第七話 王太子はこのお嬢様と結婚したい
「ええと……」
オズウィンは手を離してくれそうにない。ジョゼは考えあぐねる。
「ああ、ルドリー子爵が贈ったワインのことは忘れていいよ。きちんと自分で飲んだからね」
「えっ?」
ジョゼは、この場でその名前を言ったおぼえはない。とっさに夫妻とアレクスを見たが、三者とも首を小さく横に振った。
「しかし、あの熟成肉は絶品だった。とてもおいしかったなあ。独り占めしてしまったから、明日にでも母上へ送ろうかなあ」
オズウィンがそう言うと、ジョゼは再び三者に視線を送る。だが、やはり三者とも首を小さく横に振るだけだった。
「殿下」
「ん?」
ジョゼが呼ぶと、オズウィンは彼女の手を握る力を少しだけ強めた。
「ルドリー子爵と仲がよろしいのですね。存じ上げませんでしたわ」
「……それはとぼけているフリなのかな?」
「あら……私、演技も下手のようですわね」
「あはは。上達しなくていいと思うよ」
ジョゼの顔に笑みが戻ってくる。オズウィンは変わらずにこやかな表情だ。
ジョゼは観念した様子で口を開く。
「なぜルドリー子爵と偽ってプレゼントしてくださったのですか?」
「んんん?」
オズウィンは唇をきゅっと結んで首をかしげた。しかし次の瞬間にはまた笑顔が戻る。
「あはは。逆だよ。目的と手段が逆だよ」
「はあ」
ジョゼは力なく返すしかなかった。
「ああ、いや、ややこしくしたのは僕の責任か。すまないね」
「私には何がなんだかわかりかねますが、謝らないでくださいませ」
王太子殿下ともあろうお人がそう簡単に謝罪をすべきではない。ジョゼはそう伝えたかったが、うまい言い回しが思いつかなかった。
「――恐れながら、オズウィン王太子殿下」
「なんだい?」
ジョゼとオズウィンの会話に割って入ったのはアレクスだった。
「殿下がルドリー子爵ご本人だとは露知らず、返送した無礼者はこの私、アレクスでございます」
「やっぱり君の仕業かあ〜」
だいたい想像はついてたよ、とオズウィンは笑い飛ばした。
「殿下。家中の者の無礼は当主である私めの責任でございます。返送を許可したのもこの私です」
「おっと……まずは誤解を解かないといけないね」
膝をつくリンデンバーグ夫妻とアレクスに、オズウィンは困惑した様子で頭を搔く。
「リンデンバーグ、僕は君たちを咎めるつもりはないよ。そもそも名と身分を偽って縁談を持ちかけたのはこちらだ。どうか頭と腰を上げてくれ」
「しかし……」
「ワインを贈ったらその何倍も高価な熟成肉がもらえたんだ。むしろ幸運だったよ。あのお肉は先ほどのお肉と同じ牧場のものかい?」
「別の牧場産の肉でございます」
アレクスが答えた。
「そうなのかあ……本当にここの領地は豊かだなあ。今日、この目で見てあらためて思ったよ」
「ひとえに領民のおかげでございます」
リンデンバーグ伯が頭を深くした。
「嫁入りはダメだ、と断られた隣の領主の嫡男の気持ちもなんとなくわかる。断った君たちの気持ちもね」
さあ、そろそろ席に戻ってくれ。オズウィンがそう促し、ようやく夫妻は着席した。
「本題に戻ろっか。ジョゼ、君の評判は各地を視察してまわっている僕の耳にも入ってきたよ」
「……ポンコツ、と……?」
「ぶっははは!」
オズウィンは顔をそらして思いきり笑った。
「違う違う。領民思いで、領地思いのご令嬢だってね」
そうかしら。ジョゼは難しい顔をした。
そうである。アレクスは内心、大きく頷いた。
「だけど結婚相手探しに苦労しているらしい。その理由も、今日、よく思い知ったよ」
「そうですか……」
やはりポンコツだからか、とジョゼは遠くを見つめた。アレクスも別の方角の遠くを見つめている。
「ワインで反応を見てみようと思った僕が愚かだった。……ちなみにルドリー子爵というのは、いわゆる、世を忍ぶ仮の姿だよ」
「まあ」
そういう事情でしたのね、とジョゼは偽名だった理由を悟った。
「あ、箝口令お願いね、念のため」
「ただちに」
オズウィンの要望どおりリンデンバーグ伯が家令に指示すると、家令はコクコクと頷いて退室した。
資料を焼き払ってよかった。アレクスは力強いバツ印をつけた、例の資料の燃えかすに思いを馳せた。
「ジョゼ」
オズウィンがそう呼ぶ声により、アレクスは我に返る。おそらく視界の端のほうではジョゼがオズウィンに見つめられているのだろうが、それを直視する勇気はアレクスにはない。
「君とお見合いするには、僕は何をプレゼントすればいい?」
「ええと……」
ジョゼもまた、視線を一切ぶらさずにオズウィンの碧眼を見つめ返す勇気に欠けていた。
「偽名を使わなければならないほど僕は国中から注目されているらしい。舞踏会でも、まずは母上と踊らなければならないほど、どうやら引く手あまたらしいんだ」
「それは……残念ですが、致し方ないことかと思われますわ……」
何せ品行方正、温厚篤実、文武両道、才色兼備、容姿端麗の王太子殿下だ。オズウィンと噂になりたい女性は数多くいるだろう。
「僕は、僕だけじゃなくて、国のことを見てくれる女性と結ばれたい」
オズウィンが本音をこぼした。
「どこのおうちの誰が何を食べているのか、どこの地域の誰が何に困っているのか、どこの誰が何をしたら喜ぶのか、どこの誰をどうやって助けたらいいのか。そういうことを、僕と一緒に考えてくれる女性を見つけたかったんだ」
「だからお妃探しを?」
「うん」
お妃探しの噂は真実だったらしい。視察もれっきとした公務として行っているのだろうが、オズウィンの旅には、もう一つの理由があったのだ。
「だから、こうしてジョゼに会って、お話するのを楽しみにしてたんだ」
オズウィンが照れくさそうにはにかんだ。ジョゼは思わずオズウィンの手を握り返してしまう。
片手の感触に気づいたオズウィンは、緑がかった青い瞳を潤ませてジョゼを一心に見つめる。
「ジョゼは何かほしいものはある?」
「……プレゼントのお話ですか?」
「なんでもいいよ。僕は全部言っちゃった。あはは」
笑い返すことができなかった。
ジョゼは気まずいのか、恥ずかしいのか、照れているのか、いずれにせよできることならこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
ちらっとアレクスに視線を送る。
すると、ジョゼの視線を感じとったアレクスは、とてもぎこちなく全身をわずかに弾ませた。そして、またぎこちなくジョゼの視線から目を背けるのだった。
(――ん?)
ジョゼがはたと気づく。
おかしい。いつもなら、私が困ったときは、アレクスがすぐに助けてくれる。
(――んん?)
ジョゼは眉をしかめてアレクスを凝視した。
彼は一向に動いてくれる気配がない。
「どうしたの?」
ジョゼの視線を奪ったのはオズウィンだった。
「あ、ええと……申し訳ございません。き、緊張してしまいまして……」
「僕のせいだね」
「いえ、そういうわけではないのです。ただ、こういうことに、不慣れ、でして……」
「あはは。たどたどしくしちゃったね。すまない」
オズウィンの手が離れた。
そのぬくもりが遠ざかったとたん、ジョゼは手が冷えていくのを感じた。
「今じゃなくていいよ。でも、ジョゼがほしいもの、僕に教えてほしいな」
「はい……」
先ほどまで嫌というほど感じていた逃走への欲も、徐々に薄れていく。
ジョゼは今度こそグラスを手にした。
隣でくすっと笑みをこぼす音が聞こえた。どうやらきちんと飲み終わるのを見守ってくれているようだ。
「このようなことを、殿下に申し上げるのも差し出がましいとは存じているのですが……」
「構わないよ。なんでも聞かせて?」
グラスを置いたジョゼは、あらためてオズウィンをまじまじと見る。
「殿下は、国を大事にしてくださっているのですね」
オズウィンがぽかんと口を開けた。やがてその口角が緩む。
「できているかはわからないけど、うん、とっても大事なんだ」
「ふふふ」
「はは」
二人のあいだに温かい笑い声が戻った。
お読みくださりありがとうございます。
もしよろしければブックマークや評価、ご感想をいただけると励みになります。




