当事者が僕なのでイジリの意味は成さないということに今気付いた。
これじゃ、僕がデレてるだけじゃないか。
「まだ訊きたいことがあるのか、なんだろうな。想像もつかない」
「天才でもか?」
「呑み込みの天才の範囲外だよ」
だろうな、今のは流石に冗談だ。範囲外ということは僕も分かっている。
こいつの天才性は決して万能ではなく、局地的ななものなのだから。
そんなことを話している内に、ラーメン屋到着。元は真白だったのだろうが、今は黄ばんでしまった薄汚れた看板には『風林火山』という僕らにも割かし馴染みのある四字熟語の店名が明朝体で書かれている。勿論、それが彷彿させるのは武田信玄しかいない。
薄く安っぽい所々色の禿げた銀色のスライド式扉を動かして、僕と、その後ろの直中は少し熱気を帯びた店内に入った。
「はい、いらっしゃいー。適当なところに座ってねー」
僕たちが入るなり、座敷に座って夕刊を読んでいたおばちゃんはのろり立ち上がってから、いつものやる気がイマイチ感じられない適当な言葉をかけて、水を用意し始めた。
「カウンターでいいよな?」
「うん」
僕の言葉に直中は呼応して、二人並んでカウンターに座るそして直中はメニューを手に取ってラーメンを選び始めるが、僕はもう既に決まっているので手に取らず、先に厨房のおっちゃんに「味噌もやし多めネギ少なめ」「あいよぅ!」と、ここ風林火山ビギナーの直中の手前、ちょっとだけ見栄を張って慣れた風に注文した。
「早いな」
「今年、もう二桁来てるから」
実は今日で二桁に到達したというのは秘密。
「なら早く決めないとな……醤油でいいかな。醤油お願いしまーす」
おばちゃんと反面、おっちゃんの威勢の良い声がすこぶる狭い店内に響く。
「はい、お水どうぞ」
気怠そうな口調で、おばちゃんは僕らの前に魔法瓶と水と氷の入ったコップとを置いた。直中はそれをぐぃっと一発目、豪快に飲み干した。喉が渇いていたのだろうか。
「じゃあ早速で悪いけど、僕はお前に、一つ言わなきゃいけないことがあるんだ」
「うん?」
直中は空になったコップに水を注ぎながら、僕の言葉に首を傾げた。
それについては、僕が言うまでもないだろう。
これを言わなきゃ始まらない。そんなことだ。
「伊佐六。率直に言うと、僕はお前の知っている樫耶野七伍じゃないんだ」
「………………」
ぴたっと刹那、動きを止めてから直中は何も言わずに、注いだ二杯目の水に口を付けた。
直中が現段階で何を考えているか、思っているかは何一つ分からないが、僕は続ける。
「いつもの僕とは違う――そんな風に感じていたと思う。ああその通り、僕はお前といつも一緒にいる僕じゃない。違う世界の、こっちのお前とは何の関係もない樫耶野七伍なんだ。……嘘みたいな話だと思うだろうが、本当なんだよ」
もし仮に。
直中伊佐六が僕をこっちの世界に召喚した張本人――神様だったら、やっぱりこの状況は流石にまずいと思うのだろうか。初っ端から犯人である自分のところに来たのだから、そりゃ動揺するだろう。
けれどどうだろう、正直言って僕にはこいつが犯人だとは、こうして仮定を立てている状態で言うのもなんだけど、仮定を立てることさえ無駄だと思うほどに、思えない。なんだってこっちの世界の僕とは親友関係にあるのだから――だから僕はそういうことも踏まえて今日初っ端に、一番犯人である可能性が低い直中に当たったのだ。神谷さんが僕のこの意図に気付いていたかは定かではないが、少しは感付いていたことだろう。
「……んー、なるほどねー」
直中が口を開いたと思いきやその口調は冷静沈着で、まるで事態を素直に受け止めているようだった。まさか呑み込みが早いってこういう呑み込みも入るのか?
