34. エリカのデート
一生忘れられない。
アタシ、エリカ・ハイデルベアにとって、それは前の婚約者のことだった。
婚約者の質の悪さでいえば、アタシだってデイジーに負けない。
フィービーとデキてたって聞いたとき、辺境女子でいちばんショックを受けていたのは私だ。
最悪で最低で、嫌な意味で、忘れることができない。
辺境女子三人が浮足立っている。みんなが先に大人になったみたいで、ちょっと寂しい。でも、アタシは慎重にことを進めるつもりだ。前の婚約者で痛い目にあった。同じ轍は踏まない。
そもそも、恋はもうこりごりかもしれない。人を好きになって、頭がボーッとして、勉強も読書も研究もちっとも身が入らない。アタシの長所ときたら頭脳明晰なところなのに、その頭が働かないのでは、アタシの価値がなくなってしまう。
デイジーはいいのよ、だってあんなワシを呼べるんだもの。アレクは一途だし、ふたりは熱々だし、もう安心。
リコリスはあの悩殺ボディを解禁したけど、カラムはあの子のアホでおもろいところを好きでいてくれてるみたいだから大丈夫。
ペティーとポールは最強の脳筋カップル。見てるとこっちが恥ずかしくなるぐらい、お互いに夢中っぽい。
アタシは、みんなみたいに我を忘れて恋に落ちるのはもう怖いよ。好きな人のことばっかり考えて、彼が言ったことや仕草を何度も反芻して、なんでもないことを曲解したり考えすぎたり裏を読みまくったり。もう、疲れる。
それで、浮気されたら、沼の底のもっと奥底にどこまでも落ちていくんだよ。なんもいいことないじゃん。
でも姉さんが、「まあそう固いこと言わずに試してみなさい」って言うからさ。でも、外でデートする気にはなれないから、同じ部屋でダラダラ過ごしてる。
チラッと見ると、ソファーでくつろいでいるニコラスと目が合った。
「また見てた?」
「ああ、ごめん。つい。他に見るものがなくって」
まったく悪びれず、ニコニコしてる。調子が狂うなあ。もう。
「本でも読めば」
「今は本を読んでも頭に入ってこないからやめとく。絵でも描こうかな。エリカは僕を気にせず、好きに本に没頭して」
「そうする」
行儀が悪いけど、カウチに寝ころんで、ブランケットにくるまって、クッションをたくさん置いて本を読む。ニコラスは気配がうるさくないので、読書の邪魔にならないのはいい。
かたくなで、愛想のないアタシに、ニコラスはただつきあってくれる。変な人だ。
「今日はギター弾いてもいいかな?」
「激しくなければ」
「読書の邪魔にならないようにするよ」
ポロンポロンとギターを弾くニコラスは、女の子なら誰でも好きになっちゃいそうな美青年。なんでこんな人がアタシと。他にいくらでもいるでしょうに。
「今日はピアノを弾きたいから、音楽室で過ごさない?」
「うん、いいよ」
ピアノの腕も達人級なニコラス。端正な顔でピアノを弾く姿はとても絵になる。絵描きが喜んで筆を取るだろう。一曲弾き終わったところで、思い出したことを聞いてみる。
「そういえば、犬子爵の家族にまつわる記録って結局なんだったんだっけ」
アタシたちは手いっぱいだったから、王子たちに丸投げしたんだった。
「ああ、あれか。フンデン子爵家の当主は婿養子なんだけど、妻に薬を盛って寝た切りにさせ、愛人との子どもに跡を継がそうとしていたようだ。それのゴタゴタで、夜警の管理がおろそかになっていた」
「なるほどー。よく分かったね」
「家系図が脅しの材料に使われるのは、血筋に何か問題があるだろうなと。僕たち王子だから、血筋問題には敏感なんだ」
「そっか、そうだよね」
「フンデン子爵当主、愛人、その息子は軟禁中。妻の回復を待って離縁、正しい血筋の子どもに家督を継がせることになるんじゃないかな」
説明がとても分かりやすい。頭がいいんだわ、この人。頭と顔がいい人にめっぽう弱い自覚があるので、困ってしまう。また好きになっちゃったらどうしよう。それでまた浮気されたら? ボロボロになって、立ち直れないかもしれない。何も考えられない日々が戻ってきてしまうかも。そんなの苦しすぎるよ。
アタシの苦悩を知ってるのか知らないのかどうなのか分からないんだけど、ニコラスはアタシに何を求めるでもなく、ただ一緒にいてくれる。音楽を奏でて、絵を描いて、たまに本を読んでる。
「なに描いてるの?」
「なにって、そりゃあエリカだよ。それ以外なくない?」
