第三話 執事は大事にしたい
――かつて、まだ少年だったアレクスは、祖国の手から逃れるためにひっそりとこの王国へ亡命した。
公爵だったアレクスの父は皇帝一派に処刑され、母は毒によって暗殺された。どうにか逃がした家臣もいたが、みな殺されたか、いずれにせよ行方知らずのままである。
――貴金属を持てるだけ持って逃げなさい。それが毒で苦しむ母から受けた最期の教えだった。
祖国にアレクスの味方はいない。しかし、王国がすんなりとアレクスを受け入れてくれるわけもなかった。
(だから母は私に貴金属を持たせたのか)
そう理解したのは、国境の検閲で、賄賂がわりに宝石を差し出したときだった。当時、十二歳だった。
それから三年後。このリンデンバーグ伯爵領を訪れるまで、十五歳のアレクスは薄汚れた日雇いの仕事と、実家から持ち出した貴金属を売ることで食い扶持をしのいできた。
「行くところがないのかい? ちょうど使用人を探していたところだったんだ。よければうちで働いてみなさい」
そう言ってアレクスに救いの手を差しのべたのは、恰幅のいい朗らかな紳士――リンデンバーグ伯爵その人だった。
「ほほ〜! 剣術の心得があるのかい。ちょうどよかった。ジョゼの護衛もかねて執事になってくれるかい?」
リンデンバーグ伯は当時十歳になるジョゼをアレクスに紹介した。
「剣術……? 私もやってみたいわ〜!」
ジョゼは青い瞳を輝かせてアレクスに詰め寄った。
「い、いえ、お……お嬢様には危ないです」
「やってみなくちゃわからないわよ〜!」
その後、ジョゼは危うく自分で自分に致命傷を負わせるところだった。
「ほほ〜! 乗馬ができるのかい。ちょうどよかった。ジョゼに乗馬を教えてあげてくれるかい?」
リンデンバーグ伯が次にアレクスのもとへ連れてきたのはポニーだった。
「乗馬? やってみたいわ〜!」
この馬は比較的大人しい品種だ。そう見抜いたアレクスは油断しきっていた。
「おおおおお嬢様!」
「……落とされちゃったのかしら〜……」
何が起こったのかまるでわからないといった表情を浮かべているジョゼを、アレクスはすんでのところで受けとめた。
刃物が危険なのはまだわかる。
だがポニーも、このお嬢様にとっては危険なのか?
誰も乗せることなくパカパカ歩いているポニーの足音を背に、アレクスは自分の常識を疑い始めた。
(旦那様に怒られる……!)
アレクスはそう覚悟したが、リンデンバーグ伯は「アレクスが見ていてくれてよかったなあ〜」と寛大に笑い飛ばした。しかしながらジョゼが刃物を持つことには禁止令が下された。
ついでに乗馬も当分のあいだは禁止となった。
(……今は笑って許してくださっていても、いつか処罰として形見を奪われるかもしれない)
紐を結んで首にぶらさげている母の結婚指輪。これがアレクスに残った、唯一の形見だ。
アレクスは指輪をぎゅっと握った。
だが、アレクスが予想した処罰は一向に実現する気配がなかった。
「――あのね! 今日はお母様のために花かんむりを作りたいの」
屋敷の広々とした庭に座りこみ、幼いジョゼはクローバーを摘んでいる。
アレクスも同じように、ただしジョゼと違い、姿勢よく座った。
「こうやってね〜、作るって……メイドに……」
「…………」
「……教えて……もらった……はずなのよ?」
ジョゼは涙目になりながらガタガタの花かんむり(のようなもの)をアレクスに見せる。
「作れない〜〜〜〜〜〜!」
とうとう泣きだした。
「お、お、お嬢様。落ち着いてください」
「だっでぇ〜! ガタガタ〜〜〜!」
「作り方は合っています!」
「でもガタガタなの〜〜〜!」
このときのアレクスは、ジョゼがとてつもなく不器用であることをまだ完全に理解してはいなかった。――剣を握らせてしまった日にはうっすら勘づいてはいたのだが。
「も、もう一度作ってみましょう!」
アレクスはぎこちない笑顔を浮かべながらジョゼをなだめたのだった。
「……もう十個目だわ……」
途方に暮れるジョゼの膝には、ガタガタの花かんむり(のようなもの)が十個、積み上げられていた。
これでは庭から緑が消えてしまうのではないか。アレクスは本気でそう思った。
「で、では、こうしましょう、お嬢様」
「……なあに?」
「お嬢様が摘みたいクローバーを選んでください」
