第九話 お嬢様は○○がほしい
「――やあ、おはようジョゼ」
「おはようございます、オズウィン王太子殿下」
翌朝早く、ジョゼがアレクスにエスコートされながら庭を散策していると、オズウィンが従者を連れて顔を見せた。
「昨晩はゆっくりとお休みいただけたでしょうか」
「うん。ゲストルームにも花が飾られていてね。あれもジョゼが選んだんだろう?」
「まあ、よくおわかりになられましたね」
「やっぱり。おかげでリラックスできて、ぐっすりと眠れたよ」
「それは何よりですわ。花屋にもお伝えしてよろしいでしょうか」
「あはは。ぜひそうしてくれ」
オズウィンは朗らかな笑顔でジョゼの眼前に片手を差し出す。
「ここからは僕にジョゼをエスコートさせてくれないかい?」
アレクスがジョゼの手をきゅっと握ったのは、彼女が瞬きをする、ほんのわずかなタイミングのことだった。
やがてジョゼの手はオズウィンの手に乗せられる。
「これほど光栄な機会をいただいてしまうと、国中から嫉妬されてしまいそうですわね」
ジョゼは自然とオズウィンの歩幅に合わせる。
「当分は『そんな相手はいない』で押し切るつもりだよ」
オズウィンもまた、ジョゼの歩幅に合わせて歩き始めた。その後ろでは、死んだ目をしているアレクスがオズウィンの従者と並んでいる。
「ジョゼに危険が及ばないよう配慮する。それでも身の危険を感じたら……」
オズウィンが後方に目配せし、こう続ける。
「君の有能な執事が守ってくれると僕は信じている」
当たり前だ。アレクスの瞳に一筋の光が帰還した。
アレクスの胸で輝くブローチをちらりと見たあと、オズウィンは視線を前へと戻す。
「昨日来たときも思ったけど、ここの庭も綺麗だね」
「庭師のおかげですわ。じつは、昨夜お話した農園の従業員を引き抜いちゃいましたの」
「そうなの? ジョゼ自ら?」
「はい。人出に困っておりましたから」
「庭師はさぞ驚いただろうね〜」
「うふふ。今では『古巣に負けてたまるか』と、造園技術まで習得してくれています」
「あはは。ジョゼは夫妻の人を見る目をしっかり受け継いでいるんだねえ」
「まあ。いい目をしているでしょうか」
「うん。とってもね」
オズウィンはジョゼと瞳を見合わせた。
うふふ。あはは。二人の爽やかな笑い声が美しい庭に響くたび、アレクスに帰還したはずの光は徐々に遠ざかっていく。
しかし、晩餐会のときとは違い、その視界にはつねにジョゼとオズウィンの姿があった。
「――朝食までおいしい!」
「ご満足いただけているのなら嬉しいですわ」
多忙なオズウィンは朝食後に次の視察予定地へ出立するらしい。
だからだろうか。オズウィンは気分こそよさそうにしているが、時おり名残惜しそうにジョゼへと視線を送っているのは。アレクスは並んで朝食をとる二人の背後に控え、そのようなことを考えていた。
「リンデンバーグ領には助かっているんだ」
オズウィンは、ジョゼと、向かいに座る夫妻、それぞれの目を見ながら言う。
「おかげで王都は食糧難になることがない。生地の生産も広く担ってくれているから、たとえば寒冷地に支給する防寒具にも役立っている」
「ありがたきお言葉でございます。仕事に従事している者たちの励みにもなるに違いありません」
リンデンバーグ伯が頭を下げる。
「お礼を言うのはこちらのほうだ。こんなに豊かな地域があるのは、王室にとって大きな安心材料なんだよ」
「いやあ……私には議会で国王陛下をお助けできるほどの知恵がございませんので、そのように仰っていただけると嬉しゅうございます」
ははは、とリンデンバーグ伯は苦笑した。
オズウィンもまた苦笑しているが、その顔には、貴族院への感情が含まれているように見える。
「おや」
空気を変えるようにオズウィンが言う。
「この根菜、今まで私が口にしてきた中でもとびきり甘くておいしい!」
「肥料を変えたと聞いていますわ」
ジョゼが嬉しそうに答える。
「土いじりに並々ならぬ情熱を抱いている農家がいるのです。うふふ」
「それは頼もしいね。おそらく昨日は会えなかった人物だ。ジョゼ、僕の感想を伝えておいてくれるかい?」
「もちろんですわ」
二人も、そしてリンデンバーグ夫妻もにこにこと朝食を進める。
お似合いの二人だな。アレクスはジョゼと、その頬をたまに嬉しそうに拭うオズウィンの背中を眺めながらつくづく思った。
「――なあ、リンデンバーグ」
