2-(5)
「終わった終わったー」
試合を終えた直中が、額の汗を拭いながら僕へ寄ってきた。
適当な労いの言葉をかけてから、さぁ次は僕の二試合目だと珍しく、気まぐれで意気込んで座っていたステージから飛び降りたがしかし、体育教諭の無情な言葉によると、どうやら今日はここまでらしかった。空回り。どうして、折角僕が少しでもやる気を出したのに、それを削ぐような真似をするのだろうか。
……流石に八つ当たり過ぎるかね。
「おお、七伍ががっかりしたみたいな顔してる。レアだ」
「いっそのこと拝んどけ」
「ははぁー……」
頭を垂れて、その頭上に祈るように両手を合わせて僕を拝む。
……思いの外、ノリの良い奴だった。このまま放っておくと、今日一日ずっとこの低姿勢でいられる気がしたので、僕はその姿勢を解かせた。名残惜しそうだったのは気のせい。
「いやっはぁー、一時間目が体育だと残りのカリキュラムを爽快な気分で受けられるから良いね。六時間目に体育があると、もうその日はダメだ」
「どうしてだ? 僕はむしろ、六時間目体育派なんだけど……って、ああなるほど。別にそんな取り上げる疑問でもなかったな、うん。好きなものを先に食べるか食べないかで別れてるってだけか」
「あー、そうだな。俺、好きなものは先派なんだ」
「真逆だ……」
くすっと、決したタイミングを合わせたわけではないが、笑いのタイミングが重なった。
それが可笑しくてまた笑いがこぼれたら、またもやタイミングが重なった。
「合わせるなよ」
「合わせないでよ」
「ちょっと気持ち悪いな」
「そうだね」
正直言って、少々気持ち悪いやり取りだった。直中を可愛い女の子に置換したらそりゃもう僕としちゃヘブン状態、そんなシチュエーションどんと来いという感じなのだが、儚い希望だろう。因みに僕は、アニメで男女のこんな場面を見たら、画面を殴りたくはならないが、泣きたくなるタイプだ。二次創作物には比較的、感情移入するのだ。
「さて……あ、もうほとんと人いないな」
直中の一言に反応して僕も周りを見てみると、その通り人はほとんど更衣室へ向かっていた。ボールの片付けもせずに話し込むのは褒められる行為ではないだろう。
僕は焦って(実際には焦ってなどいないが、その場の表現的には焦るという言葉が適当だろう)体育館を後にしようとしたが、運悪く隅に回収され忘れたボールが一つ落ちているのを見つけてしまった。放っておくわけにもいかないので僕はそれを取りに行く。
「へい」
「ん」
準備室に近いところにいる直中へ送球。一回、二回と床に弾んでからようやく直中に届いた。
それから僕は、ネットを挟んで尋ねた。
「そうだ、直中。僕、お前に訊きたいことがあったんだ」
「なんだ?」
別に今あれを訊いたって問題ないだろう。裏を返せば今訊く必要もないのだが。
「お前って、本当に天才なの?」
刹那の沈黙があった後、直中は苦笑した。
「どうして今、それを訊く?」
「別に、理由なんてないよ」
僕も大概嘘吐きだな、と思う。
こんなタイミングで訊くなんて、絶対に何か含みがあると僕なら勘繰るな。
見計らったようなタイミングではない、突拍子なタイミングだが、逆にそれだからこそ怪しい。見方によってはこういう特別でないタイミングを敢えて狙っている様にも見えるからな。というか今、僕と直中、二人きりだから普通に狙ったように思われてるかな?
