第二話 執事はお嬢様と王太子を会わせたくない
「――王太子殿下がお妃探し?」
ジョゼがそう聞き返したのは、レストランでの食事中、頬についたステーキのソースをアレクスによって拭ってもらう最中のことだった。
ジョゼの昼食に同席しているレストランオーナーは、野太い声をひそひそと細める。
「ええ。なんでも、各地の視察をかねて王太子妃候補をお探し中だとか」
アレクスの耳がぴくりと動いた。本日二度目だ。
「オズウィン王太子殿下はたしかに各領地を巡られているけれど……あの王太子殿下でしょう?」
あのオズウィン王太子殿下。
王国が誇る、文武両道、才色兼備で容姿端麗な優男である。
(わざわざ容姿を二度褒める必要があるのか?)
アレクスは舌打ちしたい欲に駆られた。ぐっとこらえた。
――勉学に秀で、王立アカデミーは首席で卒業。
ピアノにヴァイオリンにダンスに絵画、さらには剣術乗馬射撃、とにかくなんでもござれと聞く。
国内でもっぱら評判の【結婚したい男性ナンバーワン】の座を不動のものにしている人物だ。
そしてアレクスにとっては【お嬢様と会ってほしくない男性ナンバーワン】でもある。
「王太子殿下は今年、二十三歳になられるでしょう」
オーナーの目は完全に色恋話を楽しむ野次馬のそれだ。
「ご兄弟もいらっしゃらないですし、国王陛下や王妃殿下にせっつかれてるんですよ、きっと」
「……殿下にはあちこちから縁談が持ち上がっているのではなくって?」
我が国の王太子殿下は品行方正、温厚篤実な殿方である。
王都から離れているこのリンデンバーグ領ですらそのような噂で持ちきりなのだ。「不思議ね〜」と呟くジョゼの頬には、またしてもソースがついていた。
「恐れながら、お嬢様」
「なあに? アレクス」
「オズウィン王太子殿下には、貴族院で発言力の強い家からこぞって縁談が届いているそうです」
「あら〜、そうなの?」
「はい。貴族同士が水面下で火花を散らしながら王太子殿下を取りあっているのですよ」
「なんだか羨ましいわね〜……」
ガハハ、とオーナーが笑ったのは、相変わらず執事に頬を拭われているジョゼの姿ではない。「羨ましいわね〜」という、貴族の泥沼の権力争いへの感想としては相応しくない言葉に笑ったのである。
我らがリンデンバーグ伯爵家のお嬢様は縁談がまとまらない。そうした噂も今や領地全土に広がっている。
「もうすぐ王太子殿下がここに来るんでしょう?」
オーナーがジョゼに尋ねた。
チッ。アレクスはとうとう心の中で舌打ちした。
「そうよ〜。でもこのお肉ならきっとご満足いただけるわ。作物も、例年どおり品質がいいもの!」
「お嬢様のお墨付きなら心配はいりませんなあ」
「もちろんよ! あなたたちは存分に成果を自慢してちょうだい」
ジョゼの堂々とした笑顔を見て、オーナーもまた笑うのだった。
「王太子殿下が我らのお嬢様を気に入ってくださると、領民としては鼻が高いんですがなあ!」
「あら〜、私が王太子妃に〜?」
「ありえん話でもないでしょう」
「どうかしら〜。でも、お父様たちはお喜びになるかもしれないわね〜」
「そのときは王宮からうちの肉を注文してくださいね!」
「ありったけ注文しちゃおうかしら〜!」
うふふ、ガハハ、と楽しげな笑い声が響きあうレストランで唯一、アレクスの心は死んでいた。
――品行方正、温厚篤実、文武両道、才色兼備、容姿端麗。おまけに次期国王の優男。
ジョゼはまだ一度も会ったことがないものの、アレクスがこれまで目にしてきたオズウィン王太子殿下の肖像画はいずれも美男子の姿が描かれていた。
王室からリンデンバーグ伯爵家に下賜された肖像画も例に漏れず美男子がそこにいる。
お嬢様にお見せしたくありません、とアレクスがわざわざ言わずとも、ジョゼは「肖像画? 私も前に描いてもらったことがあるわ〜」と王太子殿下の肖像画を遠目に見たあと、画用紙にクレヨンで「こんな感じの肖像画よ!」と自画像(のようなもの)を描いていた。
ちなみにジョゼ作の自画像(のようなもの)は許可を得てアレクスの枕元に飾られている。
(温厚篤実かはともかく、品行方正、文武両道、才色兼備、容姿端麗なら私も負けていないのになあ……)
アレクスは自意識過剰である。
とはいえ、少なくとも、アレクスが故郷にいたころはそうした褒め言葉を何度も何度も何度も何度も聞かされてきたのは事実だ。
派閥争いに揉まれ、皇帝一派によって家が取り潰しになるまでは。
(やはり身分と権力……私に必要なのは身分と権力なのか……?)
寄り道がてら市場を見てまわりたいわ、と言ったジョゼをスマートに、そして完璧にエスコートしながら、アレクスは悶々と考えている。
「まあ、宝石商が来ているのね〜」
「お隣のご領地からいらしたようですね」
「よくわかるわね?」
「旗にご領地の紋章がございます」
「まあ、本当だわ」
さすがアレクスね〜、とジョゼは隣のアレクスを見上げる。
すぐに笑顔で応じるアレクスは「亡命中に色々見知ったものですから」とは答えられなかった。自分の出自を知ってもらうことよりも、ジョゼの楽しそうな表情のほうが大事なのである。
「あれは正規の紋章ですから、ご領主の認可を得ている宝石商でしょう。寄られますか?」
「せっかくだから見てみたいわ! もうすぐお誕生日のメイドがいるもの〜」
「きっと喜びます」
ワゴンに並べられた品々は、どれも質のよい宝石やジュエリーばかりだ。さすがは領主から認可を得た宝石商。
アレクスは先ほどまで抱えていた悶々とした感情をすっかり忘れ、ジョゼとともに商品へと夢中になる。
――このイヤリングはお嬢様にぴったりだ。このバレッタもお似合いだ。ネックレスもブローチも、ここにあるすべてがお嬢様のために仕上げられたと言っても過言ではない。
アレクスはジュエリーに用いられている素材の質の高さと職人の技術に唸らざるを得なかった。
「あら、ねえ見てアレクス。この宝石、あなたの宝物と似ているわね〜」
ジョゼが指さしたのは、透き通ったエメラルドだった。
「覚えていてくださったのですか」
アレクスは驚いたような、しかし嬉しそうな表情を浮かべる。
「忘れるわけないじゃない!」
当然でしょうとでも言わんばかりにジョゼは笑った。
「ちゃんと大事にしてるわよね?」
「はい。お嬢様のご命令どおりに」
「……あれは命令だったかしら……?」
「ふふ。はい。『ちゃんと大事にしなきゃダメよ』というご命令でした」
「命令かしらねぇ……?」
納得いかないという顔をしながらも、ジョゼはワゴンのエメラルドを眺めるのだった。
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