20. 追い詰める
夕闇の中、ヒゲの男が歩いている。男はふと息を深く吸いつぶやいた。
「バラの香りが薄くなってきたか」
歩みを止めて、当たりの匂いをかいでみる。うむ、やはりバラの香りがほとんどしない。
おかしい。少し前までは、濃厚な香りが漂っていたはずだが。
違和感を覚え、口ひげを指でしごく。
「夜会の日までに王都中のバラを満開にさせ、男たちを操りやすくする予定だったのだが」
明日にでも花伯爵の様子を見にいくか。必要とあらばルーク王子の名前を使えば、花伯爵は言いなりになるだろう。
「ここまで来た。失敗してたまるか」
国王夫妻が出会ったときから立てた計画。約二十年もの年月をかけた。当時、男は帝国の若きスパイだった。
「ザルツシュタイン王国に留学に来ていたアドラーベルグ王国の王子が、これまた異国から訪れていた可憐な令嬢と恋に落ちる。その瞬間に居合わせたとき、アドラーベルク王国攻略の方法が分かった」
どこの国にも魔の手を伸ばしている帝国。アドラーベルグ王国にも触手は伸ばしていた。なにも、帝国はアドラーベルグ王国を滅ぼしてやろうとまでは思っていない。弱みを見つけられればよし、それぐらいの温度感だ。アドラーベルグ王国は帝国から遠い。間にふたつ国がある。簡単に取れる国ではない。辺境が強く、神話のようなワシに守られている。
鉄壁の守りがあるように見えたアドラーベルグ王国にほころびが生じた。王子――現在の国王が当時、他国の令嬢との結婚を強行したのだ。
それは異例のことだった。アドラーベルグ王国では代々国内の有力貴族と縁を結ぶのが常で、それが神話的国防に直結していた。
事実、王子は辺境の令嬢との婚約話が進んでいるはずだった。
にもかかわらず強行された、他国にも語り草となるほどの熱愛結婚。
その果てに生まれたのが、フローレンス王女とルーク王子だ。
「ルークも父王と同じ血を引いている。親から決められた婚約相手ではなく、自分でみつけた真実の愛を優先したいという思いが強い」
奇しくも、二代続いて辺境令嬢を軽視するとは。帝国出身者からすると、信じがたい愚行だ。自国の強みをみすみす捨ててどうする。
「こちらとしては渡りに船。ルーク王子の真実の愛をせいぜい利用させてもらった」
二十年アドラーベルグ王国に潜入して作ったコネと地位を最大限に活用し、各所にハニートラップをしかけた。男はいくつになっても、若い美人によろめく。色んな貴族家に勤める侍女たちを使えば、簡単に罠にはめられた。
金に困っている侍女に、ピンク髪フィービーのシーウェル男爵家を通じて金を貸してやればいい。
「ラブレターをいただければ利息はいりませんよ」
そう言えば、いくらでもラブレターが手に入る。本人宛へのラブレターはもちろん、侍女が仕える女主人宛てのラブレターであれば高値で買い取ることもある。
最初はためらう侍女たちも、まとまった金を借りられ、厳しい取り立てもないとなれば、次からは気軽にラブレターや情報を持ってくる。こうやって心理的ハードルを下げていくと、侍女たちの倫理観は揺らぎ、使い勝手のいい手ごまになるのだ。
「使い勝手がいいといえば、シーウェル男爵家は最高。彼らは無能な上にやる気がないからな」
無能な働き者は面倒なのだ。やる気に満ちて仕事に取り掛かるものの、判断力や効率が悪く、混乱を招き、全体に悪影響を及ぼしてしまう。その点、シーウェル男爵家は言われたことしかしない。「難しいことは分かりませんので、お任せします」それが口癖。言いつけたことだけを、なにも考えずにこなしている。なぜラブレターを集めるのか、どうしてこの侍女にはたくさん金を貸すのか、問いかけることもなく、はいはいと指示に従う。
「おかげで金貸しをしながら、主要貴族の弱みを抑えることができた」
今ではフローレンス王女にさえ手を伸ばすことができる。ルーク王子の婚約者をお茶会に誘ってもよいというフローレンス王女からの通達は、貴族家に届けられることなく闇に葬った。婚約破棄イベントを妨害されると困るので、フローレンス王女には薬を飲ませている。
「もはや敵なし。細工は流々仕上げを御覧じろ。皇帝陛下にお伝えしたいぐらいだ」
とはいえ、念のため明日あたりにシーウェル男爵家に顔を出すか。忙しくてしばらく行っていなかった。夜会の段取りなどを改めて教え込む必要もあろう。あの一家は、何が分からないかも分からない頭の軽さだからな。困ったことがあったらすぐ連絡しろと言っても、何に困っているかも分からないときたもんだ。筋金入りのアホウ。
