28. アレクがデイジーの愛を得るためにした幾多のこと①
ザルツシュタイン王国とアドラーベルグ王国の間には海と湿地帯がある。
良質の塩が取れるザルツシュタイン王国は、各国に塩を輸出している。陸路は馬車、海路は船。王子であろうと、いや王子であるからこそ塩の商売については知っておくべきという父の考えもあり、幼い頃から機会があれば船旅に出ていた。
無事に商売を見届け、間もなく故郷というところで急な嵐に見舞われた。幾人もが海に投げ出された。俺もその内のひとり。泳ぎは叩き込まれていたから、なんとかなると思っていたが甘かった。荒れ狂う波は容赦なく俺を海中に引きずり込む。意識を失いかけたとき、誰かに水面まで引っ張り上げられた。
「ガハッ」
海水を吐き出し、息を吸う。
「大丈夫、大丈夫だから。力を抜いて」
耳元で聞こえる声にホッとして、しがみつこうとしてしまった。
「ダメ。しがみつかれるとふたりとも溺れ死ぬ。力を抜いて。できる? できないなら、気絶させる」
後ろから首を絞められる。息苦しくなり暴れたくなったが、必死でこらえる。体から無理やり力を抜いた。
「あ、できた。初めてやったけど、気絶させられるもんなんだなあ」
本当は意識があるけど、言わない方がいい気がして黙っていた。
「ひどい嵐だったなあ。鳥たちが大騒ぎしてるから海に来てみてよかったよ。おわっぷ」
波がかかる。脇に腕が差し込まれ、海面に浮かび上がった。
「父さまたちがきっと助けてくれる。それまで待とう。がんばろう。浮いてるだけでいいんだ。浮いてよう」
俺に話しかけてるんじゃない。自分を鼓舞するための言葉だ。女の子が俺の体の下で仰向けになり、俺のあごを手で支えてくれる。気道を確保してくれているんだ。
俺は浮いたまま、彼女のひとりごとをずっと聞いていた。
「今日はビックリしたなー。王宮から手紙が届いたんだもん。まさかわたしが王子さまの婚約者になるなんてね。なんでだろ。会ったこともないのに。王子さまってどんな人だろう。かっこいいといいなー。ハヤブサみたいにシュンッて獲物を捕まえる人だといいな。ハヤブサかっこいいよねー」
ハヤブサは確かにかっこいい。そうか。ハヤブサみたいな男がいいのか。
「お母さまはね、わたしのことアオサギちゃんって呼ぶの。アオサギみたいにボケーッと水を見てるからだって。失礼しちゃう」
アオサギ。アオサギは好きな鳥だ。凛としている素敵な鳥。
「王子さま、わたしのこと好きになってくれるかなあ。そうだ、わたしが一番はらたつ童話がね、人魚のお姫さまなんだけどね。あれさー、もう読んでてイライラしちゃう。だってさ、王子さまを助けたのは人魚姫じゃん。なのにさ、王子さまはそんなことも知らないで、他の女と結婚するんだよ。許せないよね」
ああ、許せない。俺だったら絶対に君のことを忘れたりしない。
「わたしが人魚姫だったらさー、王子さまの腕とかに名前書いちゃうな。あなたを助けたのはわたしです、人魚姫ですって」
斬新でとてもいい考えだ。俺の腕に君の名前を書いてくれないか。貝殻で彫ってくれたらいい。
そう声をかけようとしたとき、遠くから叫び声が聞こえた。
「おおーい、おおーい」
「あ、父さまかな。とーさまー、こーこー」
「いたぞー、あそこだー」
「気をつけろ、船で頭をぶつけるんじゃないぞ」
「誰か、岸に連絡しろ」
「おお、花火を上げる」
俺は彼女と離されてしまった。彼女は父親に助けられたとたん、気を失ったようだ。そして、俺も。情けねえ。
目が覚めたときにはもう、自国だった。彼女の名を聞くことも、彼女に名を告げることも、できなかった。
父に懇願して、彼女に婚約を申し込むことを許してもらえた。
「アドラーベルグ王国のデイジー・リュベナー辺境伯令嬢は、同国のルーク第一王子と婚約している。お前の申し込みが受け入れられることはないだろう。それでも行くか」
「行きます」
「では、行ってこい」
