第一話 お嬢様はそろそろ結婚したい
「お嬢様」
「なあに?」
アレクスは縁談候補者が名を連ねる資料を書斎の棚に起き、ジョゼの足もとに跪いた。その思いもよらぬ行動に、ジョゼは何事かと驚く。
「……お許しを、いただきたいです」
ジョゼは首をかしげた。
アレクスは、真剣な面持ちで跪いたはいいものの、これより先の言葉をなかなか絞りだせずにいる。
アレクスがとにかく緊張していることはジョゼにも伝わったようだ。
「深呼吸したらいいと思うわよ〜」
「……はい。そうさせていただきます……」
すう、はあ、とアレクスは言われるがままに深呼吸した。
あらためてアレクスはジョゼを見上げる。ジョゼは柔和な笑顔を浮かべている。
アレクスはもう一度深呼吸した。
「私がお嬢様に愛を囁くことの許可をいただけませんか」
アレクスはジョゼの青い瞳を見つめ、しっかりとそう言った。
「――そうねぇ〜……この淡いピンクのチューリップを五本……長さはこのくらいかしら?」
「はい」
長い金色の髪を揺らす女性の愛らしい声のあと、爽やかな男性の声とともに、チョキチョキとハサミで茎を切る音が早朝の庭に響く。
「オレンジもとってもステキな色ね! 二本ほしいわ」
「かしこまりました」
「ピンクのスイートピーも加えてちょうだい。このくらいのボリュームを出したいの!」
「はい。長さはこの程度でよろしいですか? ジョゼお嬢様」
「ええ、とってもいいわ〜。さすがよアレクス」
アレクスと呼ばれた黒髪の男性は「ジョゼお嬢様の審美眼の賜物です」と本心から言った。ジョゼはそれをアレクスの謙遜と解釈し、青い瞳を瞬かせながら「そんなことないわ」とさらに謙遜した。
最後に白のフリージアも足したい、とジョゼが希望したとおり、アレクスはニコニコと花を揃えていった。
幸せな朝だなあ。アレクスはその暗灰色の瞳でジョゼの満足そうな表情を見つめながら思った。
屋敷の庭に構えられたテーブルには切りそろえられた花と色とりどりのリボン、それから一枚の紙が並べられている。「キレイね〜」とジョゼは瞳を輝かせながら一本の花に手を伸ばそうとした。
「ジョゼお嬢様」
「なにかしら?」
「恐れながら……」
アレクスは笑顔を見せつつも、少しだけ困ったように申し出る。
「お嬢様が直接お作りになると、ガタガタもガタガタなブーケになってしまいます」
「……お花を間近で見てみたかっただけなの……」
「これもまた恐れながら、お嬢様がお持ちになると茎が折れてしまう危険がございます」
「……そうだったわ〜……」
自分の不器用さに身に覚えがありすぎるジョゼは花に伸ばしかけた手を戻し、大人しくガーデンチェアに腰を下ろした。
アレクスは「ふふ」と小さく笑い、今しがたジョゼが手にしようとしていた花をそっと持ち上げる。
「どうぞご覧ください」
そしてしゅんとしているジョゼの目の前に差し出した。
「近くで見ると、やはりとても美しいですね」
「ええ。あのお店を選んでよかったわ〜」
アレクスは笑顔で花を元の位置に戻した。
「ブーケのデザイン案ですが……」
そしてアレクスの視線はテーブルの上にある一枚の絵へと向く。画用紙には、まだ言葉もおぼつかないような幼児が花(のようなもの)を描いた形跡がある。
「ええ。このレイアウトよ!」
ばーん、とジョゼは自信満々に画用紙を両手で掲げた。
なんとこの花(のようなもの)はジョゼ作らしい。たしかにテーブルに並べられた花と同じ色のクレヨンが使われている。
アレクスは「かしこまりました」と満面の笑顔で頷いた。
「ご夫婦は幼なじみでしたね」
アレクスはそう言いながら、ジョゼ作のデザイン案を正確に解読し、案どおりに花を束にしていく。
「そうなの〜。去年、牛肉の品評会で最優秀賞を差し上げた牧場があるでしょう?」
「はい。たしか牧場主にはお若いご子息がおられますね」
「古くから働いている従業員に一人娘がいるのは覚えているかしら?」
「もちろんでございます。なるほど、合点がいきました」
ジョゼはくるくるとリボンを巻きとっている。その仕草を愛らしく思いながらも、アレクスはまたしても困ったような笑みを浮かべた。