シーウェル男爵とルーク王子のバカさ加減を冷笑していると、東門に近づいてきた。夜会で使うちょっとしたお楽しみアイテムを受け取るため、わざわざ足を運んだのだ。
「王都の警護の要だった犬子爵はもうグダグダだからな。何も問題はないはずだ」
空はワシ、地上は犬に守られていた王都の防御力は、今や穴だらけ。四人の夜警のうち、三人はもう酒浸りだ。あとひとりはクソがつくぐらい真面目で面倒だが、夜警ひとりにできることなど何もあるまい。
少しずつ帝国から手練れの戦士も引き入れた。婚約破棄イベントにより、辺境領地は王家を見限るだろう。最強領地にそっぽを向かれ、守り手が激減した王都をじわじわと制圧する。領地巡回中の国王夫妻には事故にでもあってもらえば、ルーク王子が即位する。
「悲劇の王子として王座にいてもらい、内実は帝国が握る。傀儡政権の出来上がり」
二十年前に描いた構想が、いよいよあともう少しで結実する。
思わずゆるむ口元を引き締めながら、東門を見るとそこには門番と仲間の姿。素通りできるはずが止められているのはなぜだ。いぶかしながら足を速めると、仲間の言葉が耳に入った。
「いや、だからー、ほらここにね、通行証が」
「通行証があろうが、木箱の中身は見なきゃいけねんすわ。ほら、さっさと開けて」
「いやいやいや、これ贈り物ですから。大きな声では言えないですけど、宰相閣下へのお荷物ですよ。開けられないですよ」
「まあ、規則ですからね。開けてください」
規則、だとう。門番の口から規則という言葉が出て耳を疑った。酔っ払いで、ぐずぐずのずぶずぶで、金を握らせればなんでも通過できるはずだ。そのように堕落させてきた。
何が起きている。風でも吹いたのか、首の後ろが冷やりとした。
どうする。金を渡すか、いや、逆効果だろう。
ヤルか。夜会の直前にことを起こしたくないが、仕方ない。短剣を持って、門番の背後に近づく。背中に突き立てようとしたとき、腕と足に衝撃が走った。手から短剣が落ちる。
「はい、現行犯逮捕」
「なっ」
夜警に腕をつかまれ、ふくらはぎは犬に嚙まれている。
「いつの間に」
「ちょっと前からつけてた。手配絵をもらってたからな」
夜警がポケットから紙を取り出す。描かれているのは、自分によく似たヒゲの男。なぜ、いつ、誰が? 疑問が頭の中を飛び交う。
「まあ、じっくり話を聞かせてもらおうかな」
門番が仲間たちも拘束している。終わりだ。こんなことで? こんな一瞬で? 俺は何を間違った?
崩れ落ちそうになったが、夜警につかまれ、門塔の中に引きずりこまれる。
「でかした」
「さすが」
「信じて待ってた」
「はい、自白剤」
少女が四人、待ち構えていた。門番や夜警とハイタッチしている少女たちを見て、全身から力が抜ける。
「ファブフォー辺境女子」
まさか、なぜここに。少女は屋敷にいる時間だろうが。
「こんなおぢにファブフォーって呼ばれても嬉しくない」
「いやー、手間取ったけども」
「あたしの尾行をまくとはどんなすご腕かと思ってたけども」
「まさか帝国のスパイとはね。予想の範疇を超えててビックリよ」
東西南北の順でしゃべる四人に、頭が混乱する。
「ささ、エリカちゃん。自白剤をお願いします」
「はーい」
東に促され、北が金属とガラスの筒のようなものを持ってくる。
「新製品、注射器でございます」
「おおー」
少女たちはキャッキャしてるが、こちらは気が気ではない。何をされるのだ。それならいっそ。
「くっ、殺せ」
「いやいや、末永く生きてもらってね」
「帝国の情報をゲロってもらわないとね」
「エリカ、いっちゃってー」
「うぇーい」
首筋がチクリとする。頭がなんだかぼんやりしてきて、全てがどうでもよくなる。
「帝国の狙いは何?」
「ルーク王子とピンクの結婚で辺境を離反させ、帝国の傀儡政権とすること」
「うわーお」
「ルークはどこまで知っている?」
「ルーク王子は何も分かっていない。ワシに頼らず、己の力で玉座に君臨したいだけ」
「ほほう」
「王家は帝国の思惑に気づいているの?」
「気づいていたらとっくに俺は処刑されているだろうな」
「なるほどね」
いくつの質問に答えただろうか。だんだん全身が温かくなってきた。
「夜会までにちょこっと計画修正しなきゃだなー」
少女たちが楽しそうに話し合っているのを見ているうちにまぶたが重くなり、開けられなくなった。