「選ぶの?」
「はい。そして私がそれを摘んで、花かんむりをお作りします」
「……私が作りたいの!」
「えっと……そ、そう、お嬢様が選んだクローバーで作られた花かんむりです。つまりお嬢様が作った花かんむりです!」
無理がある。
それはアレクスも内心わかっていた。
「……ほんと?」
「はい。お嬢様が作ったことになります!」
やはり無理がある。
しかし、ジョゼはぱあっと笑顔になった。
「じゃあ、これ〜!」
「はい」
ジョゼが指さしたクローバーを、アレクスがぷちっと摘む。
「次はこれ!」
「かしこまりました」
敬語にはまだ慣れない。
それでも、アレクスは楽しそうにクローバーを選ぶジョゼのために全力を尽くした。
「まあ〜! とってもキレイね〜!」
ジョゼが作った(ことにした)花かんむりを見て、ジョゼはうっとりと両頬に手を当てる。
「ありがとう、アレクス!」
「ど……どういたしまして……」
しまった、主人にお礼を言われたときの返答がわからない。
戸惑うアレクスをよそに、ジョゼは角度を変え高さを変え、花かんむりをまじまじと眺めては満足そうにはにかんでいる。
(かわいいな)
これが、アレクスが初めてジョゼのことを可愛いと思った瞬間だった。
「あら〜?」
花かんむりを手にし、それを眺めていたはずのジョゼの青い瞳が、気づいたときにはアレクスの首もとを見ていた。
「それ、指輪かしら〜?」
「あ……」
――取られる。アレクスはとっさに首もとを手で隠した。
「すみませ……も、申し訳ございません、お嬢様」
「あら〜、どうして謝るの?」
「これは……その……」
ジョゼはきょとんとしている。
「ぼ、僕……私の、母親のもので……っ」
――隠しても無駄だ。こっちに寄越せ。抵抗するな。
この三年間、嫌というほど聞いてきた言葉だ。アレクスは無意識のうちに身を震わせていた。
「アレクスの……お母様の……」
ジョゼは顎に指を当てる。
「まあ〜。じゃあ、ちゃんと大事にしなきゃダメよ〜!」
「……え?」
「そうだわ! お父様がね、私に金庫をくださったの。でも使っていないの。あなたにあげるわ〜」
「え?」
「とってもキレイな指輪だったもの〜。アレクスのお母様、とってもステキなんでしょうね〜!」
にこにこと笑う少女からは、あの欲に目が眩んだ、アレクスがすっかり聞き慣れてしまった言葉たちは出てこない。
「――あら?」
ジョゼの声色が暗くなる。ハッと我に返ったアレクスは、ジョゼの視線の先を追った。
「せっかく……アレクスと作ったのに……」
ジョゼが手にしていた花かんむりは、いつのまにそうなってしまったのだろう、ぴょこぴょこと茎や葉があらぬ方向に飛びだしていた。
「も、も、もう一度作りましょう!」
「でも……せっかく一緒に作ったのよ……?」
「で、では、それは私にください」
「アレクスに……?」
「はい。頭に乗せてください、さあ」
アレクスは前かがみになり、どうぞここにお乗せください、と促す。
ジョゼがぐすぐすと小さく鼻をすする音が聴こえる。やがてアレクスの頭上に、柔らかな輪っかがかぶさった。
「……似合いますか?」
おずおずとアレクスが尋ねる。
「……かっこいい人はなんでも似合うのよって、お母様が言ってたもの」
頬まで赤くし、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、必死に涙をこらえるジョゼ。
(あ、好きだ)
そしてアレクスは心を射抜かれたのだった。
ジョゼを包むように青々と茂る緑が、まるで母の指輪のエメラルドのように見えた。
「……お嬢様がお作りになった花かんむり、すべて私にくれませんか」
アレクスはジョゼの膝もとに散らばる、ジョゼお手製の花かんむり(のようなもの)を十個、すべて丁重にすくい上げる。
「……ガタガタよ……?」
「ガタガタでも、私にとっては、宝物になりました」
この日ジョゼが必死に自分の手で編んでいった花かんむり(のようなもの)は、十年経った今もなお、リースや押し花へと姿を変えてアレクスの寝台のそばに飾られている。
お読みくださりありがとうございます。
アレクスの過去回でした。
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