「お嬢様」
「なあに?」
「そちらのリボン、ブーケ用としては少々長すぎかと思われます」
「あら……本当だわ……」
ジョゼの手もとにはリボンがこんもりと山を形作っていた。「お貸しください」とアレクスの骨ばった長い指がリボンを拾う。
「――ともあれ、お嬢様にブーケを作っていただくご夫婦は幸せですね」
リボンを巻き戻しながらアレクスが言った。
「私も、とっても幸せよ〜。あの二人の門出をお手伝いできるんですもの!」
ジョゼの明るい髪の色が朝日に照らされ、まるで後光のようにジョゼの存在感を引き立てている。いつ見ても美しい。髪も、瞳も、感情をあらわにした頬や唇も、何もかも。
思わず触れたくなる気持ちをぐっとこらえ、アレクスはテキパキとブーケを完成させた。
「……私の春はいつ来るのかしらね〜……」
ジョゼの青い瞳がやや陰り、遠くを見つめた。アレクスは「お嬢様にも、今年の領内のように穏やかな春が訪れますよ」と慰めているのかそうでないのかわかりづらいことを言い、ジョゼが見定めたリボンを丁寧に結んだ。
――ジョゼお嬢様を幸せにする春は十年前からここにおります、と、このときのアレクスは口が裂けても言えなかった。
なぜなら、アレクスはジョゼに仕える執事なのだ。
そしてこのあとアレクスは、ジョゼに縁談候補の相手について説明しなければならない。
アレクスは後ろに流れるよう自らセットした黒髪をさらに自らぐしゃぐしゃにしてやりたい衝動に駆られる。しかし、ジョゼへの気持ちと同じように、再びぐっとこらえるのだった。
――正午前の書斎にて、アレクスが数枚の資料を読み上げる。
「――バンス男爵家の二番目のご子息ですが、借金がございます。不適格です。次、ルード子爵家のご嫡男ですが、同時に四名の女性との関係がございます。不適格です」
「同時に四名……すごいわね〜」
「お嬢様」
ジョゼは「いったいどのような時間割りで女性とお会いしているのかしら〜」と書斎の机に頬杖をついて空想に耽っている。その瞳には顔も知らない男女が幸せそうにデートをしている光景が映っているに違いない。
「同時に複数の相手と恋愛関係を持つのは褒められたことではございません。少なくともこの国では」
アレクスは笑顔を崩さずそう言った。
「そのくらいわかっているわ。王室でさえ一夫一婦制だものね〜」
「でしたらルード男爵家のご嫡男についてはお忘れください」
「忘れるも何も、まだお見合い前よ〜?」
「はい。そしてたった今、縁談は白紙になりました」
ニッコリ!
そう笑みを強め、アレクスは手元の資料に視線を戻した。
「次、グレン侯爵家の三番目のご子息は……ご領地の経営難による資金援助が目的でしょう。不適格です」
「え? え? ちょっと待って、アレクス」
「はい」
何かございましたか、とアレクスは口角を上げたまま尋ねた。
「……グレン侯爵家の領地がお困りなのよね?」
ジョゼは顎に指を当て、眉間にシワを寄せる。
「左様でございます」
「あちらは寒冷地だったわよね〜」
「はい。この緑豊かなリンデンバーグ伯爵家と違い、冬季が長く、山岳地帯は年間を通して積雪しています」
「たしか昨年はうちに食糧支援をお求めだったはずよね?」
「はい。それに加え、旦那様は領内で生産した毛布も無償でご支援なさいました」
「…………」
ジョゼは真顔でアレクスを見た。
彼のすっきりとした目鼻筋はただただジョゼにだけ向けられている。
その脳内で「お嬢様の本日の装いも麗しいなあ。毎朝思うが、お髪を梳く時間はやはり至福のひとときだ。明日はリボンを使ってセットさせていただこうかな」などと考えているとはジョゼは知るはずもない。
「私、あちらの領民が心配だわ。その縁談、うちに婿入りしていただければいいのではなくって?」
アレクスの耳がぴくりと動いた。しかしながら顔は笑みを絶やしてはいない。
「お言葉ですが、お嬢様」
「なあに?」
