32. リコリスのデート
抱きしめられ、やさしく頭を撫でられるということはこんなにも幸せなことなのか。
うち、リコリス・ケルニーは新しくできた婚約者――カラムの腕のなかでそう思った。
温かい気持ちが胸いっぱいに広がり、心が優しさで満たされると、ふいにデイジーと出会った頃のことを思い出すのだった。
王都に呼ばれたときは驚いた。
ルーク王子の婚約者が辺境領地の令嬢デイジーさんに決まった後、デイジーさんを支える仲間が必要だろうってことで、辺境令嬢が召喚されたんだって。
王家、安直だな。まあ、いいんだけどさ。
デイジーさんはもう既に王都に入ってて、王子妃教育を受けてるらしく、なる早で来てって。そんな無茶な。でも、旅費や滞在費、準備にかかるお金なんかも王家が持ってくれるってんで、そういうことなら行ってみっかと、おっかなびっくり王都に来たわけ。
辺境女子が三人そろって、王宮でデイジーさんに会う時はすごく緊張した。まずね、王宮ってめちゃデカいんよ。当たり前なんだけどさ、でもさ果てしなく広くてさ、歩くの疲れちゃう。建物の中でも馬に乗って移動したいって心底思ったよね。
何がビビるって、壁紙から家具、絵や調度品までめちゃ豪華なんだよね。お金がうなってるって感じ。慎ましやかな辺境育ちだと目がチカチカしちゃって、気おくれしまくりなんだ。うっかり壊しちゃったらどうしよう。弁償できないぞって思うと、身がすくむ。
それとね、王宮って侍女とか官吏とか色んな人がいるんだけど、みんなシュッとしてんの。都会的で洗練されてて立ち居振る舞いもなんかこなれてんよね。こちとら、壺とか落として壊さないようにガッチガチで歩いてんのに、すいすいすいーって。なんなん、この差は。これが田舎と都会の違いかーって刮目しちゃうよね。
辺境女子三人、こわばった顔で部屋に入ったら、もうデイジーさんいたの。
デイジーさんの表情を見たら、めちゃくちゃピキーンってなってて、あ、この人も緊張してんじゃんって分かった。それで、うちらはすぐに意気投合した。都会で怯える田舎娘四人。心が通じ合った。
なにかあったらすぐ四人で集まって、愚痴を言い合って、慰め合って、四人で支え合ってきたんだー。
王都に来て、一番困ったのは、肌荒れ。水なのか食べ物なのか、なんでか分からないけど、吹き出物がいっぱい。額と鼻の頭とあご。
「こんな顔じゃ外に出れない」
居候させてもらってる親戚の屋敷で引きこもってたら、みんなが来てくれたんだよね。
「リコちゃん、どした」
「何があったか言ってみんさい」
「あ、分かった。ニキビ気にしてんでしょう」
「もう、見ないでよー」
クッションを投げて、頭からスカーフを巻いて目だけ出す。三人がスカーフごとうちをギュッと抱きしめてくれた。
「リコちゃん、ちょっと待ってて。屋敷からいいものとってくる」
「あたしも、行ってくる」
「すぐ戻ってくるからね」
三人は本当にあっという間に戻ってきた。
「これ領地でとれる塩なんだけどさ。湯船に入れて一時間ぐらいつかってて。汗がいっぱい出て肌がきれいになるよ」
「これ領地で生えてる毒出し草。乾燥させて持って来てたんだ。お湯を注いでたっぷり飲めば、ニキビ治るよ。でも、ゲロまずだけどね。がんばって飲んでね」
「これ領地で作った新製品。ニキビに塗るクリーム。朝と夜寝る前にうすーく塗ってみて」
感極まってボロボロ泣いてたら、またみんなが抱きしめてくれる。
「治ったら外で遊ぼうね」
「ゆっくり治しなよ」
「塗りすぎちゃダメだよ。用法用量をちゃんと守るように」
「ありがとー、みんな大好き」
スカーフの中から叫ぶ。
お風呂に入って、おえってなりそうな毒出し茶を飲んで、クリームを塗ったら、数日でニキビが消えた。すごい。すごすぎる。
こうやって、悩みを相談できて、助けてくれる友達がいたおかげで、王都での生活は楽しかった。たとえ誰からもお茶会に誘われなくても、四人でいたら平気だった。王家が主催する大きなパーティーで、知らない令嬢からヒソヒソされても、なんとか耐えられた。
「あ、見て。はぶっこよ」
そう聞こえたことがあった。はぶっこって、はぶられっこってことー? あんまりだ。ひどすぎる。耳がいいデイジーとペティーは気づいただろうか。エリカはまず聞こえていないだろう。三人の表情をじっと見たけど、傷ついた様子はない。ざわざわしてるから、聞こえなかったみたい。
なんでも言える仲だけど、これは言えない。デイジーはちゃんとした王子妃にならなきゃってプレッシャーに毎日さらされてて、これ以上負担かけたらぽっきり心が折れちゃいそうじゃん。ペティーは傷ついてそれを領地の姉に手紙書くかもしれないでしょう。そしたら姉が討伐軍を率いて王都に攻め込んでくるかもしれないよね。めっちゃあり得るじゃん。エリカはひょうひょうとしてるけど、意外と打たれ弱いからさ。図書室から出てこなくなっちゃうかもしんないし。
これは、うちの胸の中にだけしまっておこう。モヤモヤは、ペティーにもらった毒出し茶と一緒に飲み込んだ。
そしたら後日、あれがファブフォーだって分かって、めちゃくちゃウケた。なんだなんだ、うちら、はぶられっこじゃなかったんだー、よかったーってね。
デイジーとアレクのおかげで夜会は大成功。大団円。すげーもん見たってあの場にいた貴族たちとの一体感がすごかった。もう、一生デイジーとアレクについていくってみんなで言いあったんよ。
かっこよかったなー。ふたりとも背が高くてスラッとしてて、足が超長いんよね。ダンスのステップが大きくて優雅なんだ。一歩で随分遠くまで行っちゃえる感じ。ホールを完全に制覇してた。
特に双頭のワシを呼ぶダンスは、圧巻だった。普通のワルツが優雅なお散歩だとしたら、ワシダンスは競走馬の全力疾走。速さが段違い。ステップもターンも速すぎて、見てるだけで目が回りそう。
双頭のワシを呼ぶダンスのあと、しばらく休憩してからふたりはまたホールに戻ってきてさ。あらゆるダンスをめちゃ素敵に踊るんだよね。キレッキレ。ふたりが進むと、伝説の聖人の海割りみたいに、ささーっとみんなが避けるの。だって邪魔したくないじゃない。
精悍で男らしくて戦闘馬みたいなアレクに比べたら、ルークがなよなよのヒヨッコみたいに見えた。デイジーとアレク、本当にお似合い。ダンスの息もピッタリ。
ふたりを夢中で見てたら、隣から咳払いが聞こえてきた。あ、やば。新しい婚約者のこと放置してた。
「えーっと、カラムさん?」
「ぜひカラムと呼び捨てしてください」
「あ、はい。では、カラム。わたくしのことはリコリスと。リコでもリスでもいいですよ」
平気な様子で言ってはみたものの、胸がドッキドキする。やばい、超かっこいい。イケメンだ。どうしよう。何を話せばいいんだろう。
チラッと見上げると、カラムは真っ赤な顔をして上を向いてる。
「大丈夫?」
「いえ、お気になさらず」
なんなんだ。なんなの?
「はっ、ごめん。リコリスのお姉さんに言われたんだった。リコリスが不安になるから、思ったことは全部言えって。気をつけて見ないようにしてたが、つい見てしまった。ごめん」
カラムの視線が一瞬だけ胸元に落ちて、また天井を見ている。
「ああ」
なるほど。そうだった。今日は胸元が開いたドレスを着たんだった。
過保護な姉が急に変わったのだ。辺境姉兄会とやらがあったらしい。そこで思うところがあったんだって。うちを守るために、お堅い服装をさせたり、黒ダサメガネかけさせたりしてたけど、それは間違いだったかもって急に謝ってきた。びっくりした。魅力を全開で出して、それでアホな男に引っかかって傷ついたとしても、リコリスのことを信じて解き放って、もしも泣いて帰ってきたら抱きしめて話を聞いてあげればよかったのよね、だって。
だから今日は大胆なドレスを着た。色んな人からの視線を感じた。元婚約者はあごが外れそうなくらいポカーンとしてた。今まではもっさりしてたもんね。だましたみたいでちょっと気が引けるけど。いや、そんなことはないな。うちのこと、ろくすっぽ見てくれてなかったもん。ちゃんと見てくれてたら、メガネの奥の目がけっこうイケてること、分かったんじゃね。風が吹いて目にゴミが入って、メガネ外したこと何度かあったじゃん。
一緒に乗馬したときはさ、割と体の線が出る乗馬服着てたじゃん。うちに興味がなかったんでしょ。胸バーンって出した途端に食いついてくるような男、いらね。
この人はどうだろう。最初からうちがいい体って分かってたら、どんな態度になるんだろう。
「ダメだ、お許しを」
カラムが上着を抜いて、うちに着させて、前ボタンをきっちりとめた。
「ダサくなってごめん。でも、どうしても目がいってしまうから」
イケメンが、汗をダラダラかいている。なんか、かわいい。
「これだと暑いから、バルコニーに行かない?」
「ああ、いいね。そうしよう」
風に吹かれながらカラムの様子を観察する。なんだろ、バルコニーの手すりに頭ぶつけてぶつぶつ言ってる。
「オレのバカやろう。今日は大事な日なのに。超ダセー。しっかりしろ」
わー、自分でダメ出ししてる。おもしろい。小声だけど、うちは耳がいいので全部聞こえる。
「かわいすぎる。どうしたらいいんだ。やばい。顔が最高な上に、あんな胸で腰がすげー細い。反則だろ。平常心だ、しっかりしろ、オレ」
やだー、そっかー、かわいいと思ってくれてるんだ。よかったー。ピンク髪みたいな誰からみてもかわいいって感じの顔じゃないんだ。家族と辺境女子はかわいいって言ってくれるけどさ。一般受けする顔じゃないからさ。三白眼だしさ、ちょっと前歯が長いしさ、リスっぽいっていうかさ。なんか色々惜しい感じなんだもん。そっかー、かわいいかー。えー、どうしよう。嬉しいかも。
「ごめん、かっこ悪いところ見せてしまった。もう落ち着いた」
「きゃっ、やだ、大丈夫?」
「え?」
「額から血が出てる。ちょっと待って」
額から血を流すイケメン。大惨事だ。ハンカチで額をおさえてあげる。しばらくすると、血が止まったみたい。
カラムは見るからにへこんでいる。
「ごめん。かっこいい婚約者だってところを見せたかったのに。オレ、超ダメダメだね」
「ううん、平気。最初から素が見れた方が安心する」
「本当? あのさ、次回に埋め合わせさせてくれないかな。今度こそイケてる王子らしくエスコートするから」
「うん。楽しみにしてる。デート、どうしよっか」
「乗馬はどう? リコリス、馬が好きなんだよね?」
「うん、乗馬デート、いいね」
ドジっ子カラムは、乗馬はとても上手だった。しかも、馬の扱いがすごく慣れてる。馬を走らせて、休憩するときは真っ先に馬に水とにんじんをあげてる。
「なんだよ、蹄が気持ち悪いのか? 見せてみろよ」
馬の肢を上げさせ、蹄の裏に詰まった土や草を鉄爪で掻きだしてる。
「王子なのに蹄の裏掘りするんだ」
「ん? 馬の手入れは自分でやるよ。その方が馬も信頼してくれるだろ。こんな重い男を乗せてもらってんだからさ、悪いじゃん」
イケメンで馬の手入れができる王子。最高か。どうしよう、好きになっちゃいそう。もうちょっと時間をかけて、よく知ってから好きになりたいなって思ってたのに。惚れっぽすぎやしませんか。
赤くなった頬を両手でおさえる。
カラムが馬の体をタオルで拭きながら、またつぶやいてる。
「かわいいよなー。なんであんなかわいいんだろ。あの両手で頬を支えるポーズ、反則だよなあ。なあ、お前どう思う」
「馬に言わずに、直接言ってほしい、かなー、なんて」
「うわっ、聞こえてた? やってしまった。ああー」
馬の首に額をぶつけているカラムの腕をそっと引っ張る。
「本当にかわいいって思う?」
カラムがこっちを向いて何度も頷く。
「かわいい。こんなにかわいい子、見たことない」
「それは大げさ」
「盛ってない。正直な気持ち」
「よかった。嬉しい、ありがと」
カラムにもう一歩近づく。カラムの胸に頬を当てる。カラムの胸の音が聞こえる。すごく速い。
「あの、自制心が決壊しそうなんだけど」
「いいんじゃない」
「マジか」
カラムを見上げる。目が合う。カラムの両手で顔を包まれた。大きな手、温かい。
最初は慎重に、それから情熱的にキスされた。
「やばい。ずっとキスしてたい」
「いいと思う」
「じゃあ、遠慮なく」
馬がそろそろ帰りたいって催促するまで、ずっとキスしてた。
リコリス・ケルニー十七歳。人生最高のデートだった。




