第六話 王太子も結婚したい
「おお〜」
客間に入るなり感嘆の声をあげたのはオズウィンだった。
「綺麗な花だね。陽が落ちても、室内でも春だと感じられる」
「あちらに見える、殿下のおそばの花は一丁目の花屋が揃えてくれたものですわ」
ジョゼはオズウィンを席に案内しながら言う。
「その花屋と農園は親族なので、旬の花を頼むにはぴったりなのです。うちの花を殿下にお見せできる、と張り切ってくれました」
「ジョゼが選んでくれたのかい?」
「はい」
「なるほどなあ……」
オズウィンは客間を一通り見渡したあと、ぷっと一笑したあとジョゼの前に片手を差し出した。
「花を選ぶのは得意なのに、ドレスを踏まないよう歩くのは苦手なんだね。さあジョゼ、お手を」
「あら〜、お見通しでしたのね。ここばかりは遠慮したくともできませんが、よろしいのでしょうか」
「今の僕の手はそのためにあるんだよ。ついでに隣に座ってくれると嬉しいな」
「まあ、光栄です」
オズウィンのスマートなエスコートを受けるジョゼを、リンデンバーグ夫妻はにこやかに眺めている。数十歩後ろで虚ろな目をしているのはむろんアレクスだ。
「まさかあのブローチを使用人にプレゼントするご令嬢がいるとは思わなかったよ」
着席するなり、オズウィンは声をひそめてジョゼに話しかけた。
「まあ、そうなのですか?」
「うん。そのうえ二つもだ」
オズウィンが壁際に控えているアレクスを一瞥した。
「あら、お気づきだったのですね」
「僕は工芸品も好きでね」
「では殿下も宝石商から何かお買い物を?」
オズウィンはジョゼを見つめ、一拍の間を置く。
「僕が宝石やジュエリーを買ったらね、すぐ噂になるんだ。ははは」
「うふふ。でしたらあの宝石商からお買い物するのはおすすめできかねますわね」
「だよねえ。品揃えはよかったけど、何も買わなくて正解だった」
「口の堅い方をお探しください」
「いるといいなあ〜。ははは。贈る相手がいないのは本当だけどね〜」
「そちらも見つかると国民としては嬉しいですわ〜」
「そんなことを言うのは従者と君くらいのものだよ〜。あはははは」
「うふふふふ」
楽しそう。アレクスはすぐ後ろにある壁に全力でもたれかかりたい気持ちでいっぱいだった。
「――おお〜」
乾杯を終え、食事が始まると、オズウィンは新しい料理を口にするたびに舌を唸らせた。
「このお肉、おいしい!」
直球な感想である。
「こちらのお肉は去年の品評会で一位だった牧場から仕入れたものですわ」
そしてジョゼが毎回説明を入れるのが、この短時間でもはや定番になっていた。
「今年の一位を、とも考えたのですが、品評会はまだ先に開催されますから――と、そちらの牧場主には期待を込めて申し上げました」
「ジョゼはプレッシャーをかけるのも上手だね〜」
「まあ、お褒めに預かり光栄ですわ。生まれて初めて言われました」
「あはは。僕も生まれて初めてだよ、こんな褒め言葉を言っちゃったのは」
「うふふ。素直にいただいてよろしかったのかしら」
「心の底から言ってるよ。もちろん、いい意味でね」
「ありがとうございます」
ジョゼの楽しそうな声をエネルギーに、アレクスは【執事】とラベリングされた歯車とネジで業務に徹している。
「執事くん、君は主人に恵まれてるね〜」
「はい。自慢のお嬢様です」
――なぜ、今、私に、声をかけるのだ!