「お相手には現在恋人がいらっしゃいます。恋人はご懐妊なさっており、ご婚約も間近であるとの情報も掴んでおります。現在の恋人との交際期間はわずか三ヶ月。元恋人と破局直後に交際が開始したとのことです。そのまた前の元恋人とはご子息の浮気が発端ですぐに破局されたという証拠と証言もこちらにございます。そしてすでに隠し子がお二人おられます――つまり、女性関係にだらしがない御方ということです」
途中から早口になってしまった。
本当はこんな資料、すぐさま破り捨ててしまいたい。
しかしジョゼの前ではそうもできず、アレクスは資料を優しく叩く。
「よって、お嬢様のご結婚相手としては甚だ不適格です」
「…………」
「不適格です」
念を押した。
「あちらのご領地……お助けしたい気持ちはあるのだけれど……」
「物資支援だけでじゅうぶんかと」
二十歳を迎え、本格的に結婚を視野に入れているジョゼも、さすがに妊娠している恋人や子どもたちを捨てて婿入りしてくれとは言えないのだろう。というより言ってほしくない。
アレクスは次の縁談相手候補の説明に移る。
「次、ルドリー子爵ですが、ジョゼお嬢様へのプレゼントとしてワインも一緒にお送りいただいたのですが――」
「あらまあ〜! 親切な方ね〜」
「――熟成期間と生産地から想定される品質、そして価格を鑑みた結果、誠に勝手ながら縁談ごとお断りしておきました」
「ちょっと何を言っているのかしらあなた?」
「旦那様のご承諾も得ましたので、未開栓のまま丁寧にお包みしたうえで返送しております。それから返礼として最高級の熟成肉も一緒にお贈りいたしました」
「とっても嫌味なことをしてしまった気がするのは私だけかしら?」
「はい。気のせいでございます」
ジョゼは深い溜め息とともに机に突っ伏した。彼女の金髪もだらりと垂れる。
「私……いつになったら結婚できるのかしら〜〜〜」
すべての名前に力強いバツ印がつけられている資料を閉じ、アレクスは「必ず結婚できますよ」と満面の笑みでジョゼを慰めた。
「本日は街のレストランでご昼食をお召しになるご予定でしたね。馬車の準備もできていますので、そろそろお出かけになられては?」
「そうするわ……」
「お召し物の裾にお気をつけください」
「もう、そんなことわかって――」
――いるわよ、とジョゼの言葉は続くはずだった。
しかしそれは椅子から立ち上がる際、ものの見事にスカートの裾を踏んだジョゼ自身によって遮られた。
「……こういうところも縁談がまとまらない原因なのかしら……」
床に横転する寸前、いやそれよりも少し前、すでに資料を投げ捨てていたアレクスの腕によって抱きとめられたジョゼは自嘲まじりにそう言った。
「お嬢様には私がついております。ご不安を感じる理由はひとつもございません」
「そういう問題かしら」
「そういう問題でございます。お怪我はございませんか?」
「大丈夫よ〜……いつも助かっているわ。ありがとう、アレクス」
「もったいないお言葉です。このまま馬車までエスコートさせていただきます」
はたしてジョゼ以外に自邸の廊下を毎日執事にエスコートされている令嬢がいるのだろうか。
見送りの言葉をかけてくれる使用人たちひとりひとりに挨拶をしながら、ジョゼは自分を情けなく思った。ただアレクスがエスコートしたいだけなのだとは一切気づかずに。
「あら、そういえばさっきの資料はどうしたの?」
「書斎の棚に片付けておきました」
もちろん嘘である。
「気がつかなかったわ〜」
「お嬢様が椅子から立ち上がられると同時でしたので」
アレクスは書斎の床へ投げ捨てた資料をジョゼに見つからないよう処分しなければ、と予定を立てつつ、「失礼いたします」と一礼してジョゼに続いて馬車に乗りこんだ。
「いいお天気ね〜」
「はい、本当に」
――資料はあとで裏庭で焼却でもするか。
焼き払い日和だなあ、と思いながら、ジョゼと乗る二人用の馬車の窮屈さを堪能するアレクスだった。
お読みくださりありがとうございます。
冒頭、少し改稿いたしました。
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