「話を聞くに、パラレルワールドって感じか……」
神妙な顔つきで、依然として全く疑う素振りを見せない直中。逆に猜疑心がごっそり抜け落ちているみたいだ。僕だったら絶対に疑うに違いないのに。
でも信じてくれているのならこれ以上のことはないだろう。僕としても都合が良い。
「うん、そんな感じ。パラレルワールド。僕の世界と、ここの世界が微妙なズレが生じているんだ。例えば――僕とお前が、あっちの世界じゃ親友じゃないとか」
「……まあしょうがないわな」
一瞬だけ心中複雑そうな顔をしたが、どうやらここにきて割り切ったようだ。
直中が今、感じた感覚は親友だと思っていた奴に否定されたようなのとほぼ同じ感覚だろうが、残念ながら僕の中に親友という概念がないから、そういう感覚を想像はできても、自分に置き換えて考えることは出来なかった。
置き換えて、痛みを理解することは出来なかった。
ごめんよ、僕じゃない僕の親友。
「うん……で、事態は理解したけれど、一体それを俺に話してお前はどうしたいんだ?」
「犯人探し」
「は?」
「僕はさ、こっちの世界の何者かに召喚されて飛ばされてきてしまったんだよ。でもその見通しは大体ついているんだ、ある人のお蔭でね」
ある人と言えば神谷さん、このやり取りもどこかで見ていたりするのだろうか。流石にここに潜んでるってことはないだろうから、盗聴盗撮とかだろうか。……そう考えたら俄然このラーメン屋を一掃する勢いで捜査したくなってきたぞ。
「へぇ、どんな見通しだ?」
すっかり慣れた様子の直中に一種の不気味さを感じつつも、僕は質問に答える。
「見通しがついているっていうか、具体的に言っちゃえば犯人が絞れている、かな。その人はその犯人とそれなりの関係があって、どうやら元々は知っていたらしいんだけど、その人から離れる際に、幻想的な話になるんだけど――記憶を消されちゃったみたいでさ。どうもその部分だけ綺麗に記憶失ったんだってさ。だからその情報は、失っていない部分の記憶による情報なんだ。記憶が失くなってなければすんなりそいつに会えたんだけど、まあ失くなっちゃったもんはしょうがないから犯人探しするハメになったってわけ。なんか一気に話しちゃったけど大丈夫か?」
つい長々と全貌まで話してしまった。まあ話すつもりだったからいいんだけど。
直中は腕を組んで「うーん」と深く考え込む。
「しっかし面白い話だなー、あ、言っておくけど俺は犯人じゃないぞ。実は結構ショック受けてるんだから」
「分かってる分かってる。犯人じゃない可能性が一番高いからこそ、一番最初に直中に接触したんだし、ショック受けてることについても想像は出来てるから」
「あ、ちょっと待て。一番最初って――七伍、お前いつからこっちのお前と入れ替わっていたんだ?」
「昨日。起きたら世界が変わってた」
「じゃあ本当に起きたてほやほやの事件ってわけか」
「事件って……」
事件だろうか。
この一連の出来事を表現するのに、事件という言葉を使うのはどこか筋違いな気がする。だとすれば、どんな言葉を用いれば適切に表現できるのだろうか。もう本当、この物語のような出来事を――
「なるほど、物語ね」
「物語?」
「ああ、こんな――現実ではおよそ有り得ない出来事を、物語と表すとしっくりこないか?」
「まぁ……くるけど。人それぞれでいいんじゃないか?」
「そうだね、僕もそこまで」
拘っていたりする。
しっくりきたんだけどなぁ、物語。
僕は今後、この出来事を物語と言うことにしよう。
嘘みたいなこの出来事に、物語という現実モドキを意味する言葉はお似合いだ。
「って、まあそれはいいとして」
僕は話題を切り替える。
「僕はお前の親友ではないけど、お前は僕の親友ではないけれど、僕は僕の親友であるお前を信じて言う――協力してほしい。僕が世界に戻るために、天才の存在が頼りになる」
なんて言って、実は直中が犯人で裏切られたら元も子もないけれど。
……そんなこと考え始めたらもう何も信じられないわけだが。
「今、僕の目の前にいる七伍は」
直中は目を閉じたまま言う。
「確かに俺の知る七伍じゃない全くの他人だ。こっちの七伍とかなり似ているけど、というかもうほとんど一緒だけど、それでも他人。そんなのを僕は助けるのかと言えば」
言うというより、自分に言い聞かせているようだ。
直中は、僕を助けてくれるか?
すぅっと深呼吸してワンテンポ置いてから目を開くと同時、直中はほんの少し表情を崩して口を開いた。
「助けるに決まってるよ。単純な人助けとしてね」
「……直中、じゃなかった」
「いいよ、それで。お前はお前じゃないんだし。その方が混同しなくて良い」
そんなところで厨房からラーメンが運ばれてきた。
アレンジされた味噌ラーメンと普通の醤油ラーメンがそれぞれの前に置かれてから、先に直中が割り箸を割った。
そして麺を口に運ぶ直前に直中は言う。
「よろしく。七伍じゃない七伍」
「……ああ、よろしく」
なんだよ、これ。
本当にお前、別人じゃねーか。ズレているどころじゃない。
僕は協力のお礼として、チャーシューと、大目に盛られたもやしを少し分けてやった。
「ありがとう」
とまあそんなわけで、僕は最初の協力者として、旧秀才の天才・直中伊佐六を得た。