「まあ理由なんてどうでもいいんだけど」
直中は拾ったボールを弄りながら言う。
「お前が僕にそんなことを訊いてくるなんて新鮮だな。改めて何か気になったりでもしたのかね。あ、もしかしたら嫌味……いやないか、ないよな。じゃあ言うけど」
「うん。嫌味でもないから言ってくれ」
「天才なのかなぁ、って感じ」
自分でもまだ理解が漠然としているのか、あるいは単純に自分を天才と称するのが気持ち良くなかったのか、濁りのある物言いだった。
「俺さ、呑み込みがすごく早いんだよね」
「呑み込みか」
なるほど、そういう天才もあったか。僕はどうやら一つの先入観に縛られ過ぎていたみたいだ。確かにそりゃ具合によっちゃ天才の部類に入るだろう。しかし天才、孤高の存在に値する呑み込みってことは、相当の早さがないとそうとは呼べない。呑み込みが早い奴らを集めて、頭一つしか飛び出ていないくらいじゃ全然不十分なレベルだ。
ここで僕は懸念する――もしかしたら、こんな感じに頭一つ飛び出ているくらいで天才と呼んでいるわけじゃないだろうな、と。
大いにあり得る。
何せ周りは皆、天才とは酷くかけ離れた凡人なのだから。天才をなかなか正しく評価出来ない人たちなのだから、見当違いの可能性も十分にあり得るのだ。
「にしても俺のことを疑うような目をしてるけど、今までお前疑ったことなかったよな……急にどうしたんだ?」
「あ、いやっ」
不自然だったか、流石に。
「さっきも言った通り理由なんてないんだよ。ただ単に、天才を見たくなっただけさ」
「変な奴……」
「否定しないよ」
「だよね。じゃっ、さっさと見せてやるよ。天才っぽいのを」
そう言うと、直中はボールを床に突き始めた……って。
「お前、バレーで見せてくれるのか?」
「ん? あぁ、そうだよ」
聞いて、僕は驚きのあまり言葉が出てこなかった。
もう一度言うが、直中伊佐六は運動能力が高いわけではない。
それは僕の世界でも、こっちの世界でも同じ――はずだ。
しかし考えてみれば、こっちの直中は秀才ではなく天才だ。これは大きな違いである。
あるいは天才なら、そう思えてしまうのは、そう期待してしまうのは必然かもしれない。
これから裏切られるかもしれないという高揚感に駆られる中、直中はネットから数歩前のところに立った。そして体の少し前方、ネット際にふわりと高くボールを浮かせてから、大股一歩のホップ。両腕を後ろにやって、膝を少しだけ折って力を溜めたところでそれを放出させる、足元にトランポリンでもあるんじゃないかと疑うくらいにスプリングの効いた高い跳躍から、丁度良いところに落ちてきたボールを素人の同行為とは全く比較にならない鋭さで叩く!
次の瞬間、耳を劈くような音と共に目にも留まらぬ速さのシャープな打球が狙ったように僕の足元の真横に弾み、体育館全体に先程の授業では一度も聞かれることがなかった大きさの音が鳴り響いた。
数秒の透明な時間が流れる。
声が出ない。
思考はこれでもかというくらいに回っているのに、残らず納得しているのに、だ。
納得した上で俗っぽく安っぽい、この場に似つかわしくない言葉を漏らすなら、こうだ。
「……おいおいマジかよ」
「マジだよ、七伍」
直中は半ば諦めたような顔をしながら言う。
「俺、いつもスポーツは手ぇ抜いてやってるんだ。さっきも言った通り、呑み込み早すぎてすぐに上手くなっちまうんだ。だから手を抜かないと、スポーツ面でも天才と騒がれて、部活の助っ人とか騒がれ兼ねないしね。体動かすのはあまり好きじゃないんだ。あ、そうだ。俺がこれ隠してるの秘密な、分かってると思うけど。何せ、これが初めての告白だからな」
「分かってるよ」
初めての告白という言葉のチョイス、何とかならないもんかね。
たまげた、たまげた。
天才であるが故の贅沢な悩みだ。アイドルが顔を知られ過ぎて困るのと同じタイプのようで、分からなくもない悩みなのだが。まあその程度はアイドルの方がかなり上だから、直中のは下位版と言おう。
これでもう語尾に疑問符つける必要もない。
直中伊佐六、お前本当に天才だ。
僕の知らない、直中伊佐六だ。