朝食もそろそろ終わろうかというころ、オズウィンが一息ついて話を切り出す。
夫妻も、そしてジョゼとアレクスも、自ずと身構える。それほどにオズウィンの口調は真剣だ。
「僕がジョゼを妻にしたいと願ったら、君は困るかい?」
その場に居合わせたオズウィン以外の人間が一斉に硬直した。
しかし、リンデンバーグ伯は、身が固まりつつもオズウィンの言葉を真正面から受け止めている様子だ。
「正直に言ってくれていいよ。僕は今、ジョゼに縁談を持ちかけているほかの貴族と同じ立場と思ってくれていい。――あ、でも、念のために箝口令をお願いするよ」
オズウィン自身が場の空気を和ませた。屋敷の家令は速やかに退室する。
「恐れながら、殿下。本当に正直なことを申し上げてもよろしいのでしょうか」
「もちろん」
「…………」
リンデンバーグ伯はそれでも言葉を選んでいるそぶりを見せた。
「正直に申し上げますと……私はジョゼか、その婿となる人物に家督を譲りたいと考えております。これはジョゼにも伝えていることです」
「うん」
オズウィンは優しく相槌を打つ。
「そのため、先ほどの殿下のご質問に正直にお答えするならば……とても困る、というのが私と妻の意見です」
「あはははは」
心から申し訳なさそうに答えたリンデンバーグ伯に、オズウィンはつい笑ってしまった。
「うん。そう……そうだよねえ〜……」
オズウィンが語尾を弱くしながら眉を掻く。リンデンバーグ伯爵家の事情は、オズウィンもじゅうぶん理解しているようだ。
それからオズウィンは隣に座るジョゼを見た。
その瞳は、「何も問題がないのなら、すぐにでも結婚を申し込むのに」という、オズウィンの切な気持ちがこめられている。王太子のまなざしの意図にジョゼが気づいているかは定かではないが、少なくとも、アレクスはすぐにわかった。
――明白な気まずさを引きずったまま、オズウィンが出立する時刻を迎えた。
せめて屋敷の外までエスコートしたい、というオズウィンたっての希望で、オズウィンはジョゼに手を添えて屋敷を出る。
「今回の視察は本当に得るものが多かった」
オズウィンはリンデンバーグ夫妻に挨拶をする。「何よりでございます」と夫妻は敬意をもってそれに応じた。
「ジョゼ」
「はい」
オズウィンは隣に立つジョゼに向き直る。
「君がほしいものは決まりそうかな?」
「そうですわね……」
急かすつもりはないよ、と付け足したオズウィンに、ジョゼはぎこちなく答える。
「お酒や食べ物は、足りていますわ」
「あはは。そうだね、僕もそう思うよ。宝石やジュエリーは?」
「……なくしてしまう自信がございます」
「ふふっ」
思わずオズウィンが空いているほうの片手で口を覆った。
「ですので……」
「うん」
オズウィンが愛おしそうにジョゼを見つめる。
「……言葉が、ほしいです」
「言葉……」
ジョゼのまっすぐな答えを、オズウィンは反復した。
「それじゃあ、ラブレターを送ってもいい?」
「ラブッ……」
オズウィンのこれまたまっすぐな提案に、ジョゼは大きく動揺した。
「…………」
動揺したまま、ジョゼはオズウィンの碧眼を見つめ返す。
「お恥ずかしながら、私は……そのようなお手紙をいただいたことがございませんので……どのようにすればいいのかわかりません」
「ははは。僕も一度も書いたことがないんだ」
オズウィンは照れくさそうに笑う。
「書いてもいいかな? ジョゼに書きたい」
ジョゼはしばらく困惑したあと、
「……う、受けとり、ます。そのあとどうすればいいのかは……そのときに考えさせてください」
と言った。
「……うん!」
オズウィンがぱあっと晴れやかな笑顔になる。
「偽名を使うことを許してくれる?」
「許すも何も、ぜひそのようになさってくださいませ」
「ありがとう。名は偽っても、言葉に偽りはないからね」
「はい」
まるで無邪気な少年のような、この国が誇る王太子を、アレクスは心から眩しいと思った。
「ジョゼ、また会えることを願ってるよ」
「はい。私も、またお話できることを楽しみにしております」
こうして、ひまわりのように明るいオズウィンは、何度もジョゼのほうを振り返りながら出立していった。
(――言葉)
ジョゼの返答を反復していたのは、何もオズウィンだけではなかった。
アレクスもまた、ジョゼの答えを咀嚼していた。
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