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『境界断ちのノベェンタ』 〜観測整合維持局 第七補正執行室 野部遠汰の場合〜  作者: nobunobuwo


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第百七十六話 「“大丈夫?”って、人類わりと“確認の言葉”だと思いがちなんですけど。実際には“あなたを気にしています”の圧縮表現なので。知性って、誰かを心配した瞬間から世界が広がり始めるんですよね」



 惑星パンドーラ。



 夜。


 砂漠の風は穏やかだった。


 巨大な焚き火。


 揺れる炎。


 焼ける肉。


 香辛料。


 焼きたての平パン。


 果実酒。


 砂漠の民達が輪になって座っている。


 笑い声。


 歌声。


 子供達の足音。


 遠くではラクダに似た大型獣がのんびり草を食べていた。



 平和だった。


 本当に。


 平和だった。



 ノヴァンは焚き火の向こうで静かに酒杯を傾ける。


 昔なら考えられない光景だった。


 水が足りなかった。


 食料も足りなかった。


 未来なんて無かった。



 だが今は違う。


 市場がある。


 学校がある。


 井戸がある。


 笑い声がある。



 そして。


 明日がある。



 ノヴァンは火を見ながら呟いた。


「面白いものだな」



「何がです?」


 ノベェンタ。



「昔の俺は世界を管理対象だと思っていた」



「市場は最適化するもの」


「組織は設計するもの」


「人材は配置するもの」


「資本は流すもの」


「課題は解決するもの」



 静かな声。


「港区で生きていた頃は、それで十分だと思っていた」


 砂漠の夜空を見上げる。


「だが砂漠へ来て分かった」



「人間は管理出来ない」


「共同体も管理出来ない」


「未来なんてもっと管理出来ない」



 少し笑う。


「出来るのはせいぜい、水を掘る事と、道を作る事と、諦めない事くらいだ」



「それだけですか?」


 佐伯。



「それだけだ」



「だが結局、世界を変えるのはだいたいそれだ」



 静寂。



 焚き火が爆ぜる。


「最近思うんだ」


 ノヴァンは続けた。


「事業も文明も本質は似ている」


「利益じゃない」


「規模でもない」


「どれだけ多くの人間が、明日も生きてみようと思えるかだ」



 砂漠の民を見る。


 笑う子供達。


 語り合う老人達。


 働く若者達。



「昔の俺なら非合理だと切り捨てただろうな」


「でも今は違う」


「人間は数字じゃない」


「人間は未来だ」



挿絵(By みてみん)



 静寂。



 野村部長。


 また感動していた。


「やっぱ格好良いなぁ……」



「部長」


 佐伯。



「完全にファンですよね」



「うん」



 即答だった。


 全員が少し笑った。



 その時。


 世界樹が光る。


 白銀。


 静かな光。


 夜空を照らす。



【……ダイジョウブ?】



 世界の声。


 以前よりずっと自然だった。



 まるで。


 近所の誰かが声を掛けるみたいに。



 ノヴァンは空を見上げる。


「大丈夫だ」



「今日はな」



【……キョウハ】


【……ダイジョウブ】



 世界樹が少し揺れた。


 どこか嬉しそうに。


 その光景を見ながら。



 ノベェンタが静かに呟く。


「興味深いですね」



「始まった」


 佐伯。



「人類、“大丈夫?”という言葉を単なる安否確認だと思いがちなんですけど、本質的には共同体維持のための極めて高度な通信規格なんですよね。例えば狩猟採集時代、仲間の異変へ気付けない集団は生存率が低下した可能性がありますし、漁村文化や山岳文化でも“最近見ないな”は事実上の安全確認でした。さらに現代SNS文化、“元気?”だけで数年ぶりの関係維持されてるケース結構あります。面白いのは、人類、“問題解決”より先に“気にかけられている事実”で安心する事です。つまり知性体、“解決”より“接続”へ先に反応する。あとネコも仲間が具合悪いと近寄る事あるので哺乳類全般かなり心配性です」


挿絵(By みてみん)



 沈黙。



 佐伯。


「最後のネコいる?」



「かなり重要です」


 ノベェンタ。



「絶対好きよねネコ情報」


 リゼ。



「好きですね」



 即答だった。


 静かな笑いが広がる。



 そして。


 リゼが世界樹を見上げた。


「でも多分、今パンドーラで起きてる事ってそういう事なのよ」


「量子論的に言えば、世界の状態そのものに絶対的な意味があるんじゃなくて、“誰との関係でその状態が記述されるか”の方が重要になるの。だから世界樹が過去を見ても、それだけじゃただの情報でしかない。でもパンドーラがそれを語って、ノヴァンが聞いて、砂漠の民が受け継いで、私達もこうして会話する。その瞬間に初めて世界の記憶は歴史になる。つまり今起きてるのは知識の増加でも進化でもないのよ。関係性の増加なの。昔のパンドーラはただ存在する世界だった。でも今は違う。誰かと繋がり、誰かを気に掛け、誰かへ問い掛ける存在になり始めてる。言い換えるなら、世界だったものが少しずつ“誰か”になっているのよ」



 静寂。



 焚き火が揺れる。



 ノベェンタは少しだけ目を細めた。


「なるほど」


「だから世界が開いているんですね」



「開く?」


 野村部長。



「はい」


 灰色の瞳が夜空を見る。


「人との関係によって世界は広がるので」



「世界そのものも例外ではないのかもしれません」



 風が吹く。


 静かな夜。


 その時だった。


 世界樹が。


 今までで最も強く光った。



 白銀。


 黄金。


 虹色。



 光は空を越える。


 雲を越える。


 星々を越える。



 そして。


 誰にも聞こえないほど小さな声で。



【……ダイジョウブ?】



 今度は。


 パンドーラが。


 世界の外側へ向かって。


 初めて話しかけていた。



 まるで。



 新しい友達を探すみたいに。


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