オズウィンから急に声をかけられ、危うくアレクスのネジがいくつか外れるところだった。
ジョゼとオズウィンのグラスを満たすアレクスは、短い返答を残して足早にリンデンバーグ夫妻の席へと向かった。
「――どうして執事にもプレゼントを?」
アレクスが離れたことを確認し、オズウィンは話題を変えた。
「殿下が驚かれるほど珍しいことなのですね」
「そうだねえ。ほかのご令嬢は……使い古した装飾品をメイドに下賜すると聞いたことがあるよ」
「そうなのですね」
「あとは、忠誠を尽くしてくれる使用人への褒美にも」
「あら、でしたら珍しくはございませんわね」
「そうだねえ……そうかもね」
オズウィンは興味津々といった瞳でジョゼを見つめている。
「でも、頬っぺにソースをつけるご令嬢は珍しいなあ。失礼」
「あ」
しまった、とジョゼが後悔するより先に、オズウィンのナプキンがジョゼの頬を拭った。ふふふ、と小さく笑いながらオズウィンが尋ねる。
「君にとってはよくあることなの?」
「お恥ずかしながら……とってもよくあることなのです。大変失礼いたしました」
いつもならばアレクスが颯爽と駆けつけて拭ってくれる場面である。
普段と違う相手に、ジョゼは気まずそうに視線を泳がせる。
「気にしなくていいんだよ。君は……どう言えばいいのかわからないんだけど……とても楽しいね」
「楽しい、ですか」
「そう表現するのが一番近いと言えばいいのかな。実際に会ってみるとこんなにマイペースなのに、領内で聞く評判は少し違う」
マイペース。それも生まれて初めて言われた言葉だとジョゼはぼんやり記憶を掘り起こす。
「あ、いや、そんなに違わないかな」
その隣でオズウィンもまた直近の記憶を思い返していたらしい。
「牧場主の息子夫婦のためにウエディングブーケを作るご令嬢は、どこからどう見てもマイペースだ。僕が見てきた相手の中ではとびきりね」
「あら、お会いになられたのですか?」
「会ったよ〜。ブーケはドライフラワーにするんだって聞いた。とっても幸せそうだったなあ」
「まあ〜。それを聞けて私も嬉しいですわ」
「僕の結婚式でもお願いしようかな〜」
「あら、そうしたことは口の堅い方に、堅い場でお頼みするほうがよろしいと思いますけれど〜」
「念のため箝口令をお願いしておくよ〜」
「必ず父にお伝えいたしますわ〜」
「その前にジョゼに相談したいことがあるんだ〜」
「あら〜、私に知られても構わない範囲の内容でお願いいたしますわ〜」
「僕は誰と結婚すればいいと思う?」
「ブフッ」
ジョゼは飲みかけのワインを喉に詰まらせた。
「おっと。失礼」
いち早く動いたのはオズウィンだった。またもやナプキンでジョゼの口もとを拭い、咳きこむジョゼの背中を優しく叩く。
このときばかりはリンデンバーグ夫妻も慌てた様子だったが、オズウィンは夫妻に笑顔で返した。
「驚かせちゃったかな。大丈夫?」
「とんだ無礼を重ねてしまい……申し訳ございません……」
「いやいや、謝るのはこちらのほうだ。すまなかったね」
ジョゼが落ち着いたのを確認し、オズウィンはジョゼから手を離した。
「……ええと……恐れながら、殿下。相談相手を間違えていらっしゃるのではないでしょうか……」
「んん? そう?」
「父か……もしくは母にご相談なさったほうがよろしいかと」
ジョゼは両親の席を示す。
夫妻の後ろでアレクスがひたすら虚空を眺めていることは、オズウィンと視線を合わせているジョゼには見えていない。
「でも、君は数々の縁談を断ってきたそうじゃないか」
「そちらにつきましては理由がございまして……」
「どんな理由? 知りたいな」
ええと、とジョゼは思案する。
相手に借金がある――殿下といえどその耳に入れてよい情報かはわかりかねる。言えない。
相手に女性関係の問題があった――これは相手の家に悪影響だろう。言えない。
相手の領地が経営難――これも勝手に口にしてよい情報ではない。言えない。
相手に女性関係のトラブルがある――以下省略、言えない。
となれば、だ。
「お相手から……成熟状態があまりよいとは言えないワインをプレゼントとして贈られたのです」
「ぶはッ」
今度はオズウィンが盛大に吹き出す番だった。
「はははははっ」
「……とても親切にしていただいたとは思うのですけれど……」
「親切……かあ。あははっ」
執事が勝手に断ったとはさすがのジョゼも言えなかった。
「ちなみに相手のお名前は?」
「お教えできかねます」
「そうだろうねえ!」
――教えてやりたい。アレクスは虚ろな目になりながらもそう思った。
「そのワインはお気に召さなかった?」
「……家中の者から異論の声が挙がりましたの」
ギリギリ嘘ではない。
「なるほど」
オズウィンの鋭い碧眼と、アレクスの虚ろな目が一瞬交わった。
「たしかに、領内に留めておきたいお嬢様だろうね」
「あら、それは……悪い意味でしょうか……」
ジョゼの笑顔がわずかに曇る。
「ああ、言い方を間違えたかな。すまない」
「とんでもございません。殿下の率直なご意見をお聞きできる機会ですもの」
「そう?」
晩餐会も落ち着き、オズウィンはリラックスした様子で頬杖をつく。
ジョゼも多少肩の力が抜けたのか、グラスを手にしようとした。
「あ、ごめんね、今は何も飲まないでくれないかな」
念のためね、と続けてオズウィンはグラスへと伸びていたジョゼの手を片手で攫う。「はい?」とジョゼが聞き返す間もなく、
「君を口説くためには、僕は何をプレゼントすればいい?」
「…………」
一瞬にして場の空気が固まった。
「あ、箝口令、お願いね。念のため」
――念のためが多すぎる!
ジョゼもリンデンバーグ夫妻も使用人もオズウィンの従者も、そしてアレクスもそう思った。
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