第十話 執事は許可をいただきたい
「――以上が、本日までに届いたお嬢様への縁談でございます」
オズウィンが出立したあと、アレクスはいつものように淡々と縁談候補者の名を読み上げていた。ジョゼは机で頬杖をついている。
「なんだか多いわね……」
「週ごとにまとめておりますが、前週より五名ほど増えています」
「どうしてかしら〜」
「春ですので、殿方たちも浮き足立っているのではないでしょうか」
アレクスは説明になっていない説明を聞かせた。
「お嬢様」
「なあに?」
アレクスは資料を棚に起き、ジョゼの足もとに跪いた。その思いもよらぬ行動に、ジョゼは何事かと驚く。
「……お許しを、いただきたいです」
「まあ……何か悪いことでもしちゃったのかしら〜?」
「これからすることへの許可でございます」
ジョゼは首をかしげた。
アレクスは、真剣な面持ちで跪いたはいいものの、これより先の言葉をなかなか絞りだせずにいる。口を開いたり、閉じかけたり、ぎゅっと結んだり、その口もとだけが忙しない。
アレクスがとにかく緊張していることはジョゼにも伝わったようだ。
「深呼吸したらいいと思うわよ〜」
「……はい。そうさせていただきます……」
すう、はあ、とアレクスは言われるがままに深呼吸した。
あらためてアレクスはジョゼを見上げる。ジョゼは柔和な笑顔を浮かべている。
「許可をいただきたいのです」
「……詳しく聞いてから考えてもいいかしら?」
「もちろんでございます」
アレクスはもう一度深呼吸した。
「私がお嬢様に愛を囁くことの許可をいただけませんか」
アレクスはジョゼの青い瞳を見つめ、しっかりとそう言った。
「…………」
しばしの沈黙のあと、アレクスの言ったことを理解したジョゼは、無意識なのかそうでないのか頬を赤らめていく。
つられてアレクスも耳まで紅潮させた。照れは伝染するのだと、ジョゼはこのとき知った。
「……まず、お父様の許可を得てくれるかしら……?」
ジョゼはか細い声でそう懇願した。
たとえどんなに小さな声だとしても、このアレクスが聞き逃すわけがない。
「このまま少々お待ちいただけますか?」
「え?」
「椅子からお立ちになりませんようお願いいたします」
「え?」
「それから、何も触らないようにお願いいたします」
ジョゼの三度目の「え?」を聞く間も待たずに、アレクスは目にも止まらぬ速度で書斎から姿を消した。
ジョゼが赤面したまま呆けていると、まもなくアレクスが戻ってきた。わずかに息切れしているのはジョゼの気のせいだろうか。
「……こちら……ッ、旦那様直筆の……、書面で、ござい……っます。奥様も、ご署名、なさいました……ッ。ご確認、ください……」
気のせいではなかった。
ジョゼは書面より、アレクスの顔に注目する。
「あら、額が……なんだか痛そうよ」
「ご心配には及びません。『傷はたまに勲章となる』が、私の実家に伝わる家訓のひとつでございます」
「傷なのね?」
「じきに治ります」
それよりこちらを、とアレクスはじんじんと痛む額を隠しながら書面を指し示す。強引なアレクスに押し負け、ジョゼはしぶしぶ書面に目を通す。
「――『公的な場では控えること。領民の前では控えること。身支度および業務、ならびに危機管理のひとつとしての身体接触は認めるが、過度な身体接触は娘の許可を得て行うこと。また、事前または事後に必ず報告すること。程度によっては父または母が忠告する。これらを破った場合、ただちに解雇処分とする』」
ジョゼは端から端まで読み上げた。
「あら〜、家紋の公印まで……」
「そちらは奥様が押印なさいました」
「まあ……」
たしかに父と母、それぞれの署名がある。
「本物の書面だわ〜」
まごうことなきリンデンバーグ伯爵家の公式な文書である。
「ご確認いただけましたか」
「ええ。内容もだいたいわかったわ」
「よかった……」
これにてアレクスの土下座の痕はまごうことなき勲章となった。
そして、アレクスはもう一度、ジョゼの足もとに跪く。
「ジョゼお嬢様」
ジョゼの青い瞳が大きく揺らいだ。頬はあからさまに赤みを帯びている。
「…………」
アレクスは額以外も真っ赤だ。
「私に、お嬢様へ愛を囁く許可をいただけませんか」
「…………っ」
ジョゼは思わず勢いよく顔を背けた。その際、ジョゼの金髪がアレクスの額と鼻先をかすめたのだが、アレクスは嫌がる様子は見せず、むしろ彼の紅潮が増すだけだった。
「…………」
アレクスはジョゼの返答をじっと待っている。
どれだけ時間が過ぎようとも、いつまでも待てる。アレクスはジョゼの金髪を見つめた。
「…………お母様が」
「はい」
ジョゼがじわじわと顔をアレクスへと向け始める。
「…………かっこいい人から」
「はい」
とうとうジョゼの青い瞳がアレクスへと戻った。
「…………愛の言葉をもらうのは」
「はい」
「…………嬉しいものよって、言ってたわ」
アレクスは思考回路を全力で稼働させる。
おそらく【かっこいい人】というのは自分のことだ。うぬぼれでなければ。
そして【愛の言葉】は自分が発する言葉のことだ。これは間違いない。
――ならば、【嬉しい】は、
「…………お許しいただけるのですか?」
またしてもジョゼが首ごと顔をそらした。
しかし、その眩い金髪ははっきりとコクコク頷いている。
アレクスは息をのみ、
「好きです」
まずそう述べた。
「えっ?」
ジョゼがすぐにアレクスへと向き直った。
アレクスは相も変わらず、ただただジョゼを見ている。
「私の母の指輪を、『ちゃんと大事にしなきゃダメよ』と仰ってくださり――」
アレクスの表情がじんわりと緩む。
「――そのあと、恐れ多くも『お嬢様には大事なものはあるのですか?』と私が尋ねたら……」
ジョゼは、ふっと微笑んだ。
「――『ここと、ここのみんなが大事なの!』と笑顔でお答えくださった日から、私は旦那様や奥様、そしてお嬢様に出会えてよかったと心から思うようになりました。それと同時に……」
十年前、ジョゼが母親のために花かんむりを作ろうとした日。うまく作れないまま十個の花かんむりだけが積もった日。ジョゼが指さす草花を摘み、花かんむりを編んだ日。
そして、大事にしたかった母の形見の指輪を、大事にしなきゃダメだと言ってもらえた日。その日は、アレクスがジョゼの大事なものを教えてもらった日でもあった。
「――あの日から、私はあなたをずっと好きでおります」
「……まあ〜。……覚えていてくれたのね」
「忘れるはずがございません」
「十年も前よ」
「たった十年前でございます」
ふふふ、とジョゼが嬉しそうに笑った。
「ねえ、アレクス。私の夢を聞いてくれるかしら」
「はい。ぜひお聞かせください」
なんでも叶えてさしあげたい。アレクスは目を輝かせる。
「私ね、結婚式を挙げるなら、私が選んだお花であなたが作った花かんむりをかぶりたいの」
やや恥じらいつつも、ジョゼは自分の頭を指さしながら言った。
「アレクスがいたからできた夢なのよ」
その無邪気な表情は十年前からちっとも変わっていない。アレクスを救った笑顔そのままだ。
「……私からも申し上げてよろしいでしょうか」
「なあに?」
今度はジョゼが目を輝かせる番だった。
「お嬢様が挙式で身につけられる花かんむりを作るのも、その挙式であなたの隣に立つのも……私の母の指輪でよければ、その指につけてさしあげるのも、私でありたいです」
「…………」
「私は三つも夢ができました」
「…………あら、本当だわ。あなたは三つもあるわね〜」
ジョゼが青い瞳を丸くさせながら指折り数えている。
「でも、あなたのお母様の指輪は、ちゃんと大事にしなきゃダメなのよ」
「はい。ですので、きちんと大事にしようとしております」
「…………」
ジョゼはしばらくアレクスの暗灰色の瞳を見つめたあと、
「…………届いている縁談は、ひとまずお断りしようと思うわ〜」
「かしこまりました」
そこからのアレクスは、迅速に仕事を済ませていく、いつもの執事の顔だった。
テキパキと返信用の封書を用意するその姿を、ジョゼは机に頬杖をついてじっと眺めている。
「――いい? ジョゼ」
十年以上前のある日、ジョゼは母親とともにリビングのソファに座り、教えを受けていた。
「かっこいい人はね、なんでも似合うものよ」
「かっこいいひと……」
幼いジョゼは【かっこいい】の意味をよく理解できずにいた。
「私にとっての、あなたのお父様のことよ」
「お母様にとっての……お父様」
わかるような、わからないような。
「あちらの壁をごらんなさい」
母の手に促され、ジョゼは絵が飾られている壁を見た。
「あちらは我が国のオズウィン王太子殿下のご尊顔よ。お顔よ」
「はい」
「あなたより少し歳上でいらっしゃるわ」
「はい」
「かっこいい?」
「……キレイです!」