「え、そうなの。見せて」
「いいけど、気を悪くしないでくれ給えよ」
渋々渡してくれたスケッチブック。最初の絵はブランケットにくるまって寝ているアタシ。本が床に落ちちゃってる。え、寝てたっけ? 次はうつ伏せでだらしなく寝ころぶ姿。リンゴをかじったり、クッキーをつまんだり、鼻と口の間に鉛筆をはさんだり、行儀悪いアタシの絵もいっぱい。
「うわー、ひどいねアタシ」
「エリカが部屋の中でどんな格好してようが、エリカの自由だと思う。本を読んでいるときのエリカは、本の世界に没入しているから、素の姿が出るんじゃないかな。素のエリカを見られて嬉しかった」
「そうですか」
なんとまあ。心の広い人だろうか。外にデートに行くでなし、愛嬌をふりまくこともなく、自分勝手に振る舞う女と、ただ一緒にいてくれたんだ。
「お外デート、行ってみたいな」
「本屋に買い物に行く?」
「うーん、舞台観劇はどう?」
元婚約者がピンク髪と行ってたらしい。ムカつく思い出を塗り替えたい。
「チケット手配しておく」
できる王子ニコラスがつつがなくチケットを取ってくれて、久しぶりにちゃんとドレスを着ておでかけだ。屋敷でふたりだらけているときは、簡単なシャツを着ていたニコラス。今日は王子オーラが出まくりのタキシード。どう見ても、どこから見ても、完璧な理想の王子様だ。まいっちゃうなー、もうもうもう。
動揺しまくりだったけれど、いざ舞台が始まったら何もかも忘れて夢中になった。舞台ってこんなにおもしろいんだ。美女にひとめぼれした貴族が、あの手この手で彼女を口説こうとする喜劇。歌とダンスは素晴らしく、貴族とライバル男のかけあいはすごく笑えた。無事に貴族と美女が結婚したときは立ち上がって拍手してしまった。
ずっと夢見心地で、馬車の中でニコラスにあの場面がよかった、あの歌が震えた、あのドレスかわいいって感想を言いまくった。ニコラスは楽しそうに聞いてくれて、ああ優しい人だなって改めて思った。
翌日、まだフワフワしたままで起きたんだけど、朝食の時に姉さんから衝撃の裏話を聞かされちゃった。
そわそわしながら、ニコラスが離れから来るのを待つ。優雅な足取りでやってきたニコラスは、いつもと違ってアタシが屋敷の外で待っているもんだから、驚いたみたい。
「エリカ、なにかあった?」
「うん、聞きたいことがあって。あのさ、昨日の舞台、ニコラスが劇団に頼んで上演内容変えてくれたんだって?」
ニコラスの顔が固まる。
「元々は高級娼婦と貴族の悲恋を描いた劇を上演してたんでしょう。それを、アタシのためにハッピーエンドの喜劇にしてくれたって。すごいお金払ってくれたって。ありがとう」
「その話、誰から」
「姉から聞いたよ。不倫、浮気、悲恋、死に別れなんかはアタシに見せたくないって奔走してくれたって。気を使ってくれて嬉しい」
「それは、エリカにだけは知られたくなかった」
ニコラスの顔が赤くなったり青くなったりしてる。
「どうして? アタシは知れてよかったけど」
「小細工してるみたいでかっこ悪い。エリカが前の恋に傷ついて、僕との婚約に前向きになれないのは知ってたから。不倫とか浮気の舞台見て、エリカがもっと僕から距離を置いたらと不安で。余裕のある懐の深い男でいたかったのに」
ニコラスの声がだんだん小さくなる。うろたえているニコラスを見たら、胸がしめつけられた。こんなに気にしてくれてたんだ。アタシの負担にならないように、気を使いまくってくれてたんだ。アタシってバカだ。ニコラスは、あの浮気男とは全然違うのに。ずっとアタシの気持ちを尊重してくれてたのに。
「ニコラス、ニコラス、ニコラス」
「な、なに」
「バカバカ。アタシはバカ。ニコラス、ニコラス、ニコラス」
勇気を出して、ニコラスに抱きつく。
「アタシ、もう怖がらない。ニコラスをちゃんと好きになる。ていうか、もう好き。ごめんね」
「いいんだ、エリカ。ゆっくりでいいんだ」
「ありがと。キスは、もうちょっと先でもいい? まだ恥ずかしい」
「もちろんだ。そんなの速さ競争じゃないんだから。エリカの気持ちが自然とそうなるまで、僕たちは僕たちのペースで仲良くなろう」
「うん。これからよろしく」
「末永くいつまでもよろしくお願いしたい」
「うん」
ニコラスが好きだ。やっと分かった。
傷つくことになったとしても、この人を好きになるのをもう恐れたりしない。