覚悟していた通り、婚約は丁寧に断られたし、デイジーはいなかった。もう王都に行ってしまった後だったのだ。それでも、諦めるつもりはなかった。
「機会を待つことをお許しいただけますか」
「まあ、そこまでおっしゃるなら。はい」
デイジーの父は困った顔をしていたが、俺が待つことを許してくれた。
何かと理由を見つけては、リュベナー領まで出向き、デイジーの家族や領民と親交を深めた。
デイジーの兄マイルズとは友人になった。
「お前、マジで諦め悪いな」
「絶対に諦めない」
諦められるわけがない。海で溺れているところを助けてくれた人魚姫だぞ。王子である俺が迎えに行かなくてどうする。せめて、お礼を言わせてほしい。
「つーかさー、デイジーの顔も見たことないのに、よくそこまで想い続けられるな。思い出が美化されてるんじゃねえの」
「リュベナー領主一族の顔を見たから、デイジーの顔もなんとなく想像できる。問題ない」
「ヤベー王子様だぜ」
「ヤベー王子様といえばだ。ヤツの評判、あまりよくないぞ」
「は? どういうことだ」
「こう見えても俺は王子だ。他国の王族と親交がある。ボンクラ、アホの子、髪も頭の中もフワッフワ、国をよくする覚悟なし、人任せ、丸投げ、だそうだ」
「なんだと」
「おまけに、デイジーのことをないがしろにしているらしい」
「なんだと、あいつ」
「待てマイルズ。ヤツをやるのは俺だ」
「わかってる。でも、オレにも一発殴らせろ」
「自国の王子を殴っていいのか」
「バレなきゃいんじゃね」
荒ぶるマイルズを抑えつつ、情報収集を続けていると、当のデイジーから領地宛てに手紙が来た。婚約破棄される予定だと。なんだそれ。
運よくその場に居合わせた俺は、デイジーの父に聞いた。
「デイジーの新しい男、俺でいいですよね」
「ああ。最初からそうしておくべきだった。デイジーを頼む」
「この日が来るのをずっと待っていました。行ってきます」
すぐにマイルズ率いる精鋭部隊と王都に向かう。
部下のひとりを父の元に送り、報告だけはさせる。
さすがに無断で隣国の王都に行くのはマズイ。
王都までは舟で行く。運河が通じているのだ。交代で休みなく舟を漕ぐ。もちろん俺も。そんなところで特別扱いされたくないし、もう誰も俺をお客様扱いしない。遠慮なくこき使ってくれる。それが嬉しかった。
ヘロヘロのどろどろで屋敷に着いた。
「アレク、お前は湯あみして着替えてこい」
「助かる」
ずっと恋焦がれてきたデイジーに会う俺を、マイルズは気遣ってくれる。
手早く体を洗い、新しいシャツとズボンを身に着ける。
心臓の音がうるさい。俺は、どんな顔をしてデイジーに会えばいいのだろう。
庭に出ると、たき火を囲んで男たちが盛り上がっている。
たき火の向こうに女性が立っている。紺色のワンピースを着たほっそりとしたその人は、川辺で静かに水を見つめる鳥のように静謐。
「俺のアオサギ」
柔らかそうな長い髪に包まれた白い顔。意志の強そうな瞳。
ふっくらとした唇は「花束はもらったことない」と悔しそうに歪む。
男たちが気を利かせて俺に花束を持ってくる役目をくれた。ありがてえ。
庭師のじいさんがさりげなくついてきて、温室に案内してくれる。
「あいつらから話は聞いた。頼む。お嬢を頼みます」
「任せてくれ。絶対にデイジーを幸せにする」
じいさんと男と男の握手を交わし、色とりどりのデイジーの花をまとめる。
一歩ずつ、近づく。世界から音が消える。俺と彼女だけ。俺のデイジー。
花束を渡すとき、指先が軽く触れた。雷に打たれたように、全身がしびれる。
ほんの少し言葉を交わす。あのときより少し低くなった、でもあのときと変わらず優しい声。涙がにじんだ濡れた瞳。恥ずかしそうな微笑み。
胸がいっぱいになった。たき火の向こう側から、彼女だけを見続けた。
少しずつ、デイジーと会話ができるようになった。マイルズがうまく機会を作ってくれる。
デイジーが新しい男に望む10のことを聞くことができたのは僥倖だった。必ず条件をクリアしてみせる。