「そうね。とても目鼻立ちが整っていらっしゃるわ」
母は娘の率直な反応に笑った。
「あのね、ジョゼ」
「はい」
「お顔がキレイな人と、私が言うかっこいい人は違うの」
「なんだか、むずかしいです……」
「そうねえ」
ジョゼの金髪を母の手が撫でる。
「かっこいい人に愛の言葉をもらうのは、とっても嬉しいものよ」
「愛の……言葉」
「うふふ。あなたもそのうちわかるわ。今はただ、私が教えたことを覚えておいてね」
「はい!」
――あれから今日に至るまで、ジョゼはこの土地でさまざまな人に会ってきた。
純粋な愛だけでは済まないこともあるのだと、ジョゼなりに思うようにもなった。だが、もう少し、済ませられる道を探ってもいいのかもしれない。
「お嬢様」
「あら〜、もう準備ができたの?」
気づいた時にはジョゼの机に封書がこんもりと積まれていた。「はい」とアレクスは頷く。
「あとは蝋封をしていただくだけでございます」
「助かったわ〜。ありがとう、アレクス」
「とんでもございません」
すでにワックスとキャンドル、スプーン、刻印が机上に並んでいる。
「それじゃあ押しちゃうわね〜」
ジョゼはスプーンにワックスを乗せた。
「お嬢様」
「なあに?」
アレクスは、ススス、とキャンドルをジョゼから遠ざける。
「……やはり私が押してもよろしいでしょうか?」
「…………」
ジョゼは手もとの封書|(の上にワックスが少し落ちている)、ワックスを乗せたスプーン|(すでにワックスが少し落ちている)、それからキャンドルを見る。
「……お願いしようかしら」
「はい。それでは失礼いたします」
やはり火傷はさせられない。
アレクスはジョゼの張り切りよりもその身の安全を優先したのだった。
ジョゼもまたアレクスが火傷を心配しているのだと悟り、大人しくスプーンを手渡す。
「…………」
「…………」
「…………アレクス、この手はどうしたのかしら?」
「…………これは危機管理の範囲内でしょうか。業務の範囲内ではない、とは思うのですが」
アレクスは、ジョゼが差し出したスプーンごと、ジョゼの片手を包むように握ったのだった。
「危機管理だと思うのだけれど……だって、私が火傷を負わないように気遣ってくれたのよね?」
「はい。そのつもりでした」
「そのつもりでした?」
「そのつもりだったのですが、お嬢様のお手に触れることができ、私はとても嬉しい気持ちになりました」
「…………」
「あっ」
ジョゼがつい手を引っ込めようとしたため、スプーンに乗せたワックスの粒が散らばる。
「お怪我はございませんか? 口や目に入っていませんか?」
「だ……大丈夫よ〜……」
「よかった……安心いたしました」
ジョゼが姿勢を正したときには、アレクスはすでにスプーンから散らばったワックスの粒をすべて集めきっていた。
「旦那様と奥様にはのちほどご報告いたします」
そう言いつつ無駄のない動きで蝋封を済ませていくアレクス。
「……私からもお父様に伝えようかしら」
「えっ」
――ああ、きっと先ほどの手の接触がお気に障ったのだ!
そうに違いない!
アレクスはさっと青ざめた。
「しばらく……縁談はお断りしたいって」
ジョゼがぽつりとそう言うと、アレクスは手を止めた。
しばらく、縁談は、お断りしたい。ジョゼお嬢様がそう仰った。
アレクスは事実を淡々と整理する。
ジョゼお嬢様ご自身が、しばらく縁談はお断りしたいと、旦那様にお伝えしようとなさっている。
「……お、お供させてくださいませ。いえ、必ず、お供いたします」
「ええ。私が転ばないようについてきてくれないと困っちゃうわ〜」
「もちろんでございます」
この十年で鍛え上げた執事根性がやや曲がりかけていることを自覚しながらも、アレクスはぎこちなく蝋封を再開するのだった。
――まもなく領内は夏を迎えるころ。ひまわりも開花を待っている。
リンデンバーグ伯爵家のジョゼお嬢様の春の訪れは、そろそろ時期が見通せるようになったようだ。
お読みくださりありがとうございます。
こちらをもちまして完結とさせていただきます。
オズウィン視点の番外編も書きたいと思っておりますので、もしよろしければブックマークしていただけると幸いです。
また、気になった点や、○○が見たかった、○○してほしかった、キャラクターへの印象等、ご感想くださいますと今後の参考にさせていただきます。




