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『境界断ちのノベェンタ』 〜観測整合維持局 第七補正執行室 野部遠汰の場合〜  作者: nobunobuwo


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 最終話 「“自分”って、人類わりと“探しに行くもの”だと思いがちなんですけど。実際には“誰かと生きた結果として残るもの”なので。知性って、出会いの数だけ少しずつ自分になるんですよね」


 東央マテリアル。



 営業企画部。


 午前八時三分。


 朝だった。


 コピー機。


 電話。


 パソコン起動音。


 いつもの会社。


 いつもの日常。



 のはずだった。



 野部遠汰。


 出社。


 給湯室の前。


 騒がしい。



「おぉぉぉぉぉ!!」


 野村部長だった。


「可愛いなぁ!!」


「天才だなぁ!!」


「凄いなぁ!!」



 完全に壊れていた。



 野部遠汰。


「何ですか」



 佐伯が振り返る。


 笑っていた。


「生まれました」



 静寂。



「え?」



「生まれました」



 もう一度。



「昨日」



 沈黙。



 ノベェンタ。


 停止。


 数秒。


 そして。


「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」



 営業企画部中へ響いた。



 給湯室。


 アイン。


 抱いていた。


 小さな命。


 銀色の髪。


 小さな耳。


 すやすや眠っている。


 エルだった。



 静寂。



 ノベェンタ。


 固まる。


「小さいですね」



「赤ちゃんですので」


 アイン。



「なるほど」


挿絵(By みてみん)



「なるほどじゃない」


 リゼ。



 エル。


 小さく欠伸。


「ふぁ……」



 全員。


「可愛い」


 即答だった。



 野村部長。


 ボロボロ泣いていた。


「良かったなぁ……」


「本当に良かったなぁ……」


 涙を拭く。



「何で泣いてるんですか」


 佐伯。



「分からんのよぉ……」


「最近、涙腺がおかしいんよぉ……」


「エルちゃん見たら何か出るんよぉ……」


「もう孫みたいなんよぉ……」


 さらに泣く。


挿絵(By みてみん)



 全員。


「早い」



 笑い声。


 優しい時間だった。



 パンドーラも。


 世界樹も。


 宇宙も。


 今は少し遠い。



 ただ。


 目の前にある小さな命だけが。


 何より大切だった。



 昼。


 屋上。


 風。


 青空。


 雲。



挿絵(By みてみん)


 リゼが手すりへ寄り掛かる。


 隣。


 ノベェンタ。


 二人だけだった。



「終わったわね」



「終わりましたね」


挿絵(By みてみん)



 静寂。



 パンドーラ。


 外側。


 ニャンベルタン。


 宇宙の大丈夫。



 全部。


 終わった。



 いや。


 繋がった。



「不思議ね」


 リゼ。


挿絵(By みてみん)



「何がです?」



「最初は」



「ただの会社員だったじゃない」



 ノベェンタ。


 少し笑う。



「今も会社員です」



「異世界を何回救ったと思ってるのよ」



「数えていません」



「数えなさい」



 笑う。


 風が吹く。


 静かな時間。



 そして。


 ノベェンタが空を見上げた。


「興味深いですね」


挿絵(By みてみん)



「始まったわね」



「人類、“自分探し”という言葉を使いがちなんですけど、実際には“自分だけを観測し続ける”と座標系が固定されるので、むしろ見失う可能性が高いんですよね。例えば天文学でも単独恒星だけ見続けても宇宙構造は分かりませんし、生態学でも単独生物だけでは生態系は理解出来ません。あと脳科学的にも自己認識ネットワークと他者認識ネットワークはかなり重複しています。つまり人類、“他人を理解する回路”で自分も理解している可能性があります。さらに面白いのは人生の記憶って出来事ではなく人なんですよ。卒業式の日付は忘れても誰と笑ったかは覚えている。旅行先の気温は忘れても誰と歩いたかは覚えている。つまり知性体、自分という存在を単独データとして保存しているのではなく、関係性ネットワークとして保存している可能性があります。だから私は思うんです。世界は広い方が良い。人は多い方が良い。話せる相手は居た方が良い。その方が観測点が増える。その方が世界が立体になる。その方が自分も少しだけ鮮明になる。あと個人的には最近かなり実感しています。部長とか佐伯とかアインとかキノピーとかリンベルとかエルとか、皆さん居なかったら今の私は存在しませんので。そして何より、リゼが居なかったら私はここまで来られませんでした。量子論的に言うなら観測者が居なければ状態は定義出来ませんし、人生的に言うなら話を聞いてくれる人が居なければ人は前へ進みにくいんですよね。私は世界をたくさん見てきました。たくさんの文明も見ました。たくさんの知識も集めました。でも今振り返ると、一番価値があったのは全部その途中で出会った人達でした。そしてその中でも、私が最も長く観測し、最も多く対話し、最も多く助けられた存在はリゼです。ですので結論としてはですね」



「私はたぶん」


 少し笑う。


「リゼと出会えて、とても幸運でした」



 静寂。



 風が吹く。



 リゼ。


 少しだけ目を丸くした。


 そして。


 少し笑う。


挿絵(By みてみん)



「関係量子力学って、“観測者ごとに世界の見え方が違う”という考え方なのよ。でもね、私は最近それを理論じゃなくて人生として理解し始めた気がするの。昔の私は、自分が何者かを知りたかった。何が正しいか知りたかった。どこへ向かえばいいのか知りたかった。でも不思議なのよね。そうやって自分だけを見ていた頃の方が、むしろ自分が分からなかった。だって人って、一人では定義出来ないんだもの。誰かと笑った時の自分。誰かを心配した時の自分。誰かに助けられた時の自分。誰かを好きになった時の自分。その全部が集まって初めて“私”になる。だから今なら分かるの。ベルタリュオンへ行った事も、パンドーラへ行った事も、本当に大事だったのは世界を知った事じゃない。そこに居た人達を知った事だったのよ。部長の優しさも、佐伯の強さも、アインの不器用さも、キノピーのうっかりも、リンベルの真面目さも、エルの未来も。その全部が私の世界を広げた。そしてね、たぶん一番大きかったのはあなたなのよ。最初は変な人だと思った。今もかなり変な人だけど。でもあなたが居たから、私はたくさんの世界を見られた。たくさんの人と出会えた。たくさん笑えた。だからもし人生が観測の積み重ねで出来ているなら、私という存在の中には確実にあなたが居るの。たぶんあなたが思っているよりずっと大きく。だから野部くん。ありがとう。私、あなたと出会えて本当に良かったわ」



 静寂。



 風が吹く。



 ノベェンタ。


 数秒停止。


「それは」



「かなり高評価ですね」



 リゼ。


 吹き出した。


「何その感想」



「事実確認です」



「もっと他にあるでしょ」



「あります」



「あるんだ」



 ノベェンタ。


 少しだけ笑う。


「私もです」



 静寂。



 リゼ。


 少しだけ目を丸くした。



 そして。


 二人とも笑った。



 風が吹く。


 空。


 ネウロン。


 ベルタリュオン。


 パンドーラ。


 モルモール遊星郡。


 東央マテリアル。


 大月町。



 そして。


 無数の人達。


 無数の出会い。


 無数の世界。


 その全部を見ながら。



 野部遠汰は少し笑った。


「自分というものは誰かと出会うたびに輪郭が変わる」


「人との関係によって世界は広がる」



 だから今日も。


 世界は少しだけ面白い。



挿絵(By みてみん